遂に消滅させることに成功した、脚気と人々の戦い
脚気はビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1の欠乏によって心不全などを引き起こします。
現代でこそほとんど見かけない病気となりましたが、かつてはかなり発生しており、国も手を焼いていました。
この記事ではその後の脚気について紹介していきます。
日本からほぼ消えた脚気
1944年、太平洋戦争の末期に「ビタミンB1連合研究会」が発足し、臨時脚気病調査会のようにビタミンB1の研究が進められることとなりました。
戦後、この研究会は改名を経て「ビタミンB研究委員会」として存続し、1950年代には大きな進展を遂げたのです。
1950年、京都大学の藤原元典は、ニンニクとビタミンB1が結びつくと「アリチアミン」という物質が生成され、体内でビタミンB1に変換されると発表しました。
アリチアミンは体内での吸収が極めて良く、従来のビタミンB1製剤を上回る効果が認められたのです。
武田薬品は藤原と提携し、アリチアミンの製剤化を推進、1954年には内服薬「アリナミン錠」、1955年には「アリナミン注射薬」を発売しました。
これらの製品はたちまち脚気治療薬としての地位を確立し、一般保健薬としても広く受け入れられたのです。
戦後の栄養政策も、脚気の予防に大きな役割を果たしました。
1952年、栄養改善法が制定され、国民の食生活は植物性中心から動物性食品を取り入れたものへと誘導されたのです。
さらに、ビタミンを強化した食品が普及し、保健薬としてのビタミン剤が広く利用されるようになりました。
このようにして脚気は減少し、1956年には死亡者が1,000人を下回り、1970年には20人未満の特殊希少疾患にまで激減したのです。
しかし、脚気は完全に消えたわけではありません。
1975年頃から、インスタント食品や高糖質・低タンパク質の偏った食事の影響で、再び脚気が散発的に報告されるようになりました。
さらに、1991年には高カロリー輸液の点滴によるビタミンB1欠乏が問題化し、厚生省はビタミンB1を同時に投与する指導を行ったのです。
現代でも、特に高齢者の偏食などにより脚気の発症例がみられ、ビタミンB1の重要性が再認識されています。
参考文献
山下政三(1995)『脚気の歴史 ビタミンの発見』思文閣出版
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