ファッション意識も高まった、13世紀の服装の歴史
人類の歴史は服装の歴史といっても過言ではありません。
果たして13世紀の人々はどのような服装をしていたのでしょうか?
この記事では13世紀のヨーロッパの男性の服装について紹介していきます。
13世紀の男性の服装
さて、12世紀に入ると、何やら街の様子が少々変わり始めます。
人々が行き交う通りに、見慣れない活気が漂い、布や糸を抱えた職人たちが、所狭しと陣取るようになってきたのです。
新たに誕生したこの「職人」という種族は、仕事一筋、縫製などの技術も高まり、噂の「ギルド」という組合まで結成し、仲間たちと共に業界の秩序を築き始めました。
街道沿いの要所や大きな教会の周りには、彼らの住処が生まれ、そこでは絹や毛織物、さまざまな織物が作られたのです。
13世紀に入ると、イングランドやピカルディといった地域が織物の名産地として名を馳せ、リヨンでは美しい絹織物が誕生します。
サテンやビロード、果てはキャメロまで、趣味と贅沢が織りなす世界が広がり、時には縮みのある薄絹なども登場して、ファッションの幅が一気に広がっていきました。
また、衣服の一部に毛皮をあしらうのが流行し、テンやリスの毛皮、果てはジャコウネズミなど、珍しい動物の毛皮もその品位を高める一助となっていたのです。
さて、男子の衣装はというと、前時代からの定番であるシュミーズにブレー、ショースを合わせ、コットを重ねる基本形でした。
シュールコーと呼ばれる外套も登場し、外出の際には特に役立ったのです。
シュールコーは、鎖帷子のようにしっかりした作りで、華やかな装飾も付け加えられ、時にはフード付きの「ガルドコール」と呼ばれる防寒仕様にも発展します。
また、都市部ではファッションに対する意識も高まり、イタリアで開発された捺染技術による柄物が流行りだしました。
庶民の装いは少々地味だが実用性を兼ね備えたもので、麻の肌着にチュニックを重ね、日よけに帽子を被ることが多かったです。
また、色は青色が多く、これはタイセイという植物から取った色素によるものです。
都市に住む人々はフリースラント地方の毛織物を買い求めるようになり、次第にその影響で衣服が一層豊かに広がっていったのです。
一方、上流階級はというと、より豪奢に趣向を凝らしました。
肌着から上着に至るまで、絹や毛織物、贅沢なテンの毛皮などが使われ、また新たに西欧で知られるようになった「ボタン」が装飾に加わり、服を留めるよりも飾りとして喜ばれるようになったのです。
彼らの外套「パリウム」は、両肩に引っかけるように羽織るもので、これを金糸で結ぶ「クエルダス」が人気でした。
靴もそれ相応に洒落たもので、錦織の格子柄などが好まれ、色も褐色や黒など、多様な色合いが見られたのです。
こうして西欧のファッション産業は本格的にその歩みを始め、街角には華やかな衣服を纏った人々が溢れ、まさに中世ヨーロッパにおける「流行」の胎動が始まったのです。
参考文献
丹野郁編(2003)『西洋服飾史 増訂版』東京堂出版
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