支配下→育成→戦力外→裏方→独立リーグ⇒NPB復帰〜破天荒な古村徹(DeNA)を支えた三つの思い〜2
11月20日、横浜DeNAベイスターズは古村徹投手(富山GRNサンダーバーズ)と2019年シーズンの選手契約を結んだことを発表した。
支配下選手から育成契約、そして打撃投手として裏方業まで務めたが、選手への思いを断ち切ることはできなかった。
そこで、再びNPBに返り咲くために独立リーグで牙を砥ぎ続けた。
簡単ではなかった。何度もつまずき、立ち止まり、ときには後戻りすることもあった。
(これまでのいきさつ⇒「戦力外から裏方、そして再びプロ野球選手へ」【前編】 【後編】)
そしてようやく、誰も成し得なかった境地にたどり着いた。
そんな破天荒な古村投手に秘められた三つの思い。一つ目は大先輩である西清孝さんから授けられた、見返してやりたいという「反骨心」だ。甘っちょろい気持ちではできないということを、西さんは教えてくれた。(参照記事⇒「1」)
その「反骨心」と表裏一体となって古村投手を支えてくれたのが、「感謝」だ。これが二つ目の思いである。
■関わってくれたすべての人に「感謝」
助けてくれた人、指導してくれた人、応援し続けてくれた人、待っていてくれた人…感謝したい人は枚挙にいとまがない。
貴重なアドバイスでもっとも重要な指針を示してくれた西清孝さん、西さんを紹介してくれた木塚敦志コーチ、選手復帰にあたってまず動いてくれた進藤達哉ヘッドコーチ(現在は編成部長)、実績もないのに受け入れてくれた愛媛マンダリンパイレーツ。その後、大きく飛躍する場を与えてくれた富山GRNサンダーバーズと伊藤智仁監督はじめ関わっている人々。また、そこに結びつけてくれた関係者のみなさん。多くの人たちの後押しには感謝してもしきれない。
そしてなにより家族だ。実は選手を一度上がって裏方を引き受けたとき、両親には何の相談もしなかった。いや、できなかった。
「選手が終わることが悔しいし、裏方として残ることに恥ずかしさもあった。親の期待に応えられなかった申し訳なさもあった。それで言えなくて、自分で勝手に決めた」。選手を上がって、なんとなくチームに残るんだと言葉を濁していた。
裏方の1年を終えて選手復帰の決断をし、両親にその決意を告げたとき、初めて明かされたことがあった。「実は選手が終わったと言われたとき、何日も眠れない日が続いたんだよ」と。
小学2年から始めた野球をずっと応援してくれていた両親。日産のレーサーだった父・裕司さんには我が子もレーサーにしたいという願いがあったというが、それを押し込め、息子の投げる姿に夢を託してくれた。
そんな親に相談もせず、親がどんな思いをしているかも知らないまま、勝手に裏方をやっていた自分のエゴを顧みた。その瞬間、「バチンと火がついた」とそれが決定打となり、一切の迷いはなくなり、「絶対に選手に復帰する」との決意を強固にした。
もう一度、両親の喜ぶ顔が見たかった。1軍で投げる姿を見てもらいたいと切に思った。
■温かいベイスターズの先輩たち
さらに古巣の先輩たちの温かさにも感謝の念が尽きない。
まず選手復帰を決めたとき、まっ先に自主トレに誘ってくれたのが国吉佑樹投手だった。その前年の自主トレもタイで行った国吉投手と、2016年はじめにタイに向かった。1月でも気温はゆうに35度はある中、ふたりで体をいじめ抜いた。
今もずっと気にかけて定期的にLINEをくれる国吉投手は、自身のおさがりのウェアもどっさり送ってくれた。「そのおかげで富山のチームの8割くらいの選手は『Yuki 65』とネームが入ったウェアを身に着けている」と頬を緩める。潤沢にウェアなどを購入できる余裕のない独立リーグの選手にとって、こんなにもありがたいことはない。
古村投手本人のみならず、チームメイトのことにまで気を配ってくれる先輩だ。
古村投手のグラブケースも国吉投手から譲られたものだ。「ずっと愛用してる。実は両手に持って戦ってきた(笑)」。ニヤリと明かしたのが、もうひとつのグラブケースの存在だ。
そちらは須田幸太投手からのお下がりだ。今年の1月は須田投手のお誘いで、宮古島での自主トレに参加させてもらった。そこで須田投手からもらった貴重なアドバイスも、飛躍のきっかけになっている。
また、2016年シーズンのことだ。ベイスターズが東京ヤクルトスワローズとの公式戦で、愛媛の坊っちゃんスタジアムを訪れた。
当時、愛媛(四国アイランドリーグ)に所属していた古村投手も、古巣のチームメイトに会うべく練習中に陣中見舞いに駆けつけた。倉本寿彦選手ら旧知の選手たちと談笑し、グラウンドを後にした。
すると、古村投手が来ていることを聞きつけた山崎康晃投手が練習後、連絡をくれた。練習中には会えなかったのだ。
「どこにいるの?」「ひさしぶりだから会おうよ」。そう言って球場ロビーに出てきてくれた。
そのとき「待ってるよ」と言って差し出してくれたのが、山崎投手が愛用しているサングラスだった。その気持ちに感激し、古村投手は今も大切にそのサングラスを使っている。
ベイスターズにいたときから優しい先輩だった。その「待ってるよ」の一言は、温かく響いた。
■「反骨心」と、相反する「感謝」。そして…
「見返してやりたい」という炎を燃やしつつ、その一方で、支えてくれるすべての人たちへの感謝の気持ちを忘れたことはなかった。彼らの一言一言が背中を押してくれ、勇気を与えてくれた。
そういったすべての人たちに恩返しをしたい。報いる方法はただひとつ、NPBに復帰することだと信じた。だから、どんなことも乗り越えてこられた。そして実現することができた。
そんな古村投手にはもう一つ、大切な思いがある。その三つ目の思いとは…。(3に続く)
【古村 徹(こむら とおる)】
茅ヶ崎西浜高⇒横浜DeNAベイスターズ⇒愛媛マンダリンパイレーツ(四国アイランドリーグ)⇒富山GRNサンダーバーズ
1993年10月20日(25歳)/神奈川県
180cm 78kg/左投左打/B型
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