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【光る君へ】「まひろ」の父藤原為時も泣かされた。官人の人事異動の「除目」とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
京都御所(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「光る君へ」では、花山天皇が出家したので、それまで蔵人として仕えていた「まひろ」の父藤原為時は失職した。

 ところで、官人の人事異動は、春の地方官を任命する県召除目(あがためしじもく)、秋の司召(つかさめし)除目(京官除目)のほか、臨時除目や女官除目で行われた。その概要を解説することにしよう。

 もうすぐ春を迎えるが、多くの会社や官公庁は年度末から新年度への切り替えで、人事異動が行われることだろう。毎度のことながら、笑う人もいれば、泣く人がいるのだろう。それは古代の官人も同じであって、人事異動を意味する除目により、その後の運命が決まったのである。

 除目とは除書ともいい、官職に補任する人を決めることであり、儀式そのものを意味する。律令体制下の官職の制度では、在京官人を内官(京官)、地方官人を外官といい、武器を持たない者を文官、持つ者を武官とする。文官の人事は式部省、武官の人事は兵部省がそれぞれ担当した。

 除目は天皇また摂政が臨席のもとで行われ、公卿が清涼殿で三夜にわたって審議を行った(実施形態はさまざまである)。大臣が最高責任者に任じられ、大間書に任官者が記入されたのである。

 大間書とは、闕官の職名を書き、任官者が決定すると、新任者の姓名を書き入れた。記入しやすくするため、行間を広く空けたので、大間書と称されるようになった。

 官人の昇進などについては、徳行・才用・労効が基本だった(「選叙令」)。しかし、9世紀以降になると、年労・年給・成功(じょうごう)などによる補任が制度化された。

 年労とは勤務年数、年給と成功は売官制度のことである。こうして、年功序列なども加味された。こうして複雑な除目議の次第と作法が整備され、さらに官人層の昇進コースが形成されたのである。

 ところで、ドラマの中の為時は自邸でひたすら書籍を読み、出仕する機会がなかった。いちおう為時は位階(従五位とか)こそあったものの、実際に就く職務、役職がなかったのである。

 こういう状態を散位(さんに、さんい)という。それぞれの職務には定員があったので、位階があっても、どうしても職にありつけない官人がいたのである。

 ところで、先述のとおり、寛和2年(986)に花山天皇が退位したので、為時は職を失った。その後、長らく散位という厳しい時代が続いた。ようやく為時が職を得るのは、長徳2年(996)のことで、従五位下・越前守に叙位・任官された。この点は、改めて触れることにしよう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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