築65年、モダンな木造駅舎が残る黒部市街の無人駅 富山地方鉄道本線 東三日市駅(富山県黒部市)
黒部川がつくりあげた扇状地に位置し、黒部峡谷や宇奈月温泉などの人気観光地を擁する富山県黒部市。幾度もの合併を経て市域を広げてきた黒部市だが、古くからその中心となってきたのは「三日市(みっかいち)」という町だ。
三日市はその名の通り、「三」のつく日に市場が開かれたことに由来する地名で、物資の集散地や北陸街道の宿場町として栄えてきた。明治の町村制では下新川郡三日市町となっており、古くから町制を敷いていた辺りにその繁栄が窺える。
明治43(1910)年4月16日に北陸本線が魚津~泊間を延伸した際には、三日市駅も開業したが、駅の所在地は隣の下新川郡石田村天神新で、三日市の町からは1キロほど東に離れていた。三日市の町にようやく鉄道が通ったのは、それから12年後、大正11(1922)年11月15日のことである。黒部鉄道が三日市駅から、下立(おりたて)駅までを開業させたのだ。この黒部鉄道は、日本初のアルミ精錬を目的として高峰譲吉博士らが設立した東洋アルミナムが、アルミ精錬の電源確保のための発電所を建設するべく開通させた鉄道で、のちに桃原(現:宇奈月温泉)までが全通している。
東三日市駅も大正11(1922)年11月15日、黒部鉄道が開通した際に開設された。三日市の町の東部にあったことから「東三日市」と命名されたものの、当時の駅名を見てみると「三日市」「西三日市」「東三日市」という順に並んでおり、三日市駅の方が西三日市駅(現:電鉄黒部)よりも西にあるという不思議な状況だった。おそらくは、三日市町に駅を二つ設置するにあたり、西にある方を「西三日市」、東にある方を「東三日市」と命名したといったところだろう。
東三日市駅の駅舎は昭和34(1959)年7月に建てられたもので、ホームに高さを合わせて階段状に建てられている。入り口部分に合わせた階段ではなく、二方向を囲む雛壇状というのが珍しい。漆喰壁に瓦屋根という組み合わせは和風のようだが、入り口脇に張られたタイルはモダンな印象を与える。多様な要素を詰め込みながらも破綻なくまとめた設計者のセンスが光る駅舎と言えよう。
外装は近年塗り直されたため綺麗だが、内部は昔ながらの雰囲気を色濃く留めている。貼り紙やポスターなどは最新だが、壁に掲げられた病院の看板や伝言板などは時代が止まったかのような雰囲気だ。窓口の前にはなぜか小学校で使われていたと思しき机が置かれている。
ホームの柱や壁も塗り直されているが、こちらもレトロな雰囲気。白壁と黒い柱や窓枠のコントラストが美しい。柱に掲げられた駅名標や、壁に掲げられた駅名標も昔のままで、駅名標を頻繁に交換する首都圏のJRとは時間の流れ方からして違うように思える。
前述のように駅のある三日市は黒部市の中心にあたり、駅周辺には黒部市役所などの公共建築も多数所在している。駅前にある大きな建物は黒部市民会館だ。昭和41年5月竣工で、「くろべ市民交流センター」への機能移転により、令和5(2023)年9月30日に閉館した。現在は使われておらず、いずれ解体されるのであろうが、駅前一等地の広い土地であるだけに、跡地は有効活用されてほしいものだ。
三日市町が昭和15(1940)年2月11日の合併で下新川郡桜井町となり、昭和29(1954)年4月1日に再び合併して市制施行、現在に続く黒部市となった。
西三日市駅は昭和26(1951)年6月25日に「電鉄桜井」に改称(のちに電鉄黒部に再改称)、本家(?)の三日市駅も昭和31(1956)年4月10日に「黒部」に改称したことにより、今や旧町名である「三日市」の名を残す唯一の駅名となった東三日市駅。モダンでレトロな木造駅舎を見るために途中下車してみてはいかがだろうか。
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