切り札はビタミンB1製剤、脚気と人々の戦い
脚気はビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1の欠乏によって心不全などを引き起こします。
現代でこそほとんど見かけない病気となりましたが、かつてはかなり発生しており、国も手を焼いていました。
この記事では脚気対策の切り札、ビタミンB1製剤について紹介していきます。
切り札はビタミンB1製剤
臨時脚気病調査会が廃止された1925年、未発表の研究成果を継続するため「脚気病研究会」が発足し、研究は続けられました。
その後、1927年にビタミンBがB1とB2に分かれることが判明し、脚気の原因がどちらの成分にあるかが問われたのです。
1932年、島薗内科の香川昇三がビタミンB1結晶(オリザニン)を用い、脚気に特効があることを示しました。
これにより「脚気はビタミンB1の欠乏によって起こる」という結論が確立したのです。
1934年、島薗順次郎は脚気の発症前に潜在的なビタミンB1不足があることを発見し、「潜在性ビタミンB欠乏症」として発表しました。
脚気の根絶には、発症者の治療だけでなく、この潜在的欠乏症の予防も必要と提唱し、脚気研究は新たな局面を迎えたのです。
しかし1937年に島薗が亡くなり、同年日中戦争が勃発したことで、医学者の関心は戦時医学に向かい、脚気病研究会は中断を余儀なくされました。
その後も昭和初期まで脚気による死亡は年間1万人以上に達したものの、1939年に「米穀搗精等制限令」が発令され、白米が制限されると、脚気死亡者は減少に転じたのです。
さらに1941年には米の配給制度が広まり、節米運動もあって、精白米の消費が抑えられると、脚気の流行は次第に収束していきました。
脚気治療を支えたのは、ビタミンB1製剤の発展です。
1938年には合成ビタミンB1製剤が医薬品として登場し、1942年には武田薬品の松川泰三が効率的な合成法を開発、さらに1949年には低価格の大量生産が可能となり、ビタミンB1は一般にも広がりました。
こうして脚気は医療の進展とともに姿を消し、ビタミンB1不足を原因とする病として歴史に名を刻んだのです。
参考文献
山下政三(1995)『脚気の歴史 ビタミンの発見』思文閣出版
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