遂に犯人が分かった、脚気と人々の戦い
脚気はビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1の欠乏によって心不全などを引き起こします。
現代でこそほとんど見かけない病気となりましたが、かつてはかなり発生しており、国も手を焼いていました。
この記事では脚気の原因が分かった経緯について紹介していきます。
犯人はビタミン欠乏症
20世紀初頭、日本の脚気研究は混迷を極めていたものの、欧米ではカジュミシェ・フンクが「ビタミン」という新たな概念を提唱します。
彼の著作により、脚気などの疾患が栄養素の欠乏によって引き起こされる可能性が広まり、世界中の医学界でビタミン研究が進展していったのです。
日本でもこの影響を受け、脚気の原因にビタミン欠乏の可能性が強く意識されるようになり、国内の脚気研究に決定的な転機をもたらしました。
1919年、島薗順次郎は「白米食には脚気ビタミンが欠乏している」とし、ビタミン欠乏説を日本で初めて明確に主張したのです。
さらに1921年、研究者たちはビタミンB欠乏による人体実験を行い、脚気の症状が現れることを確認します。
これにより、脚気がビタミンBの欠乏症であるとする説はますます確信に近づいていったのです。
翌年には、大規模で厳密な欠乏食試験が行われ、その成果により脚気の原因がビタミンB欠乏であることがほぼ確定されました。
そして1924年の第29回総会において、「脚気はビタミンB欠乏によって生じる」という結論が99%の確度で発表されます。
ここに至り、臨時脚気病調査会は目的を果たしたとして廃止が決定されました。
この調査会は国家的規模で設立され、当代一流の研究者と豊富な予算が脚気研究に投入されたものの、山下政三の評価によれば、この「官費を投入しての大規模研究」がなければ脚気原因の解明は到底達成できなかったと指摘しています。
一方で、慈恵会医科大学の松田誠は調査会について「欧米がビタミン学を確立するまで日本の医学者は本格的な研究ができず、脚気の原因としてビタミンB欠乏をあいまいに認めただけだった」と辛辣に批判しているのです。
日本が欧米の先行に引っ張られる形で脚気解明を進めたことへの反省も、また一つの教訓として残されました。
参考文献
山下政三(1995)『脚気の歴史 ビタミンの発見』思文閣出版
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