夏草や過去の駅は北の跡!JR北海道宗谷本線(幌延ー稚内)の廃駅3カ所
JR北海道宗谷本線の廃駅をたどります。旭川駅ー名寄駅、名寄駅ー音威子府駅、音威子府駅ー幌延駅に続き、今回は最後・幌延駅ー稚内駅にある廃駅跡を訪問した時の模様です。
今回は幌延町1駅跡、豊富町2駅跡を紹介します。稚内市内の廃駅は、1989年の天北線廃止と1945年の稚内桟橋駅廃止のみでした。(訪問:2023年8月)
町道からしか行けない廃駅!南下沼駅(幌延町・2006年3月廃止)
南下沼(みなみしもぬま)駅は、現在の幌延駅ー下沼駅(共に幌延町)の間にあった無人駅。地図上の目印は、
1.国道40号が宗谷本線の上を通るオーバーパス
2.オーバーパス稚内側に北東方向へ延びる町道との分岐
幌延市街地から国道40号を北上し、オーバーパスを降りてすぐの町道に入ります。
町道のカーブの先には人家があります。
線路の保守などで使っているのか、町道からの南下沼駅跡への砂利道は簡単に歩けます。しかし廃駅までは町道との分岐から線路を渡り、国道40号へ通じる道がありました。
町道から見ると、線路から先が藪どころか木が生えているので、国道40号を車で走った時、国道沿いにある南下沼駅跡への入口を失念。
Google Mapsの上空写真を見ても、国道40号から線路まで南下沼駅跡への道ははっきりしていません。
かつて南下沼駅は稚内方向を向いて左側・南西側にホームがあり、更に踏切がありました。
かつての踏切の跡がないのを確認して、駅跡手前から稚内側を撮影。先に見える橋が国道40号のオーバーパスです。
駅のホーム出入口はホームの稚内側にあり、踏切に通じていました。下記写真では黄色い花が咲いている場所付近がホームのあった場所です。
廃駅後、保線等の拠点で使われる廃駅の一部エリアは状態が比較的よいのは南下沼駅跡だけでなく、豊富町内の廃駅2か所にもあてはまります。
隣駅豊富と共に縁起良い名前の廃駅!徳満駅(豊富町・2021年3月廃止)
徳満(とくみつ)駅は、現在の豊富駅ー兜沼駅(両方とも豊富町)の間にあった無人駅。かつての地名は福光(ふくみつ)でしたが、富山県に既に同じ名前の駅があったので変更されました。
隣の豊富と共に語呂が良かった(徳が満ちる、徳が満ちて豊かな富を得る)ので、国鉄時代に駅員がいた頃は切符の販売で人気でした。
ちなみに豊富駅は名前のせいか、宗谷本線・名寄ー稚内の途中駅では最大の乗降客数で、駅員がいる音威子府駅、幌延駅よりも多いです。
徳満駅跡は国道40号からすぐ、国道の西側にあります。
虎ロープは訪問当時垂れていましたが、ロープが張っていた場合手前になる場所から撮影。
廃止当時の待合所やホームはありませんでした。駅跡は草刈がされていたので、JRの保線担当者や地元の人によって定期的に手入れされているのかもしれません。
廃駅から22年経過しても跡は明快!芦川駅(豊富町・2001年7月廃止)
芦川(あしかわ)駅は、現在の豊富駅ー兜沼駅の間、徳満駅の稚内側にあった無人駅。徳満駅跡ほどではないけど、国道40号から行きやすい場所にあります。
廃駅から22年経過していますが、アスファルト舗装が錆びついた柵の手前まで残っていました。
柵の手前からホームや線路を撮影。訪問当時ホーム跡は草にほとんど覆われていました。また貨車駅舎があったのですが、隣の兜沼駅近くの民家に移設されています。
電気関係の機器小屋は現役。
機器小屋の先・旭川方面に道があるので行ってみました。
線路に通じる砂利道に行けます。保線作業で使っていそうです。
駅跡から国道40号へ戻ります。すぐ近くに人家は見当たらりません。芦川会館くらいです。
駅から国道40号に出る人は今やわずかですが、自分の様な観光客を意識したかのような道路標識が交差点に。
まとめ
1.南下沼、徳満、芦川3駅共に現地に駅舎とホームはなし。
2.駅跡への道は、南下沼駅跡で一部自然に還っているが、徳満駅跡や芦川駅跡は問題なく行ける。
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