釧路川の船着場と町の南に由来!JR北海道・釧網本線(東釧路ー網走)廃駅3カ所の今
北海道東部・釧路と網走を結ぶJR釧網本線は、釧路湿原など沿線の見所が多いローカル線です。しかし赤字路線としても知られ、JR北海道発足後3駅が利用者減少のため廃駅になりました。廃駅跡は現在列車が通過してしまい、列車の車窓からはよく見ないと見落とすでしょう。
JR北海道はローカル線の廃止、利用が非常に少ない無人駅の廃駅を進めています。今後釧網本線の駅でも廃駅が進むかもしれません。
釧網本線の廃駅跡は今どうなっているのか?2023年8月車で追いかけてみました。釧網本線の列車旅、車やバイクでの沿線旅の参考になれば幸いです。
水運時代の地名が由来の駅!五十石駅(標茶町・2017年3月廃止)
五十石(ごじっこく)駅は、現在の茅沼駅(標茶町)ー標茶駅の間にあった無人駅です。五十石とは船の重量、米の量を表す単位で、50石は7500kg・7.5トン。駅名での五十石は船の積載重量を意味します。
釧網本線が開通するまで、釧路と標茶を結ぶ手段は釧路川を船で人や物を運搬。川湯温泉そばの硫黄山から硫黄を採掘し釧路へ運ぶ際、五十石駅跡近くの釧路川岸で小さな船から大きな五十石船へ硫黄を積み替えていました。
国道391号沿いにあり、車やバイクで行きやすい場所。
釧路から網走へ走ると、下記写真の場所左側が目印です。
もう一つの目印は国道東側には現在は廃業した五十石温泉「草原」の看板です。
五十石温泉の建物は残っています。
五十石温泉跡から国道を渡り、砂利道を進みます。
砂利道をちょっと歩いて到着。車掌車を使った駅舎(ダルマ駅舎)はありません。
機器小屋と立入禁止看板にロープ。
ホームの跡はほとんどなく、雑草がいっぱいでした。
国道~駅跡手前まで舗装!南弟子屈駅(弟子屈町・2020年3月廃止)
南弟子屈(みなみてしかが)駅は、現在の磯分内駅(標茶町)ー摩周駅(弟子屈町)の間にあった無人駅です。摩周駅は1990年11月、弟子屈駅から駅名変更。南弟子屈駅は1990年11月から廃駅まで、唯一「弟子屈」の名前が付いた駅でした。
国道391号沿い・ENEOSのスタンド前の道から進みます。
国道391号から駅前までの道路は舗装されています。舗装が終わる場所は建設会社の前。
南弟子屈駅も機器小屋と柵だけ。駅舎はありません。
ホームがあった形跡も見つけにくい状況。
釧網本線の線路は柵の手前から見えました。
かつての駅舎は五十石駅と同じく車掌車駅舎(ダルマ駅舎)でした。2020年5月に撤去され、廃駅跡から11km以上離れた釧路圏摩周観光文化センター(外部リンク)の裏手に展示されています。
外観はいつでも見学可能ですが、駅舎内部の見学希望の場合は事前に、平日・弟子屈町教育委員会社会教育課(TEL:015-482-2948)、土日祝・釧路圏摩周観光文化センター(TEL:015-482-1811)に連絡して下さい。
踏切手前・畑にあった駅!南斜里駅(斜里町・2021年3月廃止)
南斜里(みなみしゃり)駅は、現在の清里町駅ー中斜里駅(斜里町)の間にあった無人駅。廃駅当時はホームだけで待合所はなく、停車列車も釧網本線で最も少ない本数でした。
知床国道・国道334号から道道1000号(富士川上線)を進んで近い道路を南に進んだ場所です。ホームは清里町駅寄り・北側にありました。
駅があった頃は西2線踏切の手前右から入り、階段でホームへ上っていました。
ホームは撤去され、跡形もなくなって草が生えていました。
踏切を渡って反対側から見ても痕跡を見つける事が出来ませんでした。
西2線踏切を南から北へ向いてみました。付近に農家が数軒と農地があります。
まとめ
1.JR北海道発足後、釧網本線は五十石駅、南弟子屈駅、南斜里駅が廃止された。
2.3駅ともホームの跡・駅舎は現地にないと言っていい状況。
3.3駅とも車では行きやすく、国道や道道から近い場所にある。
4.車掌車駅舎だったのは五十石駅と南弟子屈駅。このうち南弟子屈駅舎は弟子屈町の施設・釧路圏摩周観光センターの敷地内に展示されている。
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