財務省に対する阿部文科相の反論は、あまりにも〝ブーメラン〟すぎた
財務省が示した教員の働き方改革への提案に、文科省が反論している。財務省は11日に開かれた財政制度等審議会の部会に提出した資料で、働き方改革の進捗状況に応じて教職調整額を引き上げるなどの対抗案を示した。これに対して阿部俊子文科相は12日の閣議後記者会見で「乱暴な議論」と批判した。しかし、その内容は文科省への批判にもつながってくる〝ブーメラン〟でしかない。
|ここまでは教員も支持するはずだ
財務省は、教員の時間外在校時間(残業時間)を減らしていくことを条件に教職調整額を引き上げていき、教職調整額が10%になる水準にまで達したら、労働基準法に則った手当(残業代)を支払うと提案している。これに対して文科相は、「教師の長時間勤務を改善する方策として、教職員定数の改善についてはいっさい示されていない」と批判する。
さらに、いじめの認知件数が73万件を超えて過去最多となり、不登校児童・生徒も過去最多の34万人超えとなるなかで、「(教員の)在校時間等の縮減が容易でない地域、学校も存在する」と文科相は続ける。こうしたなかで教職員定数の改善は不可欠であり、教員の数を増やさずに残業時間の縮減を教職調整額引き上げの条件とするのは、「乱暴な議論」だと批判する。残業時間の縮減ばかりを迫れば、「必要な教育指導が行われなくなる恐れがある」とも指摘する。
ここまでの文科相発言には、多くの教員が拍手を送るのではないだろうか。学校をとりまく問題や教員の過重労働を解消するためには、教職員の数を増やすことが絶対不可欠である。それを無視して、教職調整額引き上げを条件にして残業時間の縮減を迫るのは、まさしく乱暴すぎる。
|その批判は、文科省にもあてはまる
問題は、ここからの文科相発言である。「教師の厳しい勤務実態があるなかで、時間外在校時間(残業時間)の縮減を確実にすすめなければいけない」との認識を示したうえで文科相は、「自治体ごとの在校等の時間の公表を制度化」すると述べている。さらに、「各学校における取り組みを促進するために、働き方改革にかかわる観点を校長先生の人事評価に導入して、マネジメント力を強化する」と続ける。
公表することで各自治体間での競争を煽り、さらには残業時間の縮減実績を校長の人事評価に含めて強制力を発揮させる、ということではないか。そういう強権的な策は残業時間の縮減を条件にする財務省案と同じ発想であり、「乱暴な議論」でしかない。
財務省は教職員定数の改善を示していないが文科省はきちんと要求している、との反論があるかもしれない。たしかに、2025年度概算要求で文科省は7653人の定数増を求めてはいる。しかし8703人の自然減が予想されているので、実質1050人の定数減になる(全日本教職員組合「談話」2024年9月4日)ともいわれている。
教員不足を解消できる要求ではなく、これでは残業時間の縮減にもつながるものでもない。はたして、「改善に努めている」と文科省は胸を張れるのだろうか。ほんとうの意味での教職員定数の改善を考えていないのは、文科省も財務省と同じなのだ。その要求さえ、財務省を説得して全面的に認めさせるこができるかどうかわからない。
教員が足りない状況を改善できないなかで、文科省は自治体や校長にプレッシャーをかけさせようというのだ。増えるだけの状況のなかで校長は残業時間を減らすように教員にプレッシャーをかけることになる。それがパワーハラスメントの増加につながるであろうことは、容易に想像できる。教員の勤務時間を強制的に削ることで「必要な教育指導が行われなくなる恐れがある」と文科相は財務省案を批判したが、文科省のやろうとしていることも同じである。校長からのプレッシャーで強制的に仕事をする時間を短くさせられれば、「必要な教育指導が行われなくなる恐れがある」のだ。
財務省に対する文科相の批判は、そのまま文科省への批判となっている。まさに、〝ブーメラン〟でしかない。
自治体や校長に上から目線で命令するだけでは、残業時間の縮減は改善されない。実質的に教職員定数を増やすとともに、業務量の大幅な削減を実施することが必要である。学習指導要領を見直せば大幅に授業時数を減らせるし、全国学力テストの結果を自治体間で競わせる現状を変えれば、対策に割かれている多くの時間を削ることができる。残業時間の縮減は一気にすすむにちがいない。
そうしたことは、文科省だからこそできることだ。文科省にしかできない教員の残業時間縮減策はたくさんある。それは、絶対に財務省ではできないことでもある。財務省への反論も必要だが、自ら取り組むべきことを文科省は見直してみるべきではないだろうか。