それぞれの道へ進む独立リーガーたち。富山GRNサンダーバーズ(日本海リーグ)の場合
■自ら決断した雷鳥戦士たち
「NPBに行きたい!」―。
独立リーグの門を叩く選手の大半は、その思いを抱いて入団する。しかし、実際にNPBのドラフト会議で指名されるのは、ごくわずかだ。それでもそのわずかな可能性にかけて、独立リーガーたちは必死にもがく。
だが、いつまでも続けてはいられない。いつかは自分で決断を下すのだ、ユニフォームを脱ぐときを。
富山GRNサンダーバーズ(日本海リーグ)でも今秋、13選手の退団が発表された。1人は夢をかなえてNPBへ(阪神タイガース5位指名・佐野大陽選手)、10人が任意引退、2人が自由契約を決めた。
前回、ファン感謝祭での退団のあいさつを紹介したが、今回は主力選手たちに富山での思い出や今後のことなどを聞いたので、お届けする。
(退団者のあいさつ⇒「さらば、雷鳥戦士たち! “雷鳥魂”を胸に今季限りで巣立つ富山GRNサンダーバーズの選手から惜別の言葉」)
■墳下大輔
《伊吹高校―朝日大学―富山GRNサンダーバーズ(2年)》
2年間を振り返った墳下大輔選手は、「1年目は全然ダメだったんですけど、2年目は活躍できた」と胸を張る。昨年在籍した大谷輝龍投手(現千葉ロッテマリーンズ)がしていた「立ち方のトレーニング」に取り組んだことが、奏功したと明かす。
「まず、しっかり立つトレーニングで、立てたら歩き方とか、走り方とか、それができて打ち方、守備になってくるんです。大谷がそれをやっているのを見て、いいなと思って取り入れて、信じてやった結果ですね」。
「立ち方」ができるようになるとフォームも固まり、それによって相手投手に合わせることができるようになったという。
「ただ『打つんだ』って漠然と思うんじゃなくて、具体的に『このピッチャーならこうする』っていう考えを持つと体が動きやすいし、迷いがなくなるんです」。
コースや高さ、球種など、その投手の情報は当然頭に入れ、試合展開や守備位置、カウントなどの状況を加味してより具体的にイメージする。そうして、そこに来た球に自身が反応するだけだ。
前年は打席で「形とか右手がどうとか、自分のことばっかり考えていた」と省みる。それが、「立ち方」を変えたことで動きが定まり、相手に合わせるのは自分のほうだと悟った。
今年はNPB球団からの調査書も届き、指名はなかったものの、やってきたことの評価は受けた。「達成感はめちゃくちゃあります。もちろんNPBに行くという目標で独立にリーグに来たんですけど、もう一つ、野球を通じて人間力を高めるっていうのを自分の軸でやっていた」と語る。
コミュニケーション、人の話の聞き方、情報の取捨選択、姿勢や生活すべてにおいて、野球を通じて人間力を高めようと、日々を過ごしてきた。その結果、「自分から野球を抜いても、ちゃんとしっかり成長できた」と自らに合格点を与え、十分にやりきったと清々しい笑顔を見せる。
壇上で『上手くなるのを上手くなれ』という言葉を口にしたが、「成功している人は、なにごとでも上手い。野球で上手くなるのが上手かったら、営業の仕事をしても上手いだろう」と言い、今後は営業職に就くことを目指すという。
「営業で人と話すことが、自分の持ち味を活かせるんじゃないかな。野球でも人と話して自分に有益な情報を聞いたり、あえて聞かなかったりとかあるじゃないですか。そういうのが自分のキャラ的にもいけるんじゃないかなと。営業系の仕事をして、野球みたいに熱くなれたらいいかなと思っています」。
墳下選手なら、愛される営業マンになるだろう。またどこかで「墳下、お願いします!」の声が聞かれるかもしれない。
■林悠太
《桜井高校―新潟医療福祉大学―富山GRNサンダーバーズ(2年)》
「はっきりしている2年間だった」と振り返るのは、林悠太投手だ。「いい1年と苦しかった1年」と明暗が分かれたという。
「でも、社会に出るとなったとき、活きるのは(苦しかった)今年の1年だと思うんですよ。好きなことをやらせてもらって、それに対して苦しいのは、どれだけ遠回りしてもなんとかしようと思える。これから社会に出たとき、好きなことで職に就けるのは本当に難しいこと。野球しかしてこなくて、何も知らない状態から始まるので、そういう意味では苦しさを味わった1年は、これから出る社会で活きると思います」。
15年間の野球人生の中でも、じっくり「野球」と向き合い、考えて取り組めた1年だったとうなずく。
苦しんだ要因も自ら分析する。
「体の大きさとか数字的なものは、やった分だけ返ってきた感じはあった。球速はもう一つ、自分の中で足りなかったけど。ただ、勝ちに結びつかなかったのは、去年と比べてフレッシュさがなかったのかなと思います。去年は何もかもが初めてで、自分でも新鮮な気持ちで入れたけど、今年はNPBってことを考えて、より覚悟していた1年だったんで、追い求めた結果が数字ばっかりになったところがあったのかなって思います」。
もちろん負けたときの悔しさは「半端じゃなかった」が、「チームのため」より「自分のため」の比重が、昨年より重かったのだろうと考える。
しかし独立リーグとは、そういう場所でもある。個々のアピールが重要なのだ。
「でも極論、みんなが個人でアピールを続ければ、勝てるじゃないですか」と、アピールの集合体こそがチーム力アップにつながるのではないかと語る。
「せっかくやる勝負で負けるの、本当に嫌いなんで。いいピッチングしても、負けは負けなんで。先発の役割はまず勝つために投げることなんで、そこが結びつかなかったっていう悔しさはすごくあります」。
チームの勝利に貢献できなかった悔いは残っている。
しかし、貴重な2年であったことは間違いない。
「人間性を成長させてもらったのも大きかったし、よりプロってことを意識して野球だけをやれた。ひたむきに努力するっていうのが、元々そんな得意なタイプではなかったので、それができたのはよかったと思います」。
とことん突き進んだ2年があるから、これからも頑張れる。「今後は恩返し」とし、両親や「熱い中、球場に足を運んでくれた」というおじいちゃん、おばあちゃんにも返していくつもりだ。
「ある程度、これかなっていう職業は考えているんで、その中でしっかり自分で選んで、芯をもってやっていきたい」。
そう決意する林投手の瞳は、キラキラと輝いていた。
■横井文哉
《一宮高校―名古屋大学―富山GRNサンダーバーズ(2年)》
横井文哉投手にとって、手ごたえのある2年間だった。今季は先発も任され、球速も150キロまで上がった。
「あと少しっていうところまでは自分の中ではきていたけど、やっぱり1年戦う体力のコンディショニングの部分が足りていなくて調子を落としてしまった。そこが悔いというか、もう一段上げられたら手が届いたかもみたいな気持ちはあるんですけど…」。
そしてこう続ける。
「でも、どっちかというとわりと満足できたっていうか、やりきれたっていう気持ちが強いです。元々2年だけ本気で頑張ろうって決めていて、年齢もあるので、ダメだったら仕方ないっていう形でした」。
届きそうで届かなかった。しかし、そこまで精いっぱい頑張れた。交錯するさまざまな思いが伝わってくる。
最も思い出深い試合を挙げてもらった。
「1つに絞るのは難しいですね(笑)。初めて先発した試合は手ごたえというか、単純に自分の力が通用するって思えました。でも、自分の中で一番よかった試合は2試合目の先発です。かなりまっすぐの感覚も、投げている感覚もよくて…。足がつっちゃって降板したんですけど、その試合は印象に残っていますね。このままさらに成長していけばいいんだっていう気持ちになれたので」。
スカウトも期待を込めて見てくれた試合でもあった。
自らを「タフになった。肉体的にも精神的にも」と評する。
「1年目はあまり試合に出られなくて、2年目になって先発や重い場面も任されるようになって、その中でしっかり全うできたのはあると思います。2年目は途中でかなり調子が悪くなったけど、最後に盛り返すことができました。球速もかなり上がって150キロまで出たし、変化球も増えてコントロールもよくなったっていう、技術的な面でも大きく成長できましたけど、それ以上に精神的に強くなれたと思います」。
コツコツと着実に積み上げてきた。
最後の読売ジャイアンツ3軍戦でも好投した。NPBとの対戦では「自分の力以上のものが出ました」と白い歯をこぼす。
「やっぱり目標なので。リーグ戦ももちろん本気なんですけど、いつも以上が出せてレベルの高い相手と戦えたっていうのは、すごく楽しかったですね」。
NPBの選手相手に、しっかりと渡り合えた。
大学時代のリーグ戦と違って、独立リーグはシーズンが長い。うまくいくときもあれば、そうでないときもあった。しかし、その中でどうやって対処するのか、どうコンディションを整えるのか。そういったことも自分で考え、取り組むことができた。
「そこが一番、成長しました」と、学びの多い2年間だった。
自ら2年と決め、苦行を予想していたが、「チームメイトもみんないいやつ」で、楽しく過ごせた。吉岡雄二監督も、想像していた厳しさではなく、「優しさも併せもっておられる方」だった。
「誉田(凌央)から聞いたんですけど、このチームで一番成長したのは僕だって監督が言ってくれたそうで、そういうのを聞くとすごく嬉しいし、頑張ってきた甲斐があったなって思いますね」。
直接言われるより、人から聞かされるほうが嬉しいものだ。実はこれ、取材中にもよく耳にしていた。横井投手の取り組む姿勢やそれに伴う結果、そしてその成長ぶりを吉岡監督はいつも讃えていた。
今後は地元の愛知県に戻って「元々ITには興味あったので、エンジニアとか」と、理系の仕事を目指すという。名古屋大学出身だ。引く手あまただろう。
■石橋航太
《富山商業高校―金沢星稜大学―富山GRNサンダーバーズ(2年)》
石橋航太選手は、「1年目にグランドチャンピオンシップに行ったことです」と、2年間の中で最も思い出深い試合として、昨年の愛媛の坊っちゃんスタジアムで開催された独立リーグの日本一を決めるトーナメント、「グランドチャンピオンシップ」を挙げた。
徳島インディゴソックス(四国アイランドリーグplus)を激しく追い上げたが、結果は惜敗だった。「負けたんですけど、やっぱり四国の強いチームと試合できたっていうのが思い出に残ってます」と新たな世界を見たことは、石橋選手にとって肥やしになった。
サンダーバーズでの2年間、NPBを目指して必死に汗を流してきた。しかし、指名はなかった。
「NPBに行けなかったので悔しい気持ちもありますが、野球選手として今までにないぐらい成長できたので、自分にはとてもいい場所でした。技術面…とくにバッティングの技術が今まで以上に上がりましたね。今までミート率が低かったけど監督や細谷さんに教えていただいて、意識的な部分ではあるんですけど、そのおかげでこれまで以上にいい結果が出ました。そういう部分が一番、自分の中で成長したかなって思います」。
パンチ力もしっかりと見せた。
今後は社会人野球の世界に身を投じる予定だという。これまでは野球だけに時間を使えたが、社業にも従事しなければならなくなり、野球に割ける時間もこれまでのようにはいかない。
だが、独立リーグとはまた違った一発勝負のヒリヒリした緊張感や、明日なき戦いの中での勝つ喜びなども味わえるだろう。
「都市対抗であったり、日本選手権であったり、それ目指して頑張りたいです」。
サンダーバーズファンのみなさんにも、ぜひ注目してもらいたいと意気込んでいる。
■武部拓海
《砺波工業高校―富山ベースボールクラブー富山GRNサンダーバーズ(3年)》
武部拓海選手は「本っ当に苦しい時期が多かった」と語る。気持ちの波が激しく、昨年は過度なストレスから円形脱毛症になり、その箇所は500円玉より大きくなったという。
「だから、楽しいことももちろんあったんですけど、どちらかといったら苦しい3年間やったかなっていう感じです」。
笑顔の裏には、そんな思いを抱えていたのだ。
通用すると思って入団した1年目は、打率.150。ショックを受けた。このままではダメだ、何か変えないとと、知人を通じて広島東洋カープの秋山翔吾選手の自主トレに参加させてもらったり、生活から見直そうと一人暮らしを始めたりもした。
2年目は.281まで上がり、足でも魅せた。だが調査書は来なかった。「燃え尽き症候群みたいになって、辞めようかと思った」と迷った挙句、家族の応援もあって3年目もトライした。
今年はおもに9番打者として、相手の石川ミリオンスターズには恐怖を与えた。ランナーがたまると勝負強い打撃を発揮し、また自身が出塁すると足でかき回した。やれることはやったが、「結局、調査書も3年間で1枚もなかったんで、それで踏ん切りがついた。年齢も22歳っていう区切りがいい年だったんで」と心を決めた。
気持ちが揺れなかったわけではない。大学で指名がなく独立で指名された選手は自分より年上だ。4年間一度も調査書が来なかったが、今年初めて届いて指名された選手もいる。そういうのを目の当たりにすると、「まだやってもよかったかな」と迷いがチラつくこともあった。
しかし、「自分が一度決めたんで、自由契約に変えたりせず、任意引退のままでいこう」と腹をくくった。もう決して迷わないように。
秋山選手には「選手じゃなく、手伝いとしてまた自主トレに行きますね」と、引退を報告した。
自らを「あきらめやすい性格だった」と言い、学生時代はよく「もう無理」という言葉を使っていたが、富山に入って変わることができた。さらに、これまでは感覚だけやっていたのが、「だから崩れやすい」と気づき、しっかり考えて野球をするようにもなった。
「考える力というのも学べたし、ほかにも引き出しが増えました。バッティングも守備も走塁も。思い出としては苦しくても、体や体験としては、すごくよかったと思います」。
収穫は挙げればキリがない。
かつて勤めていた半導体の会社が枠を空けて待っていてくれ、「出戻りみたいな感じで(笑)」と、すでに11月1日から働きはじめている。
「新しい工場もできて、その新技術のほうに行きます」。
3年間で得たリーダーシップにも期待をしてくれ、上司と若い社員の間のパイプ役も担う。成長した姿で、今度は会社に貢献する。
■それぞれの道へ・・・
それぞれの道を歩みはじめている退団した選手たち。
そして先日、長である吉岡監督の退団も発表された。東京ヤクルトスワローズからコーチとして乞われたのだ。
出会いがあれば別れがある。しかし、富山で培われた絆はこれからもずっと続く。
雷鳥戦士たちに幸あれと願う。
(撮影はすべて筆者)
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