戦力外から裏方、そして再びプロ野球選手へ―150キロ左腕・古村徹(元DeNA)の復活と進化【前編】

元DeNAの古村徹投手は今、再びNPB球団から注目を集めている

■自分を信じる力

 「自分を信じる」―。簡単なようで、なかなか難しい。しかし自分に期待し、その可能性を信じられる。これほど素晴らしいことはない。

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 「富山の古村がいいらしいぞ」「左で150キロ出るらしいね」

 

 BCリーグを取り巻く人々―NPBスカウト陣やメディアらの口の端にのぼる「古村徹」の名前。富山GRNサンダーバーズの左投手だ。夏場に150キロを連発した。球速だけではない。試行錯誤し続けた古村投手は、今までにない確かなものを手に入れていた。

 今季、BCリーグの富山に新加入した。古村投手がほかのBCリーガーたちと違うのは、「元NPB選手」ということだ。2011年ドラフトで横浜DeNAベイスターズに入団し、2014年に契約が終了した。一時は裏方として打撃投手も務めたが、再び選手として復帰し、愛媛マンダリンパイレーツ四国アイランドリーグ)を経ての富山入りだ。

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 これまで何度、壁にぶち当たってきただろう。その度に試行錯誤し、前へ進んだ。そして投手として大きく進化した。

 そこにあるのは自分を信じる力。まだまだ伸びしろがある。自分に期待し、自分の成長を楽しみにできる。

 そんな古村徹投手の数奇な野球人生を追った。

■入団して4年目に裏方(打撃投手)に転向

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 出身は神奈川県だ。茅ヶ崎西浜高校からドラフト8位でベイスターズに入団したが、実は最後の夏の大会から肩を痛め、そのまま痛みを抱えてのプロ入りだった。

 1年目は登板なし。2年目に育成契約となり、おもにフューチャーズ(注1)のゲームで投げた。イースタンの公式戦で投げたのは1試合だけだが、2三振を奪って3人で抑えた。しかし肩の痛みは完全には癒えず、少し治まっては投げ、投げては痛めるという状態を繰り返した。

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 痛みがやや落ち着きかけてきた3年目の終了時、翌年の選手としての契約はなく裏方への転向を打診された。人柄や取り組む姿勢を見ての評価だった。

 このとき、たとえばNPB以外にプレーできる場所を求めようにも、公式戦では1試合の登板のみだったので評価もされづらく、独立リーグなどが獲ってくれる可能性も低いだろうと自ら判断した。

 「選手として何もできなかったので、裏方として役に立てれば」。そう考えて引き受けることにした。ただ、自分の中では2年という期限を定めていた。

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 シーズンに入る前の1月、同期の渡辺雄貴選手から自主トレを手伝ってほしいと頼まれ、キャッチボールをしたときに痛みがなくなっていることに気づいた。

 なにより選手時代に肩の痛みで最長80mだった遠投が、100mまで軽く届くのだ。ホームベース付近から放ったボールが100m先のライトポールまで飛んでいくのを見て、古村投手の胸の中に小さなさざなみが立った。

 裏方業に転身したばかりだったが、どこかで吹っ切れていなかった自分がいることに気づいた。そこにはたしかに「選手として投げたい」と願う自分がいた。

チームメイトの強史選手、中村広報と
チームメイトの強史選手、中村広報と

 それでもシーズン中は裏方に徹した。打撃投手として5割程度の力ではあるが、毎日投げた。「毎日投げることはまったく苦ではなかった」。不安を解消するためにやっていたウェイトトレーニングを、選手を退いてからも続けていた成果があったのかもしれないし、選手を辞めたことでプレッシャーから解放されたことも影響していたのかもしれない。

 そういえば選手時代も「肩の痛みさえなければ、いいピッチャーなんだけど…」と、そんなことをよく言われていた。フツフツと湧いてくる選手復帰への気持ち。しかし「それは打撃投手としてはよくないこと」と表には決して出さず、仕事に徹した。選手がするようなランメニューなどを行うわけでもなかった。

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 するとシーズン後、今度は「ゆくゆくはマネージャーをやってほしい」という話をされた。働きぶりの評価が非常に高かったのだ。しかしそうなると完全にユニフォームを脱ぐことになる。そもそも2年という期限を自身に設けていた。まだ1年だ。しかし…。

 「ここが転機だ」。

 そう思った古村投手は、再び選手として挑戦する道を選択することにした。ベイスターズには感謝しつつ断りを入れた。

■愛媛マンダリンパイレーツ(四国アイランドリーグ)でサイドスローに挑戦

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 ただ「選手復帰に挑戦します!」と言ったところで、なんのツテも思い浮かばなかった。そんな中、最初に連絡をくれたのが当時の進藤達哉1軍ヘッドコーチ(現在は編成部長)だった。選手復帰の希望を直接話したわけではないが人づてに耳にして、かつて所属していたBCリーグに当たってくれた。

 結局、そこでは話は成立しなかったものの、古村投手の熱心な仕事ぶりをもっとも間近で見ていた進藤氏は、何かせずにいられなかったのだろう。

 その後、四国アイランドリーグに居場所が見つかった。不思議なことに幾人かの旧知の先輩がみんな愛媛に繋がっており、導かれるように愛媛に入団した。

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 愛媛での1年目は26試合に登板して1勝1敗、防御率0.80と見事な成績だった。

 ところが2年目に入って成績が落ち、5月の終わりごろにサイドスローへの転向を命じられた。体の使い方や変化球の軌道を見て、サイドのほうが合っているのではないかと言われた。なにより成績が出ていなかったことと、「左のサイドは珍しい」という発想もあったのだろう。

 古村投手自身は心の底から納得して受け入れたわけではなかったが、出場機会を得るために「何か変えないと」という必死な思いだけで取り組んだ。

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 腕を下ろした当初こそ142キロを計測し、「いけるのかな」とも思ったが、とにかく取り組む期間が短かった。そもそもサイドで投げるための自主トレをしてきていない。完全な付け焼刃の“即席サイド”だ。これまで作ってきたものを一から全部やり替えなくてはならない。シーズン中ではあったが、ひたすらブルペンに入り、連日繰り返し投げ込んだ。

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 しかし気持ちの中では「このままサイドでやっていくべきなんだろうか」との迷いは払拭できないままだ。そんな折、河原純一監督のドラゴンズ時代のチームメイトである小田幸平氏が臨時コーチとしてやってきた。「サイドスロー、おもしろいんじゃないか」と小田氏に言われ、そこでようやく「頑張ろう」と前向きになれ、シーズン終了までサイドを貫いた。

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 新たな道を切り開こうと奮闘した2017年シーズンだったが、結果は最悪だった。登板数も14試合にとどまり、0勝4敗、7.43と防御率も悪化。成績が上がってこなかったこともあり、球団とも合意の上で退団することになった。

 そこでBCリーグにいる旧知のコーチに連絡をとり、そこから富山の永森大士コーチにたどり着いた。すぐにOKの返事があり、無事に入団が決まった。

■NPBに返り咲くために150キロを目指す決意

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 ここで一から出直す決意を固めた。やるからには絶対にNPBに戻る。そのために目標を設定した。「球速を150キロまで上げる」と。これまでの古村投手の球速を振り返ると、選手に復帰した2016年に143キロ、昨年の序盤に146キロ、サイドに転向して142キロだった。

 「選手を目指す以上、NPB復帰を目指す以上、目に見える数字を残さなきゃ」。スカウトの目を惹きつけるには、強烈なインパクトが必要だと考えたのだ。

 インパクト…しかしそれは、古村投手にとって「サイドハンド」ではなく、「150キロ」だった。「自分がやってきたことに後悔はしたくない」とサイドとは決別し、従来の投げ方で球速と球質を上げることでのインパクトを求めた。

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 仲間の前でも宣言した。毎年、年始に集まる仲間は学生時代から交流のある横浜高や桐蔭学園高、平塚学園高など神奈川県内の同級生たちだ。その中には高校最後の対戦からの友人である石川ミリオンスターズ藤岡雅俊投手(桐蔭学園高)もいる。藤岡投手も福井から石川に移籍し、今年に懸けていた。

 「(今年)25歳だし、お互いに最後っていうのはわかってたんで。『150出て無理だったらしょうがないっしょ。とりあえずは、そこ目指そうや』っていうのをふたりで話してて」。

 お酒も入った中での他愛もない話のようで、古村投手は鮮明に記憶しているという。「ここ(150キロ)までできたら、たとえダメでも踏ん切りがつくなぁ」と真剣に考えていた。

 こうして元NPB選手の復帰に向けた戦いの最終章が幕を開けた。(後編へ続く)

後編⇒ 戦力外から裏方、そして再びプロ野球選手へ―150キロ左腕・古村徹(元DeNA)の復活と進化【後編】

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(撮影はすべて筆者)

(注1)NPBイースタン・リーグにおいて若手選手の実戦機会の増加を図って、各試合ごとに7球団から選抜した選手によって結成された混成チーム。イースタン所属チームほか、社会人チームなどと対戦。

古村 徹こむら とおる)】

茅ヶ崎西浜高⇒横浜DeNAベイスターズ⇒愛媛マンダリンパイレーツ(四国アイランドリーグ)⇒富山GRNサンダーバーズ

1993年10月20日(25歳)/神奈川県

180cm 78kg/左投左打/B型

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