元財務官僚トップが開駅祝福!現在は立入不可の廃駅!JR北海道宗谷線・上雄信内駅跡
北海道幌延町にあるJR宗谷本線・雄信内駅は歴史ある木造駅舎がある駅です。雄信内駅は現在、南幌延駅ー糠南駅の間にありますが、かつては雄信内駅ー糠南駅の間に上雄信内駅が存在していました。廃止当時は停車本数が少なく、道路からの訪問が比較的難しめの無人駅。
また2023年に設置された地元・雄信内駅前出身の元財務事務次官が書かれた駅ノートに、上雄信内駅の開駅時の状況があります。
廃駅から22年、上雄信内駅跡に問題なくたどり着けるのでしょうか?現地を訪問してみました。
宗谷本線・雄信内駅「津田ノート」に登場!上雄信内駅跡
上雄信内駅は、
1956年5月1日:仮乗降場として開業。
1987年4月1日:JR北海道発足と共に駅に昇格
2001年7月1日:廃止
廃止直前も普通列車が2往復しか停車しない無人駅でした。
小学生だった元財務事務次官・津田廣喜氏が開駅時祝福していた!
実は上雄信内駅が仮乗降場として開業した時、当時小学生だった元財務省の官僚トップ・事務次官を歴任された津田廣喜氏が祝福していました。津田氏は雄信内駅前に生まれ育ち、ご自身が書かれた駅ノートを雄信内駅に2023年3月設置されました。
「津田ノート」2ページにはこう記されています。
小学校の通学範囲としてはほかに、南へ数キロ行ったところに(地区名は「タンタシャモナイ」といいました)、農家だけの集落がありました。10戸弱だったと思います。集落と言っても、各戸の距離は数十メートルから1キロほど離れていました。
今はなくなりましたが、そこに「上雄信内駅」(かみおのっぷない)という駅(当初は乗降場)が存在していた時期があります。駅が作られたのは私が小学生の時(1956年)で、駅が初めて利用される日には小学校の生徒が総出で旗を振って祝ったのを覚えています。
当時の状況を実際に経験された方は、現在きっと非常に少ないと察します。経験者の中に日本の官僚トップだった方がおられるのは驚きです。
津田氏はタンタシャモナイを最近訪問されていない!なら、
上記の文章には更に続きがあります。
駅があった場所を訪れた人の旅行記を見ると、駅があった場所にたどり着けないそうですが、当時はたしかに道がありました。おそらく駅の廃止とともに自然に戻ってしまったのでしょう。
では一般人の鉄道ファンである私が現地へ行ける所まで出かけて報告します!
雄信内駅前からしか近づけない廃駅!上雄信内駅跡
旧宗谷本線転用の町道1本
雄信内駅周辺は天塩川が蛇行する地域です。
上雄信内駅跡へ一般人が道路から行く場合、雄信内駅から進むしかありません。幌延町第2の集落・問寒別や糠南駅方向からは実質不可。
なお文中で取り上げる地点を先にまとめておきます。
航空写真の案内図の方が分かりやすいので、以後こちらを使って説明していきます。
雄信内駅を出発してから
雄信内駅を出発。
駅から道道を進んで突き当りの交差点を左へ。ここから先は1車線の幌延町道雄興1号線。なお左折地点の倉庫については「津田ノート」にも記述があります。
町道をゆっくり進んでいきます。
橋は鉄道橋からの転用
道路のそばに山が迫り、天塩川が蛇行する場所に着くと、道路橋としては異様な、むしろ鉄道橋の様な橋・下平橋が現れます。
下平橋を渡ると、途中に列車の橋で見かける保線作業員が一時待機する場所がありました。徐行しながら渡ります。
宗谷本線は当初、天塩川沿岸の山肌を下平陸橋で通過していました。しかし1961年1月26日に雪崩で全て落橋、更に翌1962年8月、9月に自然災害で橋脚折損・地滑りが起き、長期間不通になります。
このため宗谷本線唯一のトンネルである下平トンネルを含む2.4kmの新線が建設され、1965年7月15日から使用開始。なお町道は旧宗谷本線の線路を一部転用しており、下平橋が線路跡である事を示す施設と言えるでしょう。
ただ下平橋は老朽化が進み、幌延町で2017年から今後どうするか検討が進められています。もし下平橋を渡る時は必ず徐行しましょう。
廃駅跡入口は私有地につき立入禁止!電気柵も
町道を進むと写真の交差点に着きました。地図では左に行くと上雄信内駅跡から見て雄信内駅寄りの線路と交差するとあったので、まず左折しました。
駅跡西側はガード下をくぐると北大演習林!
1車線の舗装された道路を進みます。
すると高さ制限を示すガードが現れました。踏切でなく、線路にある橋の下をくぐります。
くぐり抜けてから交差点方向を見ました。橋の上には線路の砂利が見えます。
1964年9月にガード工事が実施されたかと思われる表記がありました。
制限高さは3メートルですが、枝が延びているのでゆっくり進みました。
ガードをくぐると、牧場主と思われる方の人家や農場設備の他に、森林への入口に面白い看板がありました。
地区名「タンタシャモナイ」の看板横に、日本で最も北に位置する大学研究林・北海道大学天塩研究林(外部リンク)の敷地でした。
先程の交差点まで戻り、上雄信内駅跡に向かいます。
駅跡への道跡と間違えそうな電柱あり
上雄信内駅跡位置が書かれた地図を頼りに町道を進みますが、もしかしてと初めて訪問した人が迷うポイントがありました。
電柱・電線が牧草地の敷地を通り、宗谷本線の方向に続いているのです。しかし目の前には野生動物対策の電気柵。
望遠レンズで撮影してみました。どうやらこの電柱、北大演習林入口付近にある農家へつながっているようです。
上雄信内駅跡ではないと判ったので、進みます。
上雄信内駅跡への目印はこれ!でも行けない
上雄信内駅跡が書かれた昔の地図を頼りに、町道と線路が最も接近する地点に到着。
すると線路の方向に道があったと思える出入口を発見!
ただ近づくと野生動物が牧草地へ侵入しないよう、電気柵が周囲にあるので、これ以上は関係者以外行けません。
柵のそばで望遠レンズで撮影すると、線路が見えました。
上雄信内駅跡へ一般人が道路から行けない理由は私有地だから。牧草地内は手入れされていました。一般人が安全に上雄信内駅跡を間近で見るには列車の車窓から眺めるしかありません。
撮影ポイントで上雄信内駅と反対方向を向くと、農家への道がありました。出入口に柵があり、入れません。
道が先にまだあり、線路まで続いているので行ってみました。
駅跡東側には警報機のない踏切
上雄信内駅があった頃に駅へ行く、牧場内の道出入口から町道を更に進みます。
すると警報器がない踏切がありました。「止まれみよ」の看板もないので、牧場、JR、電気、電話、及び北大演習林の関係者が利用する位かもしれません。
安全を確認して、踏切から上雄信内駅跡方向を眺めますが、駅跡手前に緩やかなカーブがあるので分かりにくい。
踏切の周囲を見ます。
旭川方向は見通しが良かったです。
踏切から更に、宗谷本線に沿って牧場の端で行き止まりの砂利道がありました。
道路から上雄信内駅跡を見るのは難しかったです。
まとめ
1.JR宗谷本線・上雄信内駅跡へ一般人が道路から安全に行くのは難しい。
2.雄信内駅にある「津田ノート」に上雄信内駅(乗降場)が開業した時の話がある。筆者の元財務事務次官・元早稲田大学大学院教授の津田廣喜氏は当時地元・雄信内の小学生。
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