苦しみの向こうに輝いた笑顔。どん底から這い上がった寺田光輝(横浜DeNA)が“プロ初勝利”
■素直に喜べた初勝利
横浜DeNAベイスターズの2年目・寺田光輝投手が“プロ初勝利”を挙げた。
といっても、イースタン・リーグで、だ。まして先発ではなく、勝ち負けはときの運に左右される中継ぎでの登板だ。
しかしそれでも、寺田投手にとってはプロの世界で初めて刻んだ記録だ。悩んで、もがいて、苦しんだ末に掴んだ初白星だ。
6月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦。4-5の1点リードの五回裏から登板した。
坂口智隆選手からはじまる1~3番を完璧に抑えると、回をまたいだ。1点は失ったが、次の回、すぐに梶谷隆幸選手がソロ弾で勝ち越してくれ、そのあとをバリオス投手、笠井崇正投手が守りきってくれた。
バッテリーを組んだのは山本祐大捕手だ。「僕は何もしてませんよ。てらさんが勝たしてくれました」と、自身も戦列復帰後の初勝利である山本選手は、寺田投手の勝ち星を自分のことのように祝福した。
「ファームですが、初勝利は素直に嬉しかったです。野手や繋いでくれた投手に感謝しています」。
寺田投手の言葉からは初勝利の喜びと、仲間への感謝の気持ちがあふれていた。
■イースタン・リーグ序盤の不調
今年の寺田投手は1月の自主トレ、2月のキャンプとすこぶる順調だった。体がよく動き、球も力強かった。周りの人々からの評価も高く、それによって気持ちに張りもあり、「今年はやれる」という自信も芽生えていた。
心技体が非常に充実していた。
ところが3月、右肩の不具合を感じた。炎症までは起こしていなかったが、機能低下が見られた。イースタン開幕が目前に迫っているときだった。
「自分では飛ばしている気はなかったけど、投げすぎたかも…」。
調子のよさは、ときに危険をはらむ。気持ちも体も乗っているそのままに、沖縄キャンプから帰って気温が低い中でも変わらず投げ込んだことが要因だと思われた。
しかし幸いにも大事には至らず、開幕からやや遅れて同25日(対千葉ロッテマリーンズ戦)に今季初登板を迎えることができた。ところが、1回を3失点。暴投も3つ記録してしまった。
「完全にフォームを崩して、全然コントロールできなかった。自分との勝負にすらなっていなかった。まずストライクが取れなくて、ただ投げているだけだった…」。
次の登板(3月30日、対北海道日本ハムファイターズ戦)でも修正できなかった。味方のエラーもあったとはいえ、大量6失点(自責は2)してしまった。
「2試合とも同じ状態だった」。ともに2つの四球を出している。
3試合目(4月7日、対マリーンズ戦)は1回を3失点。なんとかしたい、しなければともがいた。
「まっすぐを捨てて、カットボール、ツーシーム中心のピッチング練習をしていたけど、試合になると決まらない。やってきたことが結果として出なかった」。そう言って、唇を噛む。
■親御さんの前でのピッチング
しばらく登板間隔を空け、約1ヶ月ぶりの5月1日、対スワローズ戦に2番手でマウンドに上がった。
この日は特別な日だった。ゴールデンウィーク真っただ中で、初めて故郷・伊勢市から親御さんが見にきてくれていたのだ。
「気持ちも強く持てていたし、腕もよく振れていた」。
それなのに…。
あまりにも厳しい現実を突きつけられた。1・1/3回を投げて4失点。四死球に今季初の被弾もあった。
「終わったな…」。そう感じた。
そして逆に「清々しくて、悔しさすらなかった」という。
1ヶ月前の試合では「めちゃくちゃ悔しくて、隠れて泣いていた」と明かす。その悔しさから、やれることはすべてやってきたつもりだった。ましてや初めて親御さんに“プロとして投げる”姿を披露できるのだ。
それが「親の前でもこのザマ…。自分のできることはやったし、バッターとも勝負できていた。打たれたけど、怖さとかもなかった」と、これまでと変わったはずだと己を信じて上がったマウンドなのに、結果として、これまでの登板となんら変わらなかった。
「ここで無理だと思った。これまで野球してきて、初めて無理だと思った」。
悔しさすら通り越してしまった。
「無理」―。初めてそう思い知らされた、そのときの寺田投手の胸の内はいかばかりであったか。察するにあまりある。
■野球人生を懸けた決断
しかし、それでもあがいた。そこには寺田投手の性格が大きく関与しているのかもしれない。
「チームとして動いているんでね。このままチームに迷惑をかけ続けられない」。
自分のことではなく、人に迷惑をかけることがたまらない。そんな人柄が自らを動かした。
「特徴のあるピッチャーがひとりくらいいても、何かの役に立つかもしれない。迷惑かけるなら、ちょっとでもチームの役に立つ可能性のあるほうに」。
そこで考えたのが「アンダースローへの転向」だった。
「僕くらいの球速とコントロールならアマチュアにもいる。元々がサイドだし、サイドからちょっと下げることに違和感はなかった」。
そもそも筑波大卒業まではオーバースローだった。「上から放っていて150キロのピッチャーと勝負になるのか」と考え、石川ミリオンスターズに入団して腕を下げた。
「瞬発性がすごく高く、腰の回転力が強い」(石川・片田敬太郎フィジカルパフォーマンスコーチ談)という特性から、サイドスローは合っていた。
今年は特に腕の高さを意識せず、「一番振りやすいところで投げているイメージ」でやってきたが、映像で見ると知らず知らずのうちに上がってきていたようだ。
そこで思いきってこれまでよりもうんと下げ、ほぼ下手で投げることにしたのだ。
思った以上にしっくりきた。完全な下手というより横手との間といったところか。阪神タイガースの青柳晃洋投手に近い位置だ。
渡辺俊介投手(千葉ロッテマリーンズ―ランカスター・バーンストーマーズ―新日鐵住金かずさマジック)や牧田和久投手(埼玉西武ライオンズ―サンディエゴ・パドレス)、高橋礼投手(福岡ソフトバンクホークス)など、アンダースローの使い手のさまざまな動画を見まくった。
「牧田さんが一番参考になるかな。吸収できるものは吸収して」。貪欲に取り組んだ。
■アンダースローに転向しての初戦
そして迎えた“初戦”が5月16日の対読売ジャイアンツ戦だった。結果は1回を1失点。2安打はされたが、三振も2つ奪った。
「今まで浅いカウントでバカバカ打たれていたのが、深いカウントまでもっていけていた」と、これまでとの明らかな違いを感じた。
そして、試合中は「バッターを見る余裕はなかった」が、あとで映像を確認して驚いたという。
「バッターが嫌がってるのかなという反応をしていた」。
なんと右バッターが、外のスライダーに腰を引いていたのだ。「兆しはあるのかな」と、手応えを深めずにはいられなかった。
またこの試合では、今季はじめて同期の山本捕手とバッテリーを組んだ。
「祐大は僕のことをわかってくれているし、こっちの気持ちに立ってくれるキャッチャー。『どうしたい?』ってことも聞いてくれるし、『今こういうふうにやってる』って意図とか話しながら投げられた。それですごく投げやすかった」。
同期であるだけでなく、同じBCリーグから入団した“同志”でもある。気心が知れているだけに、言葉だけでは伝わらない“なにか”を感じとってくれたのかもしれない。
■BCリーグ選抜との練習試合
その後の2試合はいずれも無失点を重ねた。そして6月11日、BCリーグ選抜との練習試合で登板することになった。
八回表に登板すると、一ゴロ、空振り三振、四球、三邪飛で0封した。
「いい打球も出てなかったし、当たってる様子もなかった。自分のペースでストライク先行でいけた。今までの球筋と違う分、打ちづらくてファウルになってるという印象だった」。
途中、サインに首を振るシーンも見られたが、「緩い球で緩急を使いたかった」と意図を明かす。
BCリーガーとの対戦を、寺田投手はこう考える。
「球が速いわけでもない、そんな僕がどうやってNPBにたどり着けたのか。速くないからこそ、ヒントになるんじゃないかと思う。今日のピッチングから何か感じてもらえたら。BC出身者として目標になれれば」。
そして控えめに、こうも付け加えた。「僕も1軍にいないんで、説得力ないかもしれないけど(笑)」。
いや、そんなことはない。この日、BCリーグ選抜からは8人の投手が繰り出されたが、みな一様に寺田投手の投球を食い入るように見ていた。きっとそれぞれに感じるもの、得るものがあっただろう。
■奥行、高低、緩急
その後、次の公式戦の登板で勝利を手にした。しかし「課題が残ったし、まだまだやることはたくさんある」と、気持ちを引き締める。
下手投げのフォームも「今も形になってるかといったら、まだまだ」と辛い自己評価を下す。けれど、投げるごとに身についてきているのは間違いない。
球速もサイドでの最速146キロに近づき、アンダーで143キロまで出るようになった。
また、これまでサイドではコースの左右で勝負してきたが、「それを狙いすぎて自滅するパターンだった」と自戒し、現在は「左右より前後。奥行と高低、緩急で勝負していきたい」と語る。
「今後、もっと投球の精度を上げて、安定させていくことが一番。とにかくできることは0を積み重ねていくこと」。そう意欲を燃やす。
初勝利の記念ボールは伊勢の実家に送ることにした。
“もう心配しなくて大丈夫だよ。そして見ていてほしい。これからチームの役に立つ働きをする姿を”
そんな気持ちを込めて―。
どん底を味わったからこそ得た強さを武器に、ここから寺田光輝投手の逆襲が始まる。
(表記のない写真の撮影は筆者)
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