それぞれの道へ進む独立リーガーたち。石川ミリオンスターズ(日本海リーグ)の5選手をピックアップ
■チームに別れを告げたミリスタ戦士たち
プロ野球界では、秋が別れの季節だ。それはNPBも独立リーグも同じこと。
日本海リーグの石川ミリオンスターズでは今秋、12人が退団した。10月28日の優勝報告会で退団選手の紹介があり、それぞれお世話になった方々にあいさつをした。
その進路はさまざまだ。阪神タイガースから育成ドラフト4位で指名された川﨑俊哲選手は来季から、NPBでプレーする。
ほか任意引退する選手、自由契約で新天地を求める選手、いろいろだ。プロは引退しても軟式野球で社業に従事しながら野球を続ける選手もいる。
前回、退団選手のあいさつを紹介した。今回はその中からチームを牽引してきた5人の選手に、これまでのさまざまな話を聞いた。
(退団選手のあいさつ⇒「さらば、ミリスタ戦士たち! キラリ輝いた石川ミリオンスターズの選手たちが優勝報告会にて別れのあいさつ」)
■香水晴貴
《近江高校―びわこ成蹊スポーツ大学―ジェイプロジェクト―石川ミリオンスターズ2年》
「優勝の瞬間は嬉しい、その気持ちでいっぱいでした」。
王手をかけながら3戦足踏みしたチームのエースは、満を持しての登板で雷鳥打線を圧倒した。リーグ優勝が決まったそのとき、香水晴貴投手は喜びを爆発させた。
「正直、プレッシャーもあって、すごく緊張もしたけど、逆にここが僕の見せ場っていうか、後輩にメンタルのもち方や試合の挑み方をしつこいぐらい言ってきたんで、ここで見せないと僕を信頼して慕ってくれる後輩たちも育たないし、これこそ勝負師だぞっていうところを見せられるって、スイッチがより一層入って、逆境を力に変えられるという僕の強みが出たんじゃないかなって思っています」。
昨年から追い求めてきた景色が、やっと見られた。「やってきたことは間違ってなかったって自分のことをようやく評価できるような、そんな瞬間でした」と語る。
香水投手にとって、昨季終盤の12連敗は屈辱だった。今季はチームを牽引する覚悟で、当然のように投手キャプテンを拝命した。
岡﨑太一監督からは早々に開幕投手を告げられ、激励会では「岡﨑監督を胴上げすることだけを目標に頑張ります」と宣言し、周りの期待を背負ってシーズンに入った。
投手陣を引っ張るには「まず自分が頑張らないと」と結果を出す一方、新加入の選手とは積極的にコミュニケーションをとって、チームに溶け込ませるよう意識した。
「言うからには自分の言葉に自覚をもって発さないといけないし、行動もしっかり示していかないといけない」。
自身が描くリーダー像に近づくことで、自信が深まった。
社会人時代は仕事と野球の両立に苦しみ、満足にボールが投げられなくなった。だが、ミリオンスターズで復活し、さらに成長することができた。
「片田(敬太郎コーチ)さんがパフォーマンスが出せるよう、真摯につき添ってくださって、自信がもてるように指導してくださったおかげ。本当にすごく感謝していて、どう恩返しをしていいかわからないくらい」。
自身の野球人生が大きく動いた。「勝てるピッチャーになりたい」「野球でもう一度花を咲かせたい」。その思いを実現させてくれたチームに、片田コーチに深く感謝している。
今後については「17年間の野球人生で学生、社会人、独立リーグってここまでいろいろな野球を経験している人って、ひと握りだと思うんですけど、この経験値を自分の中でしまっておくものでないと思っている」と話し、次世代を担う野球選手たちに伝授していきたいと考えているという。
「指導者になりたいというのは、中学くらいからざっくりと考えていた。今年1年やりきるっていう思いが芽生えたときには、もう次は指導者をやろうと」。
未来の野球選手たちにプラスになることをと、青写真を描く。
子どものころに思いを馳せると、学校終わりに友だちと“野球遊び”に興じていたことが浮かぶ。ただ、ルールはオリジナルのものだった。
「限られた人数と場所でルールを自分ふうに工夫して、いかに臨場感を上げて対戦するか、みたいな(笑)。最大限に楽しむ野球のあり方を考えるの、すごく得意だったし、それが楽しかった」。
その思い出があるからこそ、ずっと野球が好きでいられたのだとうなずく。
進路に迷う子や結果を出すために悩んでいる子などに対して、野球に関するあらゆることをサポートしたり、なにがしかのヒントを与えたりと、「自分の知識を使いながら、野球ってこんなに楽しいんだよって伝えられれば」と、型にはまらず活動していきたいと語る。
また近い将来に向けて、さらなるプランも温めている。「野球界にはずっと携わっていきたい」。そんな思いを抱き、野球の競技人口拡大のため、尽力していくつもりだ。
■村上史晃
《町田高校―桐蔭横浜大学―全川崎クラブー石川ミリオンスターズ4年》
村上史晃投手もやはり「優勝した瞬間は一番思い出深い」と振り返り、「昨年はずっと負け続けて勝つ雰囲気でなかったんで、今年の優勝は格別なものがありました」と、しみじみ噛みしめる。
中でも岡﨑監督の存在は大きかったという。
「感情的に怒らない。選手に対してポジティブな発言を、年間通して心がけてやっていただけたので、選手もマイナスな思考にならず、トライし続けられる精神をもってプレーできたと思います」。
自身は人に左右されることはないというが、バックを守る野手の空気感はまったく違い、「監督と野手の距離感や会話はすごくよかったし、ベンチの空気も悪くないなっていうのは、今年ずっと感じていました」と明かす。
ドラフト指名において、年齢は大きなネックになる。しかし村上投手は飽くなき野望をもち続け、今年も変わらずNPBに挑戦した。その根底には揺るがぬ自信があった。
「自分の体を思うように扱えるようになってきて、あと筋肉をつけて投球に落とし込めば球速が出て、レベルアップできるというイメージはできていた」。
しかし、自身が考える理想の体を作るには「あと1年では厳しい」と時間を要すること、球速や変化球など数字的な部分で伸び悩んだこと、そして28歳という年齢も鑑み、引退を決意したという。
それでも「あと2~3年しっかりやり込めば、NPBのトップの選手に近づけていた」と意地も見せる。
入団前はトレーナーとして活動していた。入団後も常に自身の体を使った“人体実験”で研究を欠かさず、ゲームになると厳しい場面をきっちり抑えた。タイガースのファーム戦では和田豊監督から「あの左ピッチャー、よかったね」との評価も受けた。
そんな最年長投手を頼る若手投手は少なくなく、彼らには丁寧にアドバイスをしてきた。
今後もまた、トレーナーの職に就く。野球人にとっての“駆け込み寺”ともいえる球界屈指のボディチューニング施設、「DIMENSIONING」でまた、知識と経験を活かしてセッションにあたる。
と同時に、「オール川崎クラブに戻って、やろうと思っているんです」と、クラブチームでのプレーは続けるという。
「DIMENSIONINGの施設で練習できるし(笑)。どんどん鍛えて、僕は変わらず上を、自分の野球の技術を追求していきたい」。
第一線からは退いても、求道者の野球人生はまだまだ終わらない。
■岡村柚貴
《近江高校―ハーキマーカレッジ―リンユニバーシティ―石川ミリオンスターズ1年》
岡村柚貴選手もまた、「一番は優勝の瞬間だった」と笑顔を見せる。それに加え、岡﨑監督の指導も自身にとって大きかったとうなずく。
「僕はアメリカでやってたんですけど、一から学び直すっていう気持ちで入団しました。監督にはゼロからっていうか、スローイングも配球もキャッチャーとしていろいろ教わりました」。
森本耕志郎選手や寺前湧真選手ら捕手3人で、キャッチャー出身の岡﨑監督とともに練習することが多く、ときに笑いも交えながら汗を流した。
これまで「小中高と日本でちゃんと一から全部教わったってことはなかった」という“捕手道”。アメリカで学んだことは「やっぱり考え方とかちょっと違いがある」とのことで、帰国してからは「日本の野球に適応しようと考えていた」という。
しかし岡﨑監督は「(アメリカでやってきたことを)崩さなくていいよ。活かしてやってくれ」と言ってくれた。個性を尊重してくれることがとても嬉しかったが、自身の幅を広げたいという思いから、「配球などは適応しないといけない部分もあるし、アメリカも日本も関係なく新しく学べるというのは、自分にとってプラスになることがたくさんある」と、積極的に教えを乞うた。
「こうやって1年かけてじっくり取り組んだのは初めてかもしれないです」と、ステップアップできたことに感謝している。
今年のチームは明るく、雰囲気が非常によかった。実は入団前、「高校が厳しかったっていうのもあるし、やっぱり日本では理不尽なことも我慢しないといけないっていうイメージがあった」と少々危惧し、「でも、自分でやるって決めた以上、ちゃんとみんなに適応するように頑張ろう」、そう決意していた。
だが、それらはすべて杞憂に終わり、「すっごいのびのびできて、すごく居心地がよかったっす。監督もめっちゃ優しいし、チームメイトも優しいし。先輩後輩、全員いい人やったし」と顔をほころばせる。
「しかも勝てたし。すごく特別な1年でした。石川に来てよかったなって、本当に思います」。
心の底からの気持ちだった。
今後また、岡村選手は新たな挑戦をする。現在はコロンビアでウィンターリーグに参戦しており、マスクをかぶって外国人投手をしっかりリードし、先日はホームランもかっ飛ばした。また、堪能な英語を生かし、ほかの日本人選手の通訳も買って出ている。
その先は未定だが、何か大きなことをやってくれそうな、そんな期待を抱かせてくれる。今後もその動向に要注目だ。
■杉崎蒼太
《東邦高校―玉川大学―石川ミリオンスターズ2年》
杉崎蒼太選手は悔しさを滲ませる。チームの優勝は「嬉しかったっていう気持ちは強いんですけど」と言いつつも、「今年は自分の結果が出なくて悔しくて」と吐露する。
それは当然だ。独立リーグとは、NPBを目指して「個」をアピールする場なのだから。
昨年は自らの力で「2番・レフト」のレギュラーを勝ち取り、不動のものとした。しかし今年は途中から台頭してきた後輩に、その座を奪われてしまった。競争の世界である。
そんな中、個人の思い出として「1年目、競っているときに日渡(柊太=富山GRNサンダーバーズ)からライトオーバーを打って勝った試合」を挙げる。ドラフト候補の高速投手からの当たりは自信にもなった。
今年、結果は出なかったが、それはさらなる高みを目指したがゆえでもある。「去年と同じでNPBには行けないし、それ以上もない」と現状維持は下降だととらえ、よりレベルアップに取り組んだのだ。
「もっと長打を増やさないと。それで何か変えようと思って、体脂肪を落としたり柔軟性を上げたり、いろいろやったんですけど…。急激にそういうことをしてしまったので、技術が追いつかなくて、結果も出なくなりました」。
進化させた体を思うように扱えなかった。気づいて対策を講じたが、「いろいろ変えすぎて、戻るところがなくなってしまった」と肩を落とす。
岡﨑監督にも頼ったが、「僕のいいときのバッティングと悪いときのバッティング、両方とも見てくれて、リズムの悪さとか具体的にここが悪いっていうアドバイスはいただいたんですけど、それでちょっとよくなったりはしたけど、またダメになるっていう感じで…」と、シーズンを通して継続することができなかった。
状況を考えたバッティングや堅実な守備、そして脚力はもちろん、卓越した走塁もみごとな選手だった。また、スタメンで出ていなくても積極的にバット引きなどもして、陰ながらチームを支えていた。
「去年はみんな静かで自分のことだけやるみたいな感じだったけど、今年はみんながチームのためにっていう気持ちが強くなって、それもあって勝てたと思います。雰囲気は変わりましたね」。
その一員として、優勝に貢献した。
入団時に「2年」というリミットは決めていたが、それでも迷いはあった。しかし「来年は1つ歳をとるわけで、ここでケリをつけようと」と、1カ月弱かけて考え、引退を決意した。しかし「まだ野球をやりたい」と、地元の愛知で軟式野球にトライする予定だという。
「野球自体を辞めようか迷ったんですけど、野球を辞めたあとの僕に、やりたいことっていうのはなくて。やっぱり今やりたいことというのが野球に関わることだったり、後々に野球の指導者もやりたいというのもあって、それでまだプレーヤーを続けようと、この選択肢になりました」。
硬式とはまた違う野球で、自身の引き出しも増やすつもりだ。さまざまな思いを胸に、新たな世界で今後も躍動する。
■田倉正翔
《堀越高校―石川ミリオンスターズ3年》
今季の大半を練習生として過ごした田倉正翔選手にとって、岡﨑監督とマンツーマンで練習した濃密な時間は宝ものだ。
「腕がちぎれる寸前までバッピしてくれて、いつも『どっちが先に倒れるか勝負や』ってやっていました(笑)。ナイターの日はアーリーができるんで、可能な日は毎日やっていました」。
しかし膝の具合が思わしくなく、練習の成果を試合で発揮できなかったのが悔やまれる。
堀越高校を出て3年目。自ら引退を決めた。
「正直、欲をいえばまだまだやりたかったというのはあるけど、やっぱり毎日、練習終わりに膝が腫れて動けないとかあって、もうだましだましやるのもっていう感情もあったので、ここが潮時かなと。それに僕、男ばかりの5人兄弟の真ん中なんです。弟はまだ学生なんで、親を安心させたいっていうのもあります」。
そう語る表情に、複雑な思いが交錯している。
内野手だが、入団当初はチーム事情により捕手登録だった。
「高校で1度もやったことないのに、まさかキャッチャーで試合に出る日がくるかと(笑)。プロでの初めての守備機会がキャッチャーフライでした。福井(ネクサスエレファンツ)戦で、先頭バッターの濱(将乃介=現中日ドラゴンズ)さんが2球目のスライダーを打ったのがめちゃくちゃ高いフライで、それを追っかけているときが一番緊張しました(笑)」。
サードにも就いていたが、その守備機会がないまま、初めて打球を処理したのがキャッチャーだったという貴重な思い出だ。
引退を考えているとき、球団から職員としての声がかかった。一生懸命さや誠実さ、コミュニケーション能力の高さを見込まれたのであろう。「野球が好きなのには変わりないので、野球でお仕事ができる」と喜んで引き受けた。
練習生を経験した自分だからこそ、取り組みたいことがあるという。
「練習生は午後からバイトがあったりで十分に練習ができない。どれだけ野球に集中させてあげられるかなって考えています。練習生こそより練習しなきゃいけないのに、生活費を稼ぐために練習時間を確保できない。悪循環になっている。日本一を目指すには、下から上がる選手をもっと作らないといけないと思っています」。
今季を振り返ると、入れ替えはほぼ登録選手のけがやコンディション不良によるものだった。「ちゃんと実力で勝ち取っていなかった」と省み、「気持ち的にも『何しに来てるんやろう』っていうのが大きいんです」と明かす。
だからこそ、練習生がしっかり練習できて、チーム内競争が活性化するように考えていきたいと意気込んでいる。
ミリオンスターズを「明るくていいチーム。こんなに明るいチームって、今まで出会ったことない。新しい感覚というか、そのへんはやっぱ楽しかった。監督も含めてみんな仲いいんで」と評する。
岡﨑監督だけでなく、前任の後藤光尊監督のことも慕う。
「後藤さんのときも楽しかったです。それに僕、後藤さんがいなかったら、ここにいない。テストを受けに来たとき、後藤さんがバッピして見てくれて、それで受かっているんで。後藤さんに出会ってなかったら、独立の世界にいないんだろうなって思っています。めちゃくちゃ感謝しています」。
近々、「後藤さんのおかげで3年間できました」と、引退の報告もしに行きたいと打ち明ける。
選手から職員へと立場は変わるが、チームを愛する気持ちは変わらない。これから若い力で、新しい風を吹かせてくれるだろう。
■これからも一番星で
みなそれぞれに、石川の地でキラリと煌いた。この経験は今後の糧になり、さらにまた次のステージで光り輝くだろう。
どこにいても何をしても、そこでの“一番星”になるよう、ミリスタ戦士たちのこれからを応援したい。
(撮影は筆者)
【石川ミリオンスターズ*関連記事】
*さらば、ミリスタ戦士たち! キラリ輝いた石川ミリオンスターズの選手たちが優勝報告会にて別れのあいさつ
*能登のため、輪島のために―。阪神の育成D4位・川﨑俊哲(石川ミリオンスターズ)は故郷のために光り輝く
*《2024ドラフト候補》NPB入りして故郷・能登に明るいニュースを! 川﨑俊哲(石川)、5年目の決意