「野球に育ててもらった。僕は野球が好き」。元阪神・田中慎太朗氏が母校の“4番”で聖地・甲子園に凱旋!
■マスターズ甲子園で聖地に凱旋
「あぁ…なつかしいな…」。
元阪神タイガースの田中慎太朗さんは芝の匂いがする浜風を胸いっぱいに吸い込んだ。
ただ、その身にまとっているのはタテジマではない。母校・崇徳高校のユニフォームだ。田中さんは11月9日、阪神甲子園球場で開催された「マスターズ甲子園」に出場したのだ。
「マスターズ甲子園」とは、全国の高校野球OB、OGが出身校別に同窓会チームを結成して甲子園出場を目指すもので、2004年に第1回大会が開催され、今年21回目を迎えた。
広島県の予選を勝ち抜いた崇徳高校は、マスターズ甲子園初出場だ。高校時代に甲子園出場経験のない田中さんも8年前から予選に参戦するようになり、こうして母校のユニフォームで聖地の土を踏みしめるのは初めてである。
もちろん、タイガース時代には何試合も経験した馴染みのグランドではあるが、それとはまた違った感慨が去来したようだ。
■守備で猛ハッスル
マスターズ甲子園にはルールがさまざまあり、甲子園本大会では三回までは34歳以下、四回以降は35歳以上と試合出場に年齢制限が設けられている。39歳になった田中さんは四回からの出場となった。
現役時代に痛めた足首は靭帯がもうボロボロで、テーピングでガチガチに固めた。「僕、トレーナーよりテーピング、うまいですよ(笑)」と、巻くのも手慣れたものだ。
三回が終了し、「4番・ファースト、田中」とコールされると、元気に守備位置に走っていった。
「守備は頑張ったかな」と自画自賛するとおり、何度もハッスルプレーを見せた。いきなり打者走者と交錯して心配されたが、その後もファーストゴロにダイビングしたり、投手からの牽制球でランナーをアウトにしたりと、ブランクを感じさせない活躍ぶりだった。
途中からはサードにも就き、現役時代によく見られた投手への声かけなど、変わらぬ姿がそこにはあった。
■打撃は2打数1安打
ただ、バッティングは思いどおりにいかなかった。試合前、「バックスクリーンに放り込むんで、見ていてくださいね」と景気よく宣言していた。前夜も眠れないくらいイメージトレーニングをしたという。
しかし、「バットが出てこなかった…」と唇を噛む。
「昨日の夜からイメージはすごくしていて、初球からいったろうと思っていた。初球からいったけど、思ったよりバットが出てこなくて差し込まれた、118キロのストレートに(笑)。あんな詰まるなんてね」。
そう言って2死一塁の第1打席、ファーストファウルフライという結果を振り返った。自分でも驚くくらい体が動いてくれなかったと肩を落とす。
次の打席はチャンスで回ってきた。2死一、二塁だ。空振り、ファウル、ボール、ファウルでカウント1-2と追い込まれた。
スタンドには「パパ~ッ」「パパ~ッ」というかわいい子どもたちの声が響き渡っている。野球が大好きな7歳の長男をはじめ、4歳の長女、1歳の次女、そして奥さまのお腹の中には次男という超強力な応援団の声援を受け、パパは懇親の力でバットを振り抜いた。
「あの場面もホームランを狙っていましたけど、追い込まれてからはつなごうと、センターから右のイメージで」とライトへ運んだ当たりはヒットになり、満塁に好機を拡大して次打者のタイムリー打を呼び込んだ。
田中さんが一塁上で弾けさせた笑顔は西日を浴びてキラキラと輝き、まるで高校球児のようだった。
■「あの舞台でもっと活躍したかった」と、しみじみ
1時間30分という時間制限があるため六回までで試合終了となり、残念ながら4―6で敗れたが、崇徳ナインは清々しい笑顔で汗をぬぐっていた。田中さんも大声を発しながらイキイキと躍動し、心の底から野球を楽しんでいたことがうかがえる。
「やっぱりなつかしかったっす」と、しみじみ口にしたあと、「あの舞台でもっと活躍したかったなって、いろんな思いを感じました」と、感慨深げに微笑んだ。
そんな話をしながら、大きく出っ張ったお腹をさする。高校時代に78キロだった体重は、今や97キロと大きく成長した。身ごもっているのは奥さまではなくアナタですかと問いたくなるほどだ。
それでも広島予選では、パツパツながらなんとか高校当時のユニフォームでプレーした。しかし生地がとても耐えられそうになく、甲子園では新調したそうだが、そのサイズはなんと「3XL」というから驚きだ。
■やっぱり野球が好き
「やっぱり野球はいいっすよ。本当に苦しい思い出しかないけど、野球に育ててもらったし、野球が好きですよ、僕は」。
タイガースを退団後はとにかく苦労した。しかし、持ち前のガッツで乗り越えてきた。
「不動産屋で家を売っているとき、関西で1位を2回連続で獲ったりとか、苦しいところから這い上がれたのも、苦しかった野球をやりきってきたから。一つのことをずっと頑張ってきたから。やりきれる人って、仕事もできる。だから、僕も野球のおかげで仕事ができているのかなって思いますね」。
現在はホテルや介護施設、温浴施設にタオルやシーツ、館内着などリネン類をリースする会社を経営している。10年前に立ち上げ、経営状態が芳しくなかったお父さんの会社から事業内容を引き継いで借金を完済し、今では3倍ほどに拡大した。
(タイガース退団後の話⇒「金本チルドレンの元阪神・田中慎太朗さんが「わっしょいタオル」製作 退団後の壮絶な人生」)
■崇徳高校野球部を全力応援
今、田中さんが力を入れているのは、崇徳高校の現役球児への応援だ。今年、専用グラウンドも完成し、より練習に力を入れられる環境が整ったのだという。
「OBの上も下も交流を深めて、みんなで現役を応援しようと。現役がどんな成績で、卒業生がどこの大学に行ってというのが、OBたちは全然わからないから、SNSを使って発信していって、みんなから応援してもらえる野球部にしていこうぜって、声かけを始めているんです」。
田中さんが旗振り役となり、3年前から崇徳高校野球部のinstagramを開設し、運営している。必死に野球に打ち込む現役部員たちの姿を投稿し、フォロワー数も徐々に増えてきているところだ。
「このマスターズ出場を通じて、現役選手たちに勇気と明るいニュースを届けて盛り上げていきたいなという思いで、一生懸命やってきました。これからも一丸となって応援するよう、活動していきます」。
そして、「崇徳高校野球部が広島県でナンバーワンの常勝軍団になってほしい」と願いを込めていた。
春夏あわせて5回の甲子園出場を誇る崇徳高校だが(1976年春、優勝)、1993年春を最後に出場は途絶えている。
「一番好きな場所」という聖地を次に訪れるのは、自身の出場ではなく母校の応援だと、田中さんも楽しみにしている。
(撮影は筆者)