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【光る君へ】竜星涼さんが演じる藤原隆家とは、そんなに嫌な男だったのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
京都御所 月華門。(写真:イメージマート)

 今回のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、竜星涼さんが演じる藤原伊周の弟・隆家が話題となった。隆家といっても、ご存じない人が多いと思うが、いったいどのような人物だったのだろうか。

 隆家が道隆の子として誕生したのは、天元2年(979)のことである。母は、高階貴子だった。隆家には道頼、頼親、伊周という兄がいたので、四男である。

 同母なのは伊周であり、伊周と同様ほかの2人の兄(道頼、頼親)より厚遇された。四男といいながらも、実質的には次男の扱いだった。

 永祚元年(989)、隆家はまだ11歳だったが元服し、いきなり従五位下に叙され、翌年には侍従に任官した。以降も順調に昇進を重ね、父の道隆によって厚遇されたこともあり、正暦5年(994)には従三位に叙され、公卿の仲間入りを果たしたのである。

 ところで、歴史物語『大鏡』には、隆家の人物像について「世中のさがなもの」と評価している。「さがなもの」とは、「手に負えない人、口やかましい者、性悪者、ろくでなし」という意味があるという。

 つまり、隆家は厄介な人だったということになろう。むろん、『大鏡』は歴史物語なので、必ずしも正確といえないかもしれないが、そうした側面があったのだろう。

 歴史物語『大鏡』は、隆家について「たましゐおはす」とも記している。「たましゐ」とは、「才略、思慮、魂胆」といった意味があるという。つまり、隆家は思慮深い人物と評価されていた。

 隆家には、こうした2つの性質が交じりあっていたようである。端的に言えば、口うるさく手に負えないが、頭が切れる男だったのかもしれない。

 その一方で、堅物と知られる藤原実資とは、非常に関係性が良かったようである。また、隆家は荒くれ者でもあったが、和歌に優れており、勅撰集にも入集していた。

 長徳元年(995)に道隆と弟の道兼が相次いで亡くなると、弟の道長が後継者となった。以降、隆家は道長とたびたびトラブルを起こした。従者同士が大乱闘を起こしたり、殺人事件が起こったりということがあった。

 この辺りについては、改めて取り上げることにしよう。

主要参考文献

勝倉壽一「『大鏡』道隆伝における隆家の位相」(『福島大学教育学部論集 人文科学部門』74号、2003年)

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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