鉄の意志を持つ“富山の末っ子”・湯浅京己がたった1年でプロ野球の扉を開いた(阪神ドラフト6位)―後編

5月20日、初勝利の日のマウンド

 いつも笑っている。笑顔以外の表情がすぐには思い浮かばないくらいだ。ニコニコ笑顔の「あっちゃん」は、チーム内でも末の弟のように可愛がられている。

 しかし、このあどけない顔からは想像もつかないほどの芯の強さを秘めている。鋼のような意志を持っている。

笑顔が炸裂
笑顔が炸裂

 野球だけに集中したい―。

 そう自ら選択し、BCリーグからNPBを目指すことに決めた湯浅京己聖光学院高校3年、弱冠18歳のときだ。意志を貫き、ドラフト1位で富山GRNサンダーバーズに入団した。

 「自分で自分の京(みやこ)を築けるように、自分の道を進んでいけるように」という意味がこめられた「京己あつき)」という名前のとおりに。

■あらゆる方法でフォームの修正

軸足で立った状態でボールを受け取り投げる
軸足で立った状態でボールを受け取り投げる

 伊藤智仁監督(ヤクルトスワローズ―東京ヤクルトスワローズ、来年度は東北楽天ゴールデンイーグルス)からはありとあらゆることを教わった。

 まずはフォームの修正から取りかかった。「僕、最初のころはピッチングフォームが突っ込んでたんで。突っ込んで頭を振ってたんです」。だから投げる度に帽子が飛んでいた。

 伊藤流の練習法はいろいろあるが、そのひとつとしてマウンドの傾斜を逆に使ってシャドーピッチングをするという方法がある。踏み込む前足の位置でキャッチャーに背を向けて立ち、マウンドの方向に踏み込むのだ。そうすることで重心が後ろに残り、突っ込まなくなるというわけだ。

片膝をついてのネットスロー
片膝をついてのネットスロー

 さらには帽子をかぶったその上に、頭頂から顎にかけてヘアバンドを装着して投げるということもやってみた。すると帽子が飛ばなくなった。物理的に固定したからというより、意識づけができたことで頭を振る癖が修正され、飛ばなくなったのだ。

 片膝をついたままでのネットスローも修正方法のひとつだ。「上半身だけで投げることで、開かないように意識できる」という。

 また、左足を上げて右足で数秒立った状態でボールを受け取り、ネットに投げる。軸足でしっかり立つことでコントロールがよくなると解説する。そのほか、さまざまな練習方法が伝授された。

 同時に体作りも行った。「最初の1ヶ月はトレーニングを中心にやって、(ゲームは)ゴールデンウィークぐらいからって言われていた」。

■初勝利はお母さんのお誕生日

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 そして当初の計画どおり、5月4日に先発で初登板した。投げるイニング数も登板前から告げられており、3回を4安打4失点だった。中7日空けて3回、そして同20日に最長の6回を投げ、3安打で三振も6つ奪って2失点。この日、記念すべき初勝利を挙げた。

 「体も細くてまだまだだったけど、初めて勝てて、そのときはただ嬉しかった」。

初勝利の日
初勝利の日

 実はこの日は母・衣子さんのお誕生日だった。三重から駆けつけてくれた両親の目の前で勝ち星を挙げ、ウィニングボールをプレゼントすることができた。

 本来なら前日の19日に先発する予定だった。20日は先輩の乾真大投手北海道日本ハムファイターズ読売ジャイアンツ)の登板予定だったが、13日が雨で流れた乾投手の登板が19日にズレ込み、それにともなって湯浅投手は20日先発になったのだ。野球の神様の粋な計らいだったのかもしれない。

親孝行な息子
親孝行な息子

 「お母さんの誕生日だし、まだ勝ったこともないんで、勝ちたいって試合前からずっと思ってて。絶対に勝ってやるって思いながら投げてました。試合後すぐに(ウィニングボールを)渡しに行きました(笑)」。

 「ありがとう」と喜んでくれたお母さん。高校時代、腰を痛めて苦しんでいるときもずっと励ましてくれた。「もう辞めたいって何回も思ったけど、いつも『頑張れ』って支えてくれてたのが両親だった」。ほんのちょっぴり恩返しできた。「でもまだまだです。もっと恩返ししたいって思ってます」。両親の支えなくしては今の自分はなかったと思っている。

■読売ジャイアンツ3軍との試合で大きく崩れた

何してるのかな?
何してるのかな?

 その後は伊藤監督の期待に応えて先発ローテーションの一角を担うことになった。しかしこれが紆余曲折の始まりだった。勝ち星が挙げられず、7月半ばまでで1勝3敗と負けが先行した。

 「フォームが崩れてバラバラで、自分でもちょっと、わけわかんなくなってましたね」。それでも責任回数の5回は必ず投げた。「なんとかしたいと思っていた。とにかく練習するしかない。自分の技術不足なんで」と自らを追い込んだ。なによりチームに迷惑をかけていることが心苦しかった。

肩甲骨周りが柔らかい
肩甲骨周りが柔らかい

 そして迎えた7月15日の読売ジャイアンツ3軍との試合。ここでさらに大きく崩れた。3回9安打、四球も5つ与えて12失点。

「プロ相手なんで、いつもと違った空気じゃないですけど、すごい緊張はしました」。抑えてやると意気込んで、普段以上に気持ちは入っていたが、気合いが空回りしたのか。

笑顔でお片づけ
笑顔でお片づけ

 その後、「すごく悔しくて走り込んだ。フォームもわからなくなってたので、いろいろ試したりして」。やはり元々の突っ込む癖が顔を覗かせていたようだ。連日シャドーピッチングやネットスローで修正した。

 それが奏功し、同22日に自己最長の8回を投げて1失点で2勝目を挙げた。「ホッとしましたね」。喜びより安堵感のほうが強かった。

■伊藤監督と二人三脚でミニキャンプ。そして自己最速の151キロが出た

ジャンプメニューのひとつ
ジャンプメニューのひとつ

 しかしまた試練が訪れる。次の登板で再び大量失点してしまう。3回と2/3で降板し11失点。次の登板でも5回3失点(自責は1)で負け投手となり、6つ目の黒星を喫した。

 そこで伊藤監督が動いた。「ミニキャンプをやるぞ!」と。8月9日のことだ。

 入団して意識的に体を大きくしたことで80kgだった体重が88kgに増えていた。それによってキレが落ちていることに伊藤監督は気づいたのだ。そこでしばらく登板は空け、瞬発系のドリル、ジャンプやラダーを使うなどしてキレを出すことに専念した。その間も伊藤監督はずっとつきっきりで見てくれ、結局そのメニューはシーズン終了まで続けた。

もくもくとネットスロー
もくもくとネットスロー

 8月25日に17日ぶりの登板をし、7回1失点で3つ目の白星を手に入れた。ミニキャンプの効果か148キロを出して自己最速を更新した。初勝利の日に147キロを計測して以来なかなか上がらなかったが、やっと自己新が出た。体重を増やしつつキレを出せたことが要因だと本人は自覚している。

 シーズン最終登板は新潟アルビレックス戦だった。「一番調子がよかった」と実感したそのままに149キロが出た。しかし2人目の打者に危険球を投じ、初回一死で退場となってしまった。感覚がよすぎただけに、非常に残念だった。

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 ポストシーズンに入り、後期優勝をした富山は前期優勝の福井ミラクルエレファンツと、西地区のCS(チャンピオンシップ)に臨んだ。9月17日、2戦目の先発を任された湯浅投手は、七回までは散発の4安打2失点と快調に抑えていた。「ミニキャンプをしてから状態はずっとよくて、感覚的にも今までにないくらいの感じで投げられていた」。8月25日の3勝目以降、調子のよさをキープしていた。コントロールも定まってきた。

 ところが八回に突如、崩れた。満塁から押し出しで失点したところでタオルが投げ込まれた。「バテました(笑)。飛ばしすぎましたね」。シーズン中のゲームとは意味合いが違う。前日負けて、あとがなかった富山。湯浅投手としても「気持ちも気合いも入ってて、初回からかなり飛ばしていってたんで」と、七回までで通常よりスタミナを消耗していた。 

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 この日、自己最速となる151キロが出た。「球は走っているとは思ったけど、終わったあとに聞いてビックリした」。本人としては球速よりチームを勝たせたかっただけに、キャリアハイの数字に喜ぶよりも肩を落とした。

 しかしミニキャンプ以降、確実にボールの威力は上がっている。151キロも出るべくして出たのだ。マウンドで吠える姿も堂に入っている。この1年で大きく飛躍し、すっかりプロの投手らしくなった。

 このころには「湯浅京己」の名前はNPBスカウト陣の間で知れ渡っており、何球団ものスカウトマンがその目で確かめようと富山に通ってきていた。そして評判に違わないことを確認して帰っていった。

■甲子園球場がホームに

笑顔でキャッチボール
笑顔でキャッチボール

 10月25日のドラフト会議。ずっと緊張して待っていた。ソワソワして伊藤監督には何度も「落ち着け(笑)」と言われていた。

 そしてやっと、そのときが訪れた。「名前呼ばれた瞬間を覚えてなくて。なんなんすかね。記憶がないんです(笑)」。その状況の記憶はなくても、感動は刻まれている。「その瞬間は嬉しくて。野球できなかった時期とかいろんな人にお世話になったんで。今まで支えてくれた人に感謝したいし、恩返ししたいという気持ちでいっぱいになりました」。

ときにはこういう表情も
ときにはこういう表情も

 ドラフト会議には駆け引きがある。そこには運や縁、タイミング…さまざまなものが絡み合う。ドラフト後、湯浅投手が6位まで残っていたことに驚くスカウトは多かった。「まさか…」と、各球団のBC担当スカウトは口をそろえた。

 しかしタイガースにとってはラッキーだった。担当の筒井和也スカウトにとっても、初めての指名選手だ。

 そしてそれは湯浅投手にも嬉しいことだった。高校時代、涙を飲んだ甲子園出場。あのときスタンドから見た景色は悔しさで彩られていた。そこが本拠地となる。今後、それを自分の力で染め替えることができるのだ。「プロの舞台で、あの悔しかった気持ちをぶつけたい」と胸が高鳴る。

こんな表情も
こんな表情も

 そのために武器を磨く。「ストレートが持ち味だと思ってるんで、もっとキレとか球の重さとか上げて、ここっていうときはストレートで勝負できるようにしたい」。さらに持ち球はカーブ、スライダー、カットボール、フォークを操る。

 チーム内の大先輩、乾投手から得たこともたくさんあった。「乾さんと出会えたことは大きかった。キャッチボールのパートナーだったんです。毎日のキャッチボールの中でアドバイスくれて、そのおかげで成長できた。本当にお世話になったし、感謝したい」。

■伊藤監督みたいになりたい

ラッキーナンバーの7。そして誕生日は7月17日
ラッキーナンバーの7。そして誕生日は7月17日

 そして、ずっとつきっきりで教えてくれた伊藤監督への感謝の気持ちも尽きない。現役時代の「伊藤智仁投手」をYouTubeで見て「すごいピッチャーだ」と感銘を受けた。

 「練習方法も引き出しもすごくたくさんあるし、変化球も実際に目の前で投げてくれる。あの高速スライダーも!すごいっすよ。キュッて曲がる。とにかく全部の精度がすごい」。興奮気味に目を輝かせる。“ホンモノのボール”を実演してくれる監督なんて、なかなかいない。

やっぱり笑顔
やっぱり笑顔

 さらに毎日接する中で「オンとオフがしっかりしている。オフのときは気さくでおもしろい。ノックバットでずっとゴルフのスイングをしてるし、ゴルフ講座が始まったりする(笑)」と、いろんな姿を見てきた。

 「伊藤監督みたいになりたい。ピッチャーとしても人としても」。最大級のリスペクトをしている。

 師匠であり恩人。受けてきた多くの恩恵に報いるには、プロで活躍することしかない。もちろん1年目から遠慮せず1軍に入り込んでいく覚悟だ。そして将来は「日本球界を代表するピッチャーになりたい」と笑顔を引っ込め、キリリと唇を真一文字に結ぶ。

グラブにも刻んでいる「雲外蒼天」
グラブにも刻んでいる「雲外蒼天」

 「雲外蒼天」。どんなに困難でも努力して乗り越えることができれば、その先の道は開ける―。

 高校時代に成長痛で離脱したとき、何か拠りどころを求めて探し続け、巡りあった言葉だ。野球ができなかったつらさ、甲子園で投げられなかった悔しさ…。この言葉とともに乗り越えてきた。

 これからの野球人生にもきっと困難は待ち受けているだろう。しかし湯浅京己は必ず乗り越え、自ら道を切り拓いていく。

(前編⇒鉄の意志を持つ“富山の末っ子”・湯浅京己がたった1年でプロ野球の扉を開いた

色紙に「雲外蒼天」としたためた
色紙に「雲外蒼天」としたためた

(撮影はすべて筆者)

湯浅 京己ゆあさ あつき)】

聖光学院高⇒富山GRNサンダーバーズ(BCリーグ)

1999年7月17日(19歳)/三重県

183cm 88kg/右投右打/O型

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