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【光る君へ】父の後継者になれず、ヤケクソになって荒れた生活を送った藤原道兼の裏事情

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
京都御所。(写真:イメージマート)

 今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原兼家が亡くなり、子の道隆が後継者に指名された。しかし、これに激怒したのが道兼である。その辺りの経緯や裏事情を考えることにしよう。

 兼家は一条天皇の即位を実現させると、自らは摂政に就任し、我が世の春を謳歌していた。しかし、病魔が迫っており、死期が近いことを悟った。そこで、兼家は我が子を集め、道隆を後継者に指名したのである。

 ところが、一条天皇の即位に至るまでは、道兼の貢献度が非常に高かったので、道兼は大いに不満を漏らしたということになろう。しかし、兼家は人殺しを後継者にはできない、汚れ役に徹して藤原家を支えろという趣旨の発言をしたのである。

 人殺しというのは、ドラマの初回で道兼が怒りに任せて、「まひろ(紫式部)」の母を殺害したことだろう。夫の藤原為時も辛かったが、今後の人事を考えて泣き寝入りした。しかし、道兼が殺人を犯したというのは史実とは認められず、ドラマ上のフィクションといえる。

 一方の汚れ役というのは、花山天皇を退位させるため、「私も出家します」と嘘を言って、出家、退位させたことである。花山天皇を闇夜に紛れて連れ出すという、非常にドラマチックな話だが、歴史物語に書かれたことなので、どこまで本当なのかと思うのが正直なところである。

 ただし、道兼が主導的な役割を果たした可能性は、非常に高いといえるのかもしれない。

 ところで、兼家が自分の後継者を決める際、側近に相談したという話がある(『江談抄』)。その際、藤原有国は花山天皇の退位、一条天皇の即位の功により道兼を推挙した。一方で、平惟仲、多米国平の2人は、道隆を推挙した。その結果、兼家は道隆を後継者に据えることにしたという。

 道兼は自分の功が認められず、兄の道隆が後継者になったので、すっかり自暴自棄になった。兼家が亡くなったあと、道兼は喪中にもかかわらず、宴席をもうけていたという(『大鏡』)。この辺りは、今回のドラマでも描かれていた。

 とはいえ、道隆は長男であり、道兼は次男だった。そのうえ、母も同じである。母の身分が劣る場合、次男以下が逆転して後継者となるケースもあるが、この場合はどうなのだろうか。普通に考えると、道隆が兼家の後継者になるのが順当なように思えるが。

※『江談抄』は説話集、『大鏡』は歴史物語である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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