【光る君へ】花山天皇の出家は、藤原道兼の陰謀だったのだろうか。その裏事情を探る
今回の大河ドラマ「光る君へ」は、藤原兼家が着々と進めていた花山天皇の出家が実現した回だった。それまで、兼家の指示に従い、準備を進めたのが子の道兼である。花山天皇の出家は、藤原道兼の陰謀だったのだろうか。その辺りの裏事情を探ることにしよう。
寛和2年(986)6月22日の夜、花山天皇は内裏から抜け出し、出家をするに至った。『日本紀略』によると花山天皇が密かに内裏を抜け出し、天皇の証である宝剣と神璽は新しい天皇(一条天皇)のもとに渡ったという。その後、花山天皇は花山寺(元慶寺/京都市山科区)で出家した。花山天皇のお供をしたのは、蔵人の道兼だった。
とはいえ、天皇がこっそりと内裏を抜け出すのは尋常なことではなく、まずありえないことである。天皇の外出は行幸といい、綿密にスケジューリングされたことはもちろん、占いで縁起の良い日取りや方角を決定した。
つまり、花山天皇の失踪と続く電撃的な出家は、常識外れの異常事態だったのである。この辺りに関しては、歴史物語の『大鏡』でドラマチックに書かれているので、以下、確認することにしよう。
花山天皇が内裏を抜け出そうとし、外に通じる小戸を開くと、まぶしいばかりに月明りがさしたという。あまりに明るいので、花山天皇は丸見えになることを恐れ、一瞬怯んだという。道兼は宝剣と神璽は新しい天皇(一条天皇)のもとに渡ったので、もう後には引けないと述べ、戸の内側からせかしたという。
宝剣と神璽を新しい天皇(一条天皇)のもとに運ばせたのは道兼だったので、花山天皇の決心が鈍るとまずいことになる。そこで、道兼は急がせたのである。
その直後、月に雲がかかり暗くなったので、花山天皇は歩み出そうとしたが、忘れ物に気が付いた。それは、亡くなった女御の忯子の手紙だった。その多くは破棄したのであるが、一通だけ残しておいたので、取りに帰ろうとした。
すると、道兼は花山天皇の行為を咎め、このまま月が出てしまうと、内裏から抜け出し、出家する機会を失うと述べた。そのうえ、泣きまねをしたというのである。こうして花山天皇は内裏を抜け出し、出家することになったのである。
この話は『大鏡』に書かれたことなので、すべてを信用することはできないだろう。しかし、花山天皇の退位を望む兼家の意向を受け、道兼が実行に移したことは、おおむね信用してよいと指摘されている。
主要参考文献
倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』(KADOKAWA、2023年)
朧谷寿『藤原氏千年』(講談社現代新書、1996年)
山本淳子『『源氏物語の時代』一条天皇と后たちのものがたり』(朝日選書、2007年)