医学会が大混乱した、脚気と人々の戦い
脚気はビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1の欠乏によって心不全などを引き起こします。
現代でこそほとんど見かけない病気となりましたが、かつてはかなり発生しており、国も手を焼いていました。
この記事では脚気を巡る医学界の混乱について紹介していきます。
医学界の混乱
日露戦争後、陸軍内での脚気流行が大きな問題となり、脚気と食物の関係が注目を浴びました。
この中で臨時脚気病調査会は、1908年のバタビア調査を受けて食餌試験を実施し、白米が脚気の原因ではないかと検証を試みたのです。
しかし、この試験には副食が規定されていなかったため、各家庭の食事状況がまちまちで、明確な結論を出すことができませんでした。
また、東南アジアの研究で「脚気は未知の栄養素の欠乏による」とする説が進展していたものの、日本では伝染病説や中毒説が根強く、医学界は混乱と葛藤の中にあったのです。
脚気研究が混乱した要因はいくつかあります。
第一に、「動物の白米病と人の脚気は同一か?」という点で意見が分かれたことです。
動物実験の結果と日本での人の脚気症状には相違点もあり、日本の研究者は白米病の動物実験から安易に原因を求めることに慎重でした。
次に、米糠の効果を巡る議論です。
当時、米糠の有効成分としてビタミンB1が注目されていたものの、その抽出にはアルコールが使われ、ビタミンB1が十分に抽出されないことがありました。
このため糠製剤は脚気治療に効果があるともないとも解釈でき、治療効果の判定が曖昧になってしまったのです。
さらに、脚気伝染病説の影響も大きかったです。
原因菌が発見されないにもかかわらず、東京帝大を中心とする医師たちは伝染病説を支持し、栄養欠乏説には懐疑的でありました。
加えて、米糠の有効成分の正体が不明であったことも混乱に拍車をかけたのです。
糠製剤には「アンチベリベリン」や「オリザニン」など様々な名前がつけられたものの、いずれも純粋な成分の抽出には至らなかったのです。
こうして、脚気の原因を巡って日本の医学界は意見が錯綜し、決定的な治療法が確立されるまでにはまだ多くの時間と試行錯誤が必要であったのです。
参考文献
山下政三(1995)『脚気の歴史 ビタミンの発見』思文閣出版
関連記事