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男は肩出しの服装を着ていた、古代ギリシアの服装の歴史

華盛頓Webライター
credit:unsplash

人類の歴史は服装の歴史といっても過言ではありません。

果たして古代ギリシアの人々はどのような服装をしていたのでしょうか?

この記事では古代ギリシアの男性の服装について紹介していきます。

古代ギリシアの服装の特徴

古代ギリシアにて、衣装といえば一枚布を体に巻き付けるが基本でした。

寒くない地ゆえ、余計なものは必要ないといわんばかりの潔さだったのです。

素材には羊毛が主流であったものの、後に亜麻布が登場し、さらに遠方から絹が舞い込むと王族や貴族は大いに喜んだとのことです。

髪型も簡潔で、男子は短く、女子は長く、これまた結い上げます。

婦人は素顔を美徳とし、靴は柳の枝か革のサンダル。

貧しい者は裸足で、飾り気など不要の風潮が広がっていたのです。

古代ギリシアの男性の服装の特徴

古代ギリシアの紳士といえば、まずエクソミスという名の肩出しスタイル

これは一枚のウール布を右肩から流し、日常でも戦場でもよく使われていました

身分や場面に応じて衣装の丈が違い、特に羊飼いや兵士は短めで動きやすいデザインを好んだとのこと。

庶民はお手頃なウールか亜麻布を選び、ピンで左肩を留めてさりげなく右肩を露わにしました

豪華な外套にしても、素材はほぼ羊毛か山羊の毛です。

気候の温暖さから、着飾るよりは機能性を重視していたのでしょう。

一方で、富裕層になると話は別です。

彼らは「ペタソス」と呼ばれるつば広帽を被り、濃い色に染め上げた上質の外套や、黄金のピンを使って、存在感を漂わせました

オデュッセウスなど名門の英雄に至っては、紫色に染められた衣服に黄金の留め具まで添えるという豪奢ぶりです。

とはいえ、全て羊毛で織られており、ギリシアの暑さを意識しつつも威厳は保つという妙技です。

絹が東方から運ばれると、それは大変なブームを引き起こしました

特に薄絹の美しい光沢と優雅なドレープが若者の心を捉え、知識人がいかに流行に苦言を呈しようとも流行は広まる一方です。

色も豊かで、貝紫やサフランで染め上げられた服装に特に人気が集まったものの、悲哀の象徴とされた菫色だけは敬遠されました

さらに、香料好きのギリシア紳士たちは、香水を各部に異なる香りで纏い、奢侈が行き過ぎたため、ついにはソロンが香料を禁止するという事態にまで至ったのです。

参考文献

丹野郁編(2003)『西洋服飾史 増訂版』東京堂出版

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歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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