「ハマの便利屋」寺田光輝が光り輝く―横浜DeNAベイスターズ6位指名は石川ミリオンスターズの守護神

「ハマの便利屋」を定着させるゾ!(撮影:筆者)

■横浜DeNAベイスターズから6位指名

多田野数人コーチと談笑(撮影:筆者)
多田野数人コーチと談笑(撮影:筆者)

 「第6巡、選択希望選手。横浜DeNA、寺田光輝」―。ドラフト会議のテレビ中継から流れてくる声に、当の本人は一瞬キョトンと狐につままれたような表情をしたあと、「オレ?オレ?」と周りに何度何度も確認した。

 「だって前評判は寺岡(寛治)のほうが高くて、先陣切るのは寺岡だろう、寺岡が呼ばれてからボクらの番かなと思ってて。『寺…』ってきたんで『あぁ、寛治きたんだ。よっしゃ!』って。そしたら『…田光輝』って言ったから、めちゃめちゃテンパりました(笑)」。

 BCリーグ・石川ミリオンスターズのドラフト候補投手3人の中で真っ先に名前を呼ばれた寺田光輝投手が、喜ぶよりただただ驚いたのはこういうわけだった。

(撮影:チハル)
(撮影:チハル)

 さらにこんなこともあった。「指名確実」―そういわれて臨んだ昨年のドラフト会議で、呼ばれたのはチームメイト3人の名前だけ。ともに頑張ってきた仲間のプロ入りは「自分のことのように嬉しかったし、感動した。知り合いがプロいくって、すげぇ」と心から祝福した。しかし自身は指名漏れという現実に、頭の中は真っ白になった。

 その後、急性胃腸炎や肺炎を引き起こすなど、体調も崩した。「切り換えよう」と平静を保っていたつもりだったが、身体は正直だった。相当なダメージを受けていることを、己の身体が教えてくれた。

石川からは3人が支配下指名された(撮影:筆者)
石川からは3人が支配下指名された(撮影:筆者)

 「去年(のドラフト)は何も不安がなかったし、いけるものと思い込んで疑わなかった。逆に今年は去年のことがあったので、怖いという気持ちしかなかった」。そういうこともあって「信じられない気持ちが強かった」のだ。

 ようやく心の底から喜べたのは、ドラフト後にベイスターズの進藤達哉GM補佐の指名挨拶を受けてからだ。「どういう部分でチームに必要とされているのか話していただいて、このチームの一員になれるんだという実感がわいてきた。そのへんから、ようやく嬉しさとか安心とか…」。じわじわと高まってきたようだ。

■恩師・筑波大の奈良隆章コーチ

石川でのイベントにて(撮影:筆者)
石川でのイベントにて(撮影:筆者)

 ここまでたどり着くことができ、関わったすべての人に感謝している。中でも寺田投手の野球人生において、大きな鍵を握っていた人物がいる。筑波大時代の野球部コーチ、奈良隆章さんだ。現在はアメリカでコーチ留学をされている。

 プロに行く気満々で入学した筑波大だったが、卒業するころには現実を思い知らされた。「これまで井の中の蛙だったな。とてもプロなんて行けない」と。4年の9月には地元の企業から内定をもらっていた。

 しかし、そこで「待て待て待て!」とストップをかけたのが奈良コーチだった。「野球を諦めるのはまだ早い。挑戦してみろ」と、続ける道を示してくれたという。それがBCリーグ・石川だった。

子どもたちに大人気(撮影:筆者)
子どもたちに大人気(撮影:筆者)

 「可能性があるのならやってみよう。ダメならここ(石川)でボコボコにされて諦めよう」。寺田投手もそう決意した。自分の中で区切りをつけていたつもりだったが、野球を続けたい気持ちが残っていたことに、奈良コーチが気づかせてくれたのだ。

人生で一番サインした日(撮影:筆者)
人生で一番サインした日(撮影:筆者)

 そもそも伊勢高から地元の国立大に進学した寺田投手は、すぐに進路に迷いが出た。プロ野球選手になりたいという気持ちは持ちながらも、「なれなかったとき、この学部で仕事に就けるのか」などと考えたりしていた。

 そこで思いきって勝負をかけようと筑波大を目指すことに方向転換し、大学を休学して受験勉強に勤しんだ。もちろん、その間も野球の練習は続けた。ひとりで走り込みやジム通い、また、持っていた4球の硬式球をただひたすらネットに投げ込むことを繰り返した。

器用!左手でも投げられるんです(撮影:上・筆者、下・チハル)
器用!左手でも投げられるんです(撮影:上・筆者、下・チハル)

 そうして晴れて筑波大に合格したのだが、実はこの入試のときから奈良コーチとの縁が始まっていた。体育専門学部の試験教官だったのだ。

 野球の実技を見ていた奈良コーチは、「寺田は目が輝いていた。気持ちが伝わってきた」と言っていたという。その当時から、寺田投手に何かを感じ、ずっと気にかけてくれていたようだ。

 だからドラフト指名は自分のことのように喜んでくれた。「オマエ、すげぇな!よかったな」。海のむこうから伝わってくる恩師の懐かしい声を聞いて、寺田投手も恩返しができたことに改めて喜びを噛みしめた。

■読売ジャイアンツ・田原誠次投手はサイドスローの師匠

(撮影:チハル)
(撮影:チハル)

 ほかにも力になってくれた人、アドバイスをくれた人はたくさんいる。

 今年1月、石川での繋がりから自主トレに参加させてもらった読売ジャイアンツ田原誠次投手には、同じサイドハンドの使い手として技術的な指導を仰いだ。中には目からウロコの発見もあった。

 「サイドスローって、円盤投げみたいに遠心力で投げると思われがちだけど、そうじゃなくてしっかり体の内から腕を出すんです。あと、手首を立てるとか。実はボクも遠心力のほうが力が使えるって勘違いしていた」と明かす。

(撮影:チハル)
(撮影:チハル)

 大学卒業まではオーバースローだった。「特徴をつけたかった。上から放っていて150キロのピッチャーと勝負になるのか、って。勝負をかけようと思ってサイドにした」と、“サイド歴”はその時点でわずか1年だった。

 そこで田原投手から「サイドならではの」「サイドにしかわからないこと」を多々教わった。

(撮影:チハル)
(撮影:チハル)

 「瞬発性がすごく高く、腰の回転力が強い」と石川の片田敬太郎フィジカルパフォーマンスコーチも太鼓判を押すように、骨盤の使い方など寺田投手の体に横手投げは合っていた。

 しかし始めてからまだ日は浅い。自主トレ中に田原投手から教わったことがなかなか自分のものにできず、シーズン中も度々LINE(無料通話・メールアプリ)で経過報告し、その都度アドバイスをもらった。

 田原投手もドラフトを気にかけてくれ、当日も「運命の日、頑張ってこいよ」、そしてドラフト後には「おめでとう」とLINEをくれた。田原投手の指導や気持ちに応えられたことが嬉しかった。

■かつてのチームメイト・矢部祐歩投手からの助言

石川のマスコット、スタ坊のぬいぐるみを手渡す(撮影:筆者)
石川のマスコット、スタ坊のぬいぐるみを手渡す(撮影:筆者)

 ドラフトにかかることを目指して、今季は力強いまっすぐを求めた。シーズン前の冬場から走り込みやウェイトに、今まで以上に力を入れた。短ダッシュを繰り返し、スクワットも回数ではなく、限界まで重量を上げた。

 しかしシーズン序盤はそれが力みにつながり、上半身の力まかせのフォームになっていた。球速は出ていても、「ボールがいかない」と首をかしげた。さんざん悩み抜いたが、自分では答えが出せなかった。

イベントの表彰式にて(撮影:筆者)
イベントの表彰式にて(撮影:筆者)

 そんな折り、YouTube(動画投稿サイト)を見たという昨年のチームメイト・矢部祐歩投手(現在は三菱自動車倉敷オーシャンズ)から電話があった。「どうしたの?フォームがおかしいよ」と。5月に入る前だった。

 そこで自分でもいいときの動画と見比べてみると、「踏み出した前の足が突っ張っているし、リリースが早い。腕だけで投げている」と気づいた。明らかに上下のバランスを崩していたのだ。

 原因さえ判明すれば、もう迷いはなくなった。下半身の体重移動をより意識することでフォームを取り戻し、力強いまっすぐが投げられるようになった。

表彰状を読み上げる(撮影:筆者)
表彰状を読み上げる(撮影:筆者)

 加えて武田勝 総合コーチの存在も大きかった。教わったのは「股関節を大きく動かして、脱力してピッと投げられるように。力感ないフォームで、投げる瞬間だけペッとしっぺみたいな感じで」という“しっぺ投法”だ。感覚の問題だが、寺田投手の体はしっかり理解し体現している。

■オリックス・バファローズ・山岡泰輔投手のトレーニング法

山岡投手との話(撮影:筆者)
山岡投手との話(撮影:筆者)

 さらにBCリーグ選抜チームでオリックス・バファローズと対戦したとき、たまたま調整のために舞洲にいた山岡泰輔投手と話すことができ、それも今、役に立っている。お互いプロ野球選手としては小柄な部類だ。貪欲な寺田投手は、山岡投手のトレーニング法に興味があったという。

 「ボクは、どの程度の体のハリがあれば一番パフォーマンスが出せるのか、わかっているから。先発に向けてその状態になるようトレーニングしている」。山岡投手も気さくに打ち明けてくれた。

 本数のノルマは設定せず、自分の体に聞いて相談して、投げる日に最高のパフォーマンスが出せる体に仕上げる。体の状態によって追い込むときもあれば、軽めにすることもあるとのことだ。

山岡投手とパチリ(撮影:筆者)
山岡投手とパチリ(撮影:筆者)

 話を聞いて「ついやりすぎてしまう性格なんで…。これまで自己満足でやってたし、意味のない努力だった」と気づいた寺田投手は、現在は「臨機応変にやれるようになった」という。

 「自分の体をもっと知ろうと思ったし、体と相談してやりたい」。もちろん、より高みを目指すために追い込むことは前提だというが、ケガをしては元も子もない。自分の体を知るということが、もっとも重要になる。

■地元でオーダーしたグラブには・・・

刺繍入りのグラブ。わかりやすいよう角度を変えて何枚か撮ってくれる気遣い(撮影:寺田光輝)
刺繍入りのグラブ。わかりやすいよう角度を変えて何枚か撮ってくれる気遣い(撮影:寺田光輝)

 生家は伊勢神宮のすぐ前だ。「地元がめちゃくちゃ喜んでくれている。それは目指してきたことのひとつなので、本当に嬉しい」と“伊勢市愛”を炸裂させる。

 昨年のドラフト後に帰省したとき、馴染みのスポーツ店でグラブを新調した。黄色いそのグラブには「2016.10.20 感謝」と刺繍してもらった。崖っぷちから突き落とされたようなあの日の日付だ。

 「1日1回は練習で使います。手を抜きそうなとき、見て思い出すように。後悔はしたくないから」。人間、誰しもサボりたくなる日もある。しかしそんな自分を“あの日の自分”が見たら、どう思うだろう。きっと叱咤するに違いない。

 だから自分への戒めとして作った相棒は、常に携えている。あの日の悔しさを忘れないために。そして、支えてくれたすべての人への感謝もこめて。

■すべてにおいて昨年よりレベルアップ

レアなバッティング写真(撮影:チハル)
レアなバッティング写真(撮影:チハル)

 しかし寺田投手、今年の指名になったことを実はプラスにとらえている。「去年は自分のことをわかっていなかったし、武器もなかった。プロに入れても通用しなかったかもしれない」。

 逆にいうと、今年は自分のこともわかり、武器を手に入れたのだ。

 まず、最速146キロのストレートだ。横手でこれだけの速さとなると、相当打ちづらい。球速の数字だけでなく、昨年より確実にキレや勢いが増している。コントロールが少々甘くなっても、空振りやファウルがとれていた。

爽やか笑顔もチャームポイント!?(撮影:筆者)
爽やか笑顔もチャームポイント!?(撮影:筆者)

 また、「去年はカットとスライダーが曖昧だったけど、今年は明確に投げ分けている」と意のままに操っている。さらに「シンカー系…まぁツーシームかな。その精度も上がった」と対になる球にも手応えを見せる。サイドにとってはより有効な球だ。

 「ウリは変速投法からの打ちづらさ。バッターに打席に立ちたくないと思わせたい」。さらに打者を観察し、状況を読みがらタイミングを変えて投げるなど、クレバーさも大きな持ち味だ。

■ハマの便利屋

「ハマの便利屋」のサイン(撮影:筆者)
「ハマの便利屋」のサイン(撮影:筆者)

 起用は、まずは右打者のワンポイントからかもしれない。しかしゆくゆくは「1イニング任せてもらえるように」と意気込む。

 ベイスターズといえば「ハマの○○」というネーミングが定着している。気の早い寺田投手は、すでに自ら名乗っている。「ハマの便利屋」と。

 そのココロは「どんな場面でもいけるピッチャーになりたい」ということだ。「勝ってようが負けてようが、チームが困っているときは『寺田』といってもらえるように。苦しい場面でチームに勢いや流れをもってこれるようなピッチャーになりたい」。

 「ハマの便利屋」が横浜スタジアムで光り輝く日は近い。

寺田 光輝てらだ こうき)】横浜DeNAベイスターズ・6位

1992年1月5日生/175cm 73kg/右投 右打

三重県出身/伊勢高校―筑波大学

サイドからの最速146キロのまっすぐはキレ味抜群!カット、スライダー、ツーシームを織り交ぜ、頭脳ピッチングで相手を翻弄。

優しい顔立ちとは裏腹に、打者に向かっていく強気な姿勢も魅力のひとつ。

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