日本最後のトロリーバスが発着する日本最高所の鉄道駅 立山黒部貫光 室堂駅(富山県中新川郡立山町)
来たる11月30日で営業運転を終了し、来春からは電気バスに置き換えられる立山トンネルトロリーバス。その始発駅である室堂駅は標高2,450メートル、ロープウェイを除く鉄道では日本で最も標高の高い駅だ。12月1日のトロリーバスの廃止に伴い、大観峰駅とともに鉄道駅としては廃止となり、日本最高所の鉄道駅の座を、現在3位の黒部平駅(標高1,828メートル)に譲ることとなる。
ちなみに、ロープウェイも含めれば日本で最も標高の高いのは駒ヶ岳ロープウェイの千畳敷駅(標高2611.5メートル)だ。
立山観光の拠点である室堂に初めて道路が開通したのは昭和39(1964)年6月20日のことだ。ターミナルとなる室堂駅は昭和44(1969)年5月8日に着工し、昭和46(1971)年4月25日に開業した。駅舎と一体化する形でホテル立山も建設され、昭和47(1972)年9月1日に開業した。こちらは日本一標高の高いリゾートホテルとして知られている。
駅舎およびホテルは景観に配慮しつつも遭難防止の道標となるよう設計された。設計者は三重県出身の建築家・村田政真(むらた・まさちか)で、他に駒沢オリンピック公園陸上競技場や四日市市立図書館なども設計している。外観や建物内を見ると、とても半世紀以上前の建物とは思えない秀逸なデザインだが、厳しい自然環境に晒される外観にはさすがに傷みが目立つ。
地下1階が観光バスのりばで、1階が高原バス・トロリーバスのホームと改札口、2階がレストラン立山ととなっており、ホテル立山には2階で連絡している。3階は屋上展望台で、さらに上がると雄山神社峰本社旧社殿展示室がある。
バスの改札口がある1階コンコースは繁忙期に多くの観光客を受け入れるだけあって広々とした造りで、半世紀に渡って建物を支えてきた無機質なコンクリートの柱と梁が頼もしい。
屋外にある高原バスのホームから駅舎内に入ると、真っすぐ正面にあるのがトロリーバスの改札口で、乗換の動線もわかりやすい。個人と団体で並ぶところが分けられている辺りからも、立山黒部アルペンルートがこれまでいかに多くの団体客を受け入れてきたのかがわかるというものだ。
改札口から入るとトロリーバスのホームで、こちらはトンネル内にあるため、まるで地下鉄の駅のような雰囲気だ。最大4両まで車両が並んでおり、係員の誘導にしたがって、乗車する。停車している車両がすべて次の便とは限らず、前の2台の発車後に後ろの1台が前方に動いて、そのまた次の便となるという運用のされ方をすることもある。
バスとトロリーバスの乗り継ぎに余裕があるのなら、屋上から外に出てみよう。時には最終接続に気を付けた上で一本や二本遅らせての散策もおススメだ。筆者が訪問した11月20日時点では既に雪が積もっており、一面の雪景色だった。凍って滑りやすいので、防寒装備だけでなく滑りにくい靴も散策場所によっては必要となる。
滑らないよう気を付けながら北に向けて雪の中を歩くと、ほどなくミクリガ池に辿り着く。立山の火山活動によってできた火口湖で、風がなければ湖面に映る立山を見ることができる。
この池の水を使って立山の神に捧げる料理がつくられたことから「御厨ガ池」の名がつけられた。「御厨(みくり、みくりや)」とは神饌(神への供え物)を調理する場所という意味だ。元和3(1617)年夏、越前の小山法師という僧がこの池に飛び込んだ際、三繰り(三周)したところで神の怒りに触れて吸い込まれてしまったという伝説から、「三繰ガ池」とも表記するという。
みくりが池温泉からさらに進むと、地獄谷だ。火山ガスが噴き出し、生き物が住めないその様子から、立山信仰においては現実の地獄とされてきたところだ。昭和の観光開発以降はハイキングコースや温泉として親しまれてきたが、平成23(2011)年以降は噴気活動活発化により立入禁止となっている。今でも少し離れたところから見ることができるが、硫黄の匂いが立ち込めており、風向きによっては危険なので長居しない方がよいだろう。
ミクリガ池の東側を通って南へ戻ると、「日本最古の山小屋」とされる立山室堂がある。立山山頂の雄山神社への参詣者が宿泊するための建物として江戸時代に建てられたものだ。現存する建物は二棟にわかれており、北室は享保11(1726)年、南室は明和8(1771)年に建てられたとの記録が残っている。300年近く前の木造建築がこんな標高の高いところに残っているのは奇跡と言っていいだろう。
この建物の存在から「室堂」の地名が付き、周囲一帯を「室堂平」と呼ぶ。日本最高所の駅名は、日本最古の山小屋に由来するのだ。
駅舎3階から雄山神社峰本社旧社殿展示室に上がる踊り場には、立山開山の祖・佐伯有頼の像がある。飛鳥時代の終わりから奈良時代初めにかけての人物で、越中国司・佐伯有若の息子と伝わる。16歳の時、父親の飼っていた白鷹を逃がしてしまい、白鷹とそれを襲おうとした熊を追って立山の岩屋に入ったところ、金色の阿弥陀如来を発見し、立山を霊場として開くようお告げを受けたというのが、開山にまつわる白鷹伝説だ。立山は大宝元(701)年に有若と有頼によって開山され、山岳信仰の場として1300年以上もの長い歴史を持っている。
立山信仰の拠点として栄えた麓の芦峅寺には佐伯姓が多く、有頼の子孫とされる。富山地方鉄道や立山黒部貫光の創業者である佐伯宗義も芦峅寺の生まれで、立山の観光開発と環境保護、山岳信仰の尊重を両立させた立山黒部アルペンルートの成立に後半生を捧げた。立山黒部貫光の社名の「貫光」は宗義の造語で、「貫」は時間、「光」は宇宙・大自然(空間)を意味する。日本の中央に横たわる立山連峰を貫くと同時に、時間と空間を超えて、日本海側と太平洋側の格差をなくすという壮大な思想が込められた社名だ。1300年の時を経て、立山を再び開山した佐伯宗義は、立山の観光開発の先に、国土の均質的発展を夢見ていたのである。
立山黒部アルペンルートによって、気軽に訪れて雄大な自然に触れることができる室堂。見どころが多いので、ホテル立山に宿泊してのんびりと散策したいところだ。宿泊費はそれなりにするものの、古き良き時代のリゾートホテルといった趣で、立山の大自然の中で贅沢な時間を過ごせることを思えば、ちょっと贅沢してみる価値はある。頑張った自分へのご褒美に室堂で自然に触れて静養してみるのもいいだろう。
トロリーバスはまもなく廃止となるが、電気バスに替わって立山黒部アルペンルートはこれからも繋がれ続ける。季節を変えて何度でも訪れてみたくなるところだ。
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