育成初のトリプルスリーを目指す!東京ヤクルトスワローズ・育成2位、松本友(BC・福井)
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ずっと描いてた夢の場所へ
「僕らならいける」
まだ終わらない このストーリー
「記録を超え記憶となれ」
(ベリーグッドマン「ハイライト」 作詞:ベリーグッドマン)
打席に向かうとき何十回、いや何百回と聴いた。そしてその度、己を奮い立たせた。
チャレンジするのは今年までと決めていた。今年、NPBから指名がかからなければ野球は諦めよう、と。
だから誓った。1ミリたりとも手は抜かない。隙は作らない。自身に課したのは100%の全力プレー、いついかなるときも全力疾走。
体が疲れているときもあった。気持ちが落ち込む日もあった。けれど、つらくても苦しくても何があっても貫き通した。
そして、実った―。
10月25日、NPBドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから育成2位で指名された。
■盟友・片山雄哉とともにプロへ
「東京ヤクルト。松本友、福井ミラクルエレファンツ」―。
それを耳にするまで、不安と緊張でいっぱいだった。なにより盟友・片山雄哉選手が先に指名され(阪神タイガース・育成1位)、「自分だけ指名されなかったらどうしよう…」と、名前が呼ばれるまでの時間が異様に長く感じた。
そんな中での指名だっただけに、その瞬間、思わず立ち上がって片山選手と熱く抱き合った。
「ラストイヤー」と腹をくくって臨んだ今季、片山選手とは常に励まし合ってきた。「同い年で、いい意味のライバル。気持ちがわかり合えた。去年はそこまで深く関わってなかったけど、今年になって共通のものができて、より深くわかり合えるようになった」。NPBへの本気度を共有できる“同志”だった。
「僕がスランプになったときも、いろんなことを言ってくれて励ましてくれた。また頑張ろうと思わせてくれた」と、その存在が大きかったと明かす。「(片山選手が)いてくれて、より頑張れた。それだけに、一緒にプロに行きたいという思いが強かった。『行くならふたりで行きたい』って、ずっと言ってたから」。
冒頭のベリーグッドマンの「ハイライト」は、松本選手が打席に入るときの登場曲だが、ふたりにとっても思いを再確認するための大切なテーマソングでもあった。
片山選手も「友と喜びたかった。自分だけじゃ申し訳ないと思ってたところに友が呼ばれて…自分のときより喜べたし、友の握手が嬉しかった。体が勝手に動いてハグしてた(笑)」と最高の笑顔を見せた。
■イチローに憧れて左に転向した小学生時代
松本選手が小学3年で野球を始めたのは3つ上のお兄さんの影響だ。おもにピッチャーをやりながらショートもこなした。
当時からプロ野球に憧れていた。ジャイアンツファンだったお父さんと一緒に最初は高橋由伸選手に注目していたが、そのうちイチロー選手に惹かれるようになり、小学4年から左でスイングするようになった。
するとお父さんから「左のほうがスイングがきれいだな」と言われ、以来、左打者として現在に至る。当初はイチロー選手のバッティングを意識しながら、だんだんと自分の形を見出していった。
このころ、“モテ期”が到来。「○○ちゃんが友くんのこと、好きだって」と、よく言われた。しかし思春期の友少年は「つい、わざとその女の子に嫌われようとしてしまう(笑)」というようなシャイボーイだった。
「今でもシャイです(笑)」と照れるが、プロで活躍したら人気が出ること間違いなしのイケメンだ。ただし顔立ちは、どちらかというと濃いめの「昭和の男前」といった感じである。
■宇美スターズで素振りに明け暮れた中学時代
中学からは硬式を始めた。九州のフレッシュリーグに所属する「宇美スターズ」に入団し、たまに外野をすることもありつつ、基本は遊撃手としてプレーした。
このころ目標としたのは松井稼頭央選手だ。「ショートといえば松井稼頭央さんでしょ。走攻守そろってる。そういう選手になりたいって思ってた」。
チームの代表に言われたのは「毎日、素振りをしろ」ということ。「絶対にお前の財産になる」と説かれ、それは友少年の心に響いた。どんなに疲れていても振ったし、雨の日でも台風が来た日でも駐車場など濡れない場所を探して振り続けた。
「やり続けたことは財産になってるなって、今思います」と感謝している。
中学3年のときだ。生徒会の副会長に選ばれ、体育祭の実行委員長として中心となって体育祭を取りまとめた。
すべてのプログラムが終了したあと、やりきった充実感から感極まって仲間たちの前で思わず涙がこぼれた。そして教室に帰ると黒板一面に「友、ありがとう」と書かれていた。
みんなの中心となり、仲間のために一生懸命に力を尽くすことができる男だ。「今でも『男泣き』とかいじられるけど(笑)」。仲間から本当に愛されている。
「そういえば、黒板によくサインの練習をしてました(笑)」。そんなお茶目な一面もある。
■東福岡高で守備キャラから打撃開眼
高校は野球の強豪校である東福岡高校に進学した。実は3校から声がかかっていたくらい、その実力を見込まれていた。その中から自宅にもほど近い東福岡高と、県外にあるもう一校とで迷っていた。
甲子園に出られる可能性が高いのはもう一校のほうではないだろうか…と考えていた矢先、体調を崩して中学3年最後の大会に出場できなかった。体重も一時は15kgも減り、ヒョロヒョロになった。
「これで親元を離れて県外に行くのはやばいな」。そう考えた松本選手は、「野球も強いけど進学校で、家から通える」との条件が揃っている東福岡高に進むことを決めた。
「最初は“守備キャラ”だった(笑)」と、打撃より守備職人だった高校1年の松本選手。おもにセカンドに就いた。
転機は高校2年の冬だ。肉体改造をしようと思い立った。中学3年のときに減った15kgは戻ってはいたが、そこからさらに10kg増量した。「ウェイトと、とにかく食べた。朝食べて、授業が終わる度におにぎり食べて。練習が終わって近くのご飯屋さんで食べて、また家に帰ってお茶漬けを無理やり流し込んで…」。
すると、体が大きくなっていくのに比例するかのように、バッティングが目覚しく向上した。「飛距離も力強さも全然変わった」。大きな収穫だった。ところが「ただちょっと守備が…」と苦笑いする。「急に大きくしたことで動きが悪くなって。足(の速さ)は変わらなかったけど」。成長途上だ。すべてがうまくいくとは限らない。
その後、サード、ショート、外野…といろいろ経験し、だんだんと外野のほうが得意になっていった。
■走攻守 三拍子そろう
明治学院大学にはスポーツ推薦で入学した。1年の春からレギュラーを獲り、首位打者を獲得してベストナインにも輝いた。このころ、現実的にプロを意識するようになった。
しかし紆余曲折あり(参照記事⇒鳥谷敬選手のように―福井の背番号1・松本友選手はNPBで鉄人を目指す)、BCリーグの福井ミラクルエレファンツからプロを目指す決意を固めた。
今年もし指名がかからなければ消防士の試験を受けるつもりだった。実は大学のとき、一度資料だけは手に入れていた。「見てはいないけど、動ける仕事というので興味があった」と打ち明ける。
そして同じ「動ける仕事」でも、念願のプロ野球選手になれた。松本選手のウリは走攻守、三拍子そろっていること。
「走」は短距離、長距離ともに自信がある。常にリレーのアンカーを務めてきた。そもそも野球を始めるはるか前、幼稚園のころから水泳を習っていた。「やっててよかった。そのおかげで持久走もめっちゃ速かった」と、幼いころからスタミナの貯金ができている。
今季、BCリーグで68試合フルイニング出場する中、20盗塁を決めた。
バッティングでは打率.326、101安打(リーグ2位)を記録した。単打だけでなく、パンチ力と足を活かして二塁打17本(同7位タイ)、三塁打9本(同1位タイ)、本塁打7本をマーク。.503の長打率も誇る。「トリプルスリーを狙える選手に」というのが松本選手の掲げる目標だ。
守備においては、「NPBに行かせたい」という田中雅彦監督の方針によりチームではショート1本だったが、BC選抜試合(注1)ではセカンドも守った。もちろん外野も得意とするユーティリティプレーヤーである。
■プロ仕様の美ボディ
そしてフィジカル面でも、福井の吉田晋也トレーナーが「一流の体ができ上がった」と太鼓判を押す。
昨年は大学を出たばかりで連戦に耐えられなかった。「大学のリーグ戦とは違って毎日試合があるし、バス移動がかなり過酷だから。ゴールデンウィークくらいからずっと疲れていた」と吉田トレーナーは明かす。疲労から太ももの肉離れを起こしたこともあった。
しかし今年は別人だ。「筋肉量、柔軟性ともに格段にアップした。去年のような(筋肉の)張りの強さがない。冬場に相当トレーニングしてきたのがわかった」。
ひと回り大きくなった松本選手の体を、吉田トレーナーは「本当にきれいな体をしている。筋肉がきれいに付いている。締まりのある“美ボディのモデル”って感じ(笑)」と絶賛する。競輪選手やバレリーナなど、幅広い世界での第一人者の体を触ってきた吉田トレーナーをして、唸らせるほどの仕上がりだ。
代謝もよく、一番の汗かきだという。「体中の毛穴1コ1コから滝のように流れている」と笑う。
さらに「自分でコンディショニングができるようになったし、精神的にも気が強い。絶対に弱音を吐かない。必ず『大丈夫ですっ!』と言う」と、プロとしての自覚は十分だと讃える。
■夢の場所で記憶になる
毎年オフに、宇美スターズOBで結成される「卓星会」のメンバーで集まる。北海道日本ハムファイターズの中島卓也選手も出身であることから、中島選手にちなんでそう名付けられた。
宇美スターズの大先輩である中島選手に、ドラフト後にLINEを送った。すると、すぐに返事がきた。
「おめでとう。これからが大変だと思うけど、早く支配下に上がれるよう頑張ろう。なんかあったら連絡ちょうだい。よろしく」。
温かいメッセージに感激した。来年1月2日にまた卓星会で集まり、松本選手の入団祝賀会を催してくれる予定だが、そこで一日も早く支配下になることを誓うつもりだ。
「年齢も高いし、最初から合同自主トレでアピールしたい。身体能力をフルに発揮してやっていかないといけないと思っている」。改めて気合いを入れ直す。
自身の強みを「まっすぐ継続して取り組めることと、負けず嫌いなこと」と分析する。だからここまでやってこれた。夢を叶えることができた。
それはもちろん、プロに入っても変わらない。愚直に、わき目もふらずに野球道を邁進する。
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必ず描いてた夢の場所へ
僕らならいける
合言葉は「あきらめない」
「記録を超え記憶となれ」
(ベリーグッドマン「ハイライト」 作詞:ベリーグッドマン)
松本友、23歳。夢の場所で記憶となるべく、確かな第一歩を踏み出した。
(撮影はすべて筆者)
(注1)ドラフト前の最後のアピールの場として、BCリーグ10球団から選抜されたドラフト候補選手メンバーでチームを結成し、NPBファーム4球団との試合(雨天中止により3試合)が開催された。
【松本 友(まつもと ゆう)】
東福岡高⇒明治学院大⇒福井ミラクルエレファンツ
1995年2月5日(23歳)/福岡県
180cm 80kg/右投左打/O型
【松本 友*今年度成績】
68試合 安打101 打点60 二塁打16 三塁打9 本塁打7 盗塁20 打率.326 出塁率.386 長打率.503
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