切り札は未知の栄養素、脚気と人々の戦い
脚気はビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1の欠乏によって心不全などを引き起こします。
現代でこそほとんど見かけない病気となりましたが、かつてはかなり発生しており、国も手を焼いていました。
この記事では脚気との戦いにおける未知栄養素の抽出について紹介していきます。
未知栄養素の抽出
バタビアでの調査を終え日本に戻った都築甚之助は、エイクマンが行った動物実験を追試し、脚気の原因解明に挑みました。
白米を餌にして飼っていた生き物が脚気のような症状を示し、玄米や麦、赤小豆などを与えると予防できることを確認します。
都築は「脚気ノ動物試験第一回報告」として発表し、脚気の発症を防ぐ成分が米糠に含まれていると推測しました。
調査会の委員である志賀潔とともに399名の患者を対象に米糠製剤の効果を試験したところ、約6割の患者で改善が見られたものの、確実な治療法とはいえない結果だったのです。
都築はこの実験をもとに研究を続け、米糠から抽出した成分を「アンチベリベリン」と名付け、1911年に発表します。
脚気に効果があることが確認されると、この粗製剤は脚気治療薬として広まり、ビタミンB1製剤が登場する昭和初期まで人々の命を救い続けました。
また、都築は「脚気は主食の偏りだけでなく副食の質と量が大きく影響する」と指摘し、脚気治療におけるバランスの重要性を唱えたのです。
この洞察は現代の栄養学にも通じる考え方といえます。
一方、農学者の鈴木梅太郎も追試を行い、白米を主食とする動物が脚気に似た症状を示すことを確認します。
さらに米糠から脚気予防成分の抽出を試み、1910年に東京化学会で「アベリ酸」として発表したのです。
後に「オリザニン」と名を改められたこの成分は、米糠の中に抗脚気因子が含まれていることを示唆し、ビタミンの概念に近づく画期的な発見でした。
医師でない鈴木は、実際の患者への試験が難しく、脚気治療の効果を証明するには至らなかったものの、翌年にオリザニンを市販する広告を出し、広く使用を呼びかけたのです。
しかし、当時は医療界での評価は低く、脚気治療薬としての利用は限られました。
ようやく1919年になり、医師の島薗順次郎がオリザニンによる脚気治療の成功を報告し、薬効が徐々に認められるようになったのです。
この試行錯誤の末、1931年には東京帝国大学の大嶽了がオリザニンの純粋結晶、つまりビタミンB1を抽出することに成功します。
ビタミンBが複数の成分から成ることが判明しており、脚気に特に効果があるのがビタミンB1であることが1932年に確認されました。
参考文献
山下政三(1995)『脚気の歴史 ビタミンの発見』思文閣出版
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