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  1. 京都三大祭の平安絵巻「葵祭」で必見の神事とは
     勅使(天皇の使者)の一行が、京都御所南側の建礼門前から出発し、下鴨神社、上賀茂神社へと向かう、葵祭のハイライトです。「路頭の儀」のルートはこちら。京都御所を出てから上…
    ダイヤモンド・オンライン社会
  2. 五月人形「健やかな成長への願い」 京都・木津川で多彩な「節供人形」企画展
     季節の節目に子どもの幸福や無病息災などを願った「節供(せっく)と人形」に着目した企画展が4月27日、京都府立山城郷土資料館(京都府木津川市山城町)…
    京都新聞京都
  3. 【光る君へ】父・藤原道隆の死を間近にして、後継者となる野望が潰えた伊周
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、とうとう藤原道隆が亡くなってしまった。問題は、その後継者である。道隆の死の間近、伊周は策謀を巡らしたが、失敗した…
    渡邊大門エンタメ総合
  4. 【光る君へ】あまりに無念だった、藤原道隆の死因や最期とは
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道隆の最期が描かれていた。自分の死のこともあるが、子である伊周が後継者になれなかったのだから、さぞかし無念だ…
    渡邊大門エンタメ総合
  5. 【光る君へ】藤原道兼の役割は本当に「汚れ仕事」だったのか
     今回のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、京都市中に疫病が蔓延する模様が描かれていた。藤原道長は兄で関白の道隆に対策を進言したが無視されたので、自ら…
    渡邊大門エンタメ総合
  6. 【光る君へ】竜星涼さんが演じる藤原隆家とは、そんなに嫌な男だったのか
     今回のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、竜星涼さんが演じる藤原伊周の弟・隆家が話題となった。隆家といっても、ご存じない人が多いと思うが、いったいど…
    渡邊大門エンタメ総合
  7. 【光る君へ】藤原伊周のはしゃぎぶりを目にして、不満を抱いた公任、斉信、行成の3人とは
     大河ドラマ「光る君へ」では、藤原伊周のはしゃぎぶりを目にして、公任、斉信、行成の3人がいささか不満を抱いていた。彼らも同じ藤原氏であるが、どのよう…
    渡邊大門エンタメ総合
  8. 藤原実資『小右記』、藤原道長『御堂関白記』などに見る、平安貴族が日記を書いた切実な理由
     (歴史ライター:西股 総生) ■ 当時の政治史を研究する一級史料  大河ドラマ『光る君へ』では、ロバート秋山演ずる藤原実資の日記が、しばしばネタに…
    JBpressライフ総合
  9. 【光る君へ】異常なまでの出世を遂げた、藤原道隆の子・伊周とは何者なのか?
     大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道隆の子・伊周が大きな存在感を示すようになった。伊周とはどういう人物だったのか、考えることにしよう。 天延2年(9…
    渡邊大門エンタメ総合
  10. 【光る君へ】藤原道綱は、無能で仕事ができない男だったのか
     今回の大河ドラマ「光る君へ」は、藤原道綱が「まひろ(紫式部)」に求愛しようとしたところ、間違えて「さわ」の寝床に忍び込むという失態を犯していた。 …
    渡邊大門エンタメ総合
  11. 【光る君へ】源雅信は病没したが、娘の倫子を藤原道長に嫁がせたのは正しかった
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、ついに源雅信が亡くなった。雅信の最大の功績は、娘の倫子を藤原道長に嫁がせたことだろう。以下、その辺りを詳しく探っ…
    渡邊大門エンタメ総合
  12. 『光る君へ』藤原伊周(これちか)はどんな人?道長より先に出世、光源氏のモデルのひとりともいわれる貴公子の生涯
     今回は、大河ドラマ『光る君へ』で、三浦翔平が演じる藤原伊周(これちか)をご紹介したい。  文=鷹橋 忍 ■  『枕草子』にも登場  藤原伊周は、天…
    JBpressライフ総合
  13. 【光る君へ】藤原道隆は、棚から牡丹餅で栄達の道を手にしたのか
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、とうとう藤原兼家が亡くなり、嫡男の道隆が後継者の座を譲られた。関白になった道隆は、続けて摂政、藤原氏の氏長者にな…
    渡邊大門エンタメ総合
  14. 【光る君へ】父の後継者になれず、ヤケクソになって荒れた生活を送った藤原道兼の裏事情
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原兼家が亡くなり、子の道隆が後継者に指名された。しかし、これに激怒したのが道兼である。その辺りの経緯や裏事情を…
    渡邊大門エンタメ総合
  15. 【光る君へ】藤原氏の権力基盤を築いた藤原兼家の最期と子の道隆のしたたかさ
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原氏の権力基盤を築いた藤原兼家がついに亡くなった。その模様も含めて、兼家だけでなく後継者の道隆の行動を確認する…
    渡邊大門エンタメ総合
  16. 【光る君へ】出世に遅れ、日記『小右記』に怒りをぶちまけた藤原実資
     現在の企業は厳しい評価主義の人事制度が採用されており、仮に同じ50歳であっても、部長と係長くらい差があることも珍しくない。また、年上部下が増えたの…
    渡邊大門エンタメ総合
  17. 【光る君へ】朝廷で話題になった「尾張国郡司百姓等解文」には、何が書かれているのか
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、朝廷で民衆からの訴えをどう扱うかが議論されていた。その際、話題になったのが「尾張国郡司百姓等解文」である。すでに…
    渡邊大門エンタメ総合
  18. 【光る君へ】一条天皇の元服と藤原定子の入内により、盤石となった藤原兼家の地位
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、一条天皇の元服の模様が描かれていた。元服式では、藤原兼家が栄誉ある加冠役を務めた。また、藤原道隆(兼家の長男)の…
    渡邊大門エンタメ総合
  19. 【光る君へ】一条天皇の即位後、子供もやりたい放題に昇進させた藤原兼家の権勢ぶり
     大河ドラマ「光る君へ」では、一条天皇が即位したので、藤原兼家が摂政となり実権を掌握することになった。実は自分が摂政になっただけでなく、その子供も一…
    渡邊大門エンタメ総合
  20. 【光る君へ】源明子の父・高明を失脚に追い込んだ「安和の変」とは、どんな事件だったのか
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、源明子と藤原道長との結婚についての話題が持ち上がっていた。 ところが、明子はこの話を進めてほしいと言いながらも、…
    渡邊大門エンタメ総合
  21. 【光る君へ】「まひろ」の父藤原為時も泣かされた。官人の人事異動の「除目」とは
     大河ドラマ「光る君へ」では、花山天皇が出家したので、それまで蔵人として仕えていた「まひろ」の父藤原為時は失職した。 ところで、官人の人事異動は、春…
    渡邊大門エンタメ総合
  22. 【光る君へ】実は出世のことで大変苦労した、藤原兼家の紆余曲折の人生
     大河ドラマ「光る君へ」の見どころの一つは、藤原兼家の出世に対する執念だろう。他人を陥れてでも出世したいという気持ちは、今も昔も変わらないのかもしれ…
    渡邊大門エンタメ総合
  23. 【光る君へ】凰稀かなめさんが演じる赤染衛門の父は、誰だったのか。その出生の秘密を探る
     大河ドラマ「光る君へ」は吉高由里子さんが演じる「まひろ(紫式部)」が主人公であるが、取り巻く女性陣も実に豪華である。その1人が凰稀かなめさんが演じ…
    渡邊大門エンタメ総合
  24. 【光る君へ】藤原兼家に不満を持っていた藤原道綱の母は、どういう人物だったのだろうか
     大河ドラマ「光る君へ」では、藤原兼家の子の道綱とその母が登場する。今のところ、あまり目立たたないが、重要な登場人物であるといえよう。道綱とその母は…
    渡邊大門エンタメ総合
  25. 京都御所で春の特別公開 11年ぶり「源氏の画」も
     宮内庁京都事務所は20~24日、京都御所(京都市上京区)で春の特別公開「宮廷文化の紹介」を開催する。通常は非公開のびょうぶ「源氏の画」が11年ぶり…
    共同通信文化・アート
  26. 【光る君へ】一条天皇の即位後、藤原兼家が築き上げた新体制とは
     今回の大河ドラマ「光る君へ」は、花山天皇の出家後、一条天皇が即位した場面だった。天皇が変わったので、当然、人心は一新された。摂政になった藤原兼家は…
    渡邊大門エンタメ総合
  27. 【光る君へ】一条天皇の即位式に生首が投げ込まれた事件の全容
     今回の大河ドラマ「光る君へ」は、藤原兼家の念願が叶い、孫の一条天皇が即位する場面だった。いざ、一条天皇が即位式が始まろうとすると、高御座に髪の毛が…
    渡邊大門エンタメ総合
  28. 【光る君へ】花山天皇の出家後、なぜ藤原為時は失職したのだろうか
     今回の大河ドラマ「光る君へ」は、花山天皇が藤原道兼(兼家の子)に騙され、花山寺(元慶寺)で出家した。その後、兼家(道兼の父)と道兼は栄達の道を歩ん…
    渡邊大門エンタメ総合
  29. 【光る君へ】大変気になる、騙されて出家した花山天皇のその後
     今回の大河ドラマ「光る君へ」は、藤原兼家が着々と進めていた花山天皇の出家が実現した回だった。それまで、藤原道兼は父の兼家の指示に従い、着々と策謀を…
    渡邊大門エンタメ総合
  30. 【光る君へ】花山天皇の出家後、悲惨な運命をたどった藤原義懐
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原道兼の謀略により、花山天皇が騙し討ちのような形で出家に追い込まれた。 その結果、兼家(道兼の父)の一条天皇即…
    渡邊大門エンタメ総合
  31. 【光る君へ】花山天皇が出家したのは、忯子の死だけではなく、ほかにも理由があった
     今回の大河ドラマ「光る君へ」は、花山天皇が藤原道兼(兼家の子)に騙され、花山寺(元慶寺)で出家する場面がいちばんの見どころだった。道兼は花山天皇に…
    渡邊大門エンタメ総合
  32. 【光る君へ】花山天皇の出家は、藤原道兼の陰謀だったのだろうか。その裏事情を探る
     今回の大河ドラマ「光る君へ」は、藤原兼家が着々と進めていた花山天皇の出家が実現した回だった。それまで、兼家の指示に従い、準備を進めたのが子の道兼で…
    渡邊大門エンタメ総合
  33. 【光る君へ】藤原氏は外祖父の立場に止まらず、なぜ天皇の座に就こうとしなかったのか
     大河ドラマ「光る君へ」の見どころの一つは、公家間の権力闘争になろう。特に、娘を持つ公家は、有力な公家の息子との結婚だけでなく、天皇への入内を希望し…
    渡邊大門エンタメ総合
  34. 【光る君へ】藤原道兼は、父の兼家から冷酷な仕打ちを受けていたのか
     大河ドラマ「光る君へ」では、突如として藤原兼家が病に倒れた。子の道兼は心配して兼家の枕元で看病したが、殴られるという一幕があった。道兼は、幼い頃か…
    渡邊大門エンタメ総合
  35. 【光る君へ】やりたい放題の藤原義懐は、なぜあんなに威張っているのか
     今回の大河ドラマ「光る君へ」では、権中納言となった藤原義懐が花山天皇の命令だといって、陣定(公家の会議)は当分の間、開かないと言うなど、やりたい放…
    渡邊大門エンタメ総合
  36. 【光る君へ】藤原兼家の強みは、娘の詮子が懐仁親王を産んだことだったが、新たなライバルも出現した
     大河ドラマ「光る君へ」は紫式部が主人公であるが、もう一つの見どころは政界における公家の暗闘である。藤原兼家は摂政・関白の座を狙い、策を弄しているが…
    渡邊大門エンタメ総合
  37. 【光る君へ】藤原兼家が源雅信とその娘の倫子を恐れた納得の理由
     大河ドラマ「光る君へ」では、政界で権力を握ろうと目論んでいた藤原兼家は、ライバルの源雅信とその娘の倫子を恐れていた場面が描かれていた。 そこで、兼…
    渡邊大門エンタメ総合
  38. 【光る君へ】なかなか悩ましかった、円融天皇をめぐる複雑な女性関係と政治力学
     大河ドラマ「光る君へ」で、重要な役割を果たしているのが円融天皇である。天皇は最高権力者だったが、一人で何かもできるわけではなく、公家の力が必要だっ…
    渡邊大門エンタメ総合
  39. 「どうする家康」ちゃっかり朝廷に擦り寄っていた、徳川家康の戦略と真意とは
     大河ドラマ「どうする家康」では放映されなかったが、徳川家康は朝廷に献金していた。その経緯、戦略、真意について、考えることにしよう。 永禄12年(1…
    渡邊大門エンタメ総合
  40. 【深掘り「鎌倉殿の13人」】北条義時討伐の先頭に立った藤原秀康とは、いかなる人物なのか
     大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が佳境を迎え、ついに後鳥羽上皇は北条義時追討の宣旨を発給した。その先頭に立った藤原秀康とはいかなる人物なのか、詳しく掘…
    渡邊大門エンタメ総合
  41. 【深掘り「鎌倉殿の13人」】承久の乱前夜。後鳥羽上皇はなぜ源頼茂を討ったのか
     大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が佳境を迎え、後鳥羽上皇がついに北条義時の追討を決意した。その直前、後鳥羽は源頼茂を討ったが、この点について詳しく掘り…
    渡邊大門エンタメ総合
  42. 「○条」「○小路」という名字は公家の多数派なのか
    …19日に放送された大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第24回では、後白河法皇亡きあとの朝廷が描かれ、新たな公家も登場した。大姫との縁談があがった一条高能(…
    森岡浩ライフ総合
  43. 【深掘り「麒麟がくる」】正親町天皇が光秀に信長暗殺を示唆? 黒幕か検証
     NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第41回「月にのぼる者」は盛りだくさんだったが、終盤に差し掛かって、朝廷と織田信長との対立が注目された。朝廷と信長…
    渡邊大門エンタメ総合
  44. 【戦国こぼれ話】戦国時代の天皇家は「衰微」していたのか?厳しい懐具合だったのは事実なのだろうか?
    …■スムーズな譲位 昨年、譲位が行われ、年号も「平成」から「令和」に改まった。円滑に譲位が行われたわけであるが、戦国時代はそうではなかった。そこには天…
    渡邊大門エンタメ総合
  45. 【《ボロフェスタ》が京都で愛される理由】前編〜音楽が日々の生活と地続きであることの豊かさ
     京都大学西部講堂で第一回目が開催されたのが2002年のこと。長い歴史と成熟を持つ京都のライヴ・シーン、ロック・シーンの現場がそのままフェスへと昇華…
    岡村詩野音楽

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