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大都市からは早々と消えるも、観光用として細々と生き続けた日本のトロリーバス その96年の軌跡

清水要鉄道・旅行ライター
大阪市営トロリーバス 保存車

 来たる11月30日(土)をもって、日本からとある乗り物が姿を消す。その名も「トロリーバス」で、名前にはバスとつくが法的には鉄道の一種である。「無軌条電車」ともいい、かつては「無軌道電車」とも書いたが、「無軌道」には「常識外れ」といった意味もあって印象がよくないことから、「無軌条」の方が一般的に使われるようになった。

 見た目はバスそのものだが、屋根の上にトロリーポール(昔は電車にも搭載されていた)を搭載し、架線から電気を取り入れてモーターを回転させて走行する。ゴムタイヤで走る点はバスと同じだが、走行の仕組みは電車と同じで、言ってみれば「バスと路面電車の中間的存在」だ。世界でも多くの都市(特にロシアや中国など旧共産圏諸国)で現役だが、日本においては富山県の立山トンネルトロリーバスのみが現役であり、それもまた11月30日で営業を終了する。

 世界的に見ても数を減らしつつある乗り物とはいえ、なぜ日本においてはあまり定着することがなく、あまつさえ最後の路線も消えてしまうのであろうか。その背景には、「バスと路面電車の中間的存在」であるが故の長所と短所があった。その歴史を振り返ってみよう。

無軌道電車開業 『時事年鑑 昭和4年版』(時事新報社 編 昭和3年刊行)より
無軌道電車開業 『時事年鑑 昭和4年版』(時事新報社 編 昭和3年刊行)より

 日本におけるトロリーバスの営業運転の歴史は、昭和3(1928)年8月1日に運行を開始した「日本無軌道電車」に始まる。現在の兵庫県宝塚市・川西市にあたる地域で、温泉・遊園地「新花屋敷」へのアクセス路線として開業したものだったが、会社の倒産によりわずか4年足らずで廃止されている。

 ここで気になるのが、今でいうリゾート施設へのアクセス路線になぜ「トロリーバス」というそれまで国内で採用されてこなかった新しい乗り物が採用されたのかということだ。日本無軌道電車の開業以前、明治45(1912)年に東京市電気局(のちの東京都交通局)が、大正15(1926)年には日立製作所がトロリーバスを試作しているものの、いずれも実用化には至らなかった。

戦前期のバス(リニア鉄道館の国鉄バス第1号車)
戦前期のバス(リニア鉄道館の国鉄バス第1号車)

 新花屋敷でトロリーバスが採用されたのは、そこに至る急坂ゆえであった。当時のバスは今よりはるかに性能が悪く坂を登り切れない可能性があった。では、電車はというと、こちらも鉄車輪ゆえ勾配に弱い。そこで採用されたのが、電気を動力にゴムタイヤで走るトロリーバスだったのだ。新花屋敷の経営者である田中数之助がハイカラ好きで、上海で目にしたトロリーバスを見て着想したとも言われている。また、日本にそれまでなかった乗り物ということで、物珍しさから客寄せになるだろうとの思惑があったであろう。国内初の乗り物ゆえに認可に際しては苦労も多かったとの記録が残っている。

京都市営無軌道電車 『毎日年鑑 昭和8年』(大阪毎日新聞社, 東京日日新聞社 編 昭和7年刊行)より
京都市営無軌道電車 『毎日年鑑 昭和8年』(大阪毎日新聞社, 東京日日新聞社 編 昭和7年刊行)より

 日本初のトロリーバスであった日本無軌道電車は昭和7(1932)年4月1日に早々と廃止されてしまったが、その廃止と時を同じくして日本で二番目のトロリーバスが開業した。京都市営トロリーバスである。導入理由としては、軌道を建設しなくてもいいことから路面電車よりも建設費が安いことが挙げられている。当時の大都市交通の主役は路面電車で、性能も悪く車体を大型化できないバスの代わりに、大きな車体で多くの乗客を運んでいた。トロリーバスの場合は路面電車ほど車体を大型化できないものの、それでも通常のバスよりは車体が大きく、そうした点から、路面電車をわざわざ建設するには乗客の少ない路線において採用されていた。

名古屋市営無軌道電車 『電気工学年報 昭和18年版』(電気学会 編 昭和18年刊行)より
名古屋市営無軌道電車 『電気工学年報 昭和18年版』(電気学会 編 昭和18年刊行)より

 京都に続いてトロリーバスが採用された都市は名古屋で、昭和18(1943)年5月10日に開業した。その背景には戦時中のガソリン供給停止があり、木炭バスでは出力が不足することから、トロリーバスが採用された。当時は鉄道建設の資材も不足しており、路面電車の新規建設も難しい状況だった。軍需工場への通勤輸送が逼迫する中、短期間で建設できることもメリットだったようだ。

 こうして戦中・戦後の名古屋を支えたトロリーバスだったが、あくまでもピンチヒッターといった感じで、戦後も落ち着いた昭和26(1951)年1月16日には、市電とバスへの置き換えにより、わずか8年で消えてしまった。

都営トロリーバス 『きしゃでんしゃ (トッパンの写真絵本)』(トッパン 昭和28年刊行)より
都営トロリーバス 『きしゃでんしゃ (トッパンの写真絵本)』(トッパン 昭和28年刊行)より

 名古屋からは早々と消えてしまったトロリーバスだが、戦後には複数の大都市で導入されることとなった。昭和26(1951)年には川崎市、翌27(1952)年には東京都、28(1953)年には大阪市、34(1959)年には横浜市で開業している。

 当時はアメリカなど諸外国においてもトロリーバスが市内交通の新たな主役と見なされており、GHQ民間運輸局も各都市にトロリーバス建設による市内交通の確保を勧告していた。路面電車よりも安く簡単に建設できるトロリーバスは、戦後の大都市復興に合わせて路線を延ばし、昭和30年代に最盛期を迎えた。

 しかし、最盛期もそう長くは続かなかった。高度経済成長期に入ると、自家用車が普及し、渋滞の激化によりトロリーバスも路面電車と同様に定時運行が難しくなった。大都市においては地下鉄の建設が進み、路面電車は次々と姿を消していく。

 路面電車の廃止が進む中、変電所を共用しているトロリーバスのために残すのは不経済であり、トロリーバスもまた路面電車とともに消えゆく定めとなった。運行されている車両も製造から10年近く経過して取り換え時期を迎えており、通常のバスよりも製造費用が高くつくこともまた廃止を後押しする一因となった。その頃には、大型ディーゼルバスの開発も進んでおり、輸送量的にもバスへの置き換えに問題はなくなっていた。

 昭和42(1967)年に川崎市、43(1968)年に東京都、44(1969)年に京都市、45(1970)年に大阪市と廃止が進み、昭和47(1972)年4月1日の横浜市営トロリーバスの廃止をもって、日本の大都市からトロリーバスは消滅している。戦前に開業した京都市を除き、いずれも営業期間は20年に満たなかった。

関電トンネルトロリーバス
関電トンネルトロリーバス

 一方、中部山岳地帯においては観光用トロリーバスが生まれていた。昭和39(1964)年8月1日に開業した関電トンネルトロリーバスである。これは、換気が困難な長大トンネルを走ることと、自然環境への配慮から導入されたもので、大都市からトロリーバスが消えた後も日本唯一のトロリーバスとして命脈を保つこととなった。

立山トンネルトロリーバス
立山トンネルトロリーバス

 平成8(1996)年4月23日には立山トンネルトロリーバスが開業。それまで通常のバスで運行されていたものを、関電トンネルトロリーバスと同様の理由からトロリーバスに切り替えたもので、実に32年ぶりのトロリーバス新規開業となった。

関電トンネル電気バス
関電トンネル電気バス

 路線がもう一つ増え、立山黒部アルペンルートにおいて細々とその歴史を繋いできたトロリーバスだったが、平成の終わりに再び大きな転換点を迎える。関電トンネルトロリーバスの車両更新に際し、電気バスに切り替えられることとなったのだ。トロリーバスは国内での採用例の少なさゆえに車両・部品の製造費用が高く、新たに開発された電気バスの方が経済的で環境負荷も少ないことが、切り替えの決め手となった。

 新しい電気バスは屋根上に充電用のパンタグラフを備え、バッテリーに蓄えた電気で走行する。パンタグラフから充電して電気で走る点はトロリーバスの正統進化といった印象だが、法律的にはバスだ。この切り替えにより関電トンネルトロリーバスは平成30(2018)年11月30日をもって営業を終了、翌12月1日に廃止となった。

トロリーポールを搭載したトロリーバスの屋根上(扇沢、トロバス記念館)
トロリーポールを搭載したトロリーバスの屋根上(扇沢、トロバス記念館)

 廃止後、関電トンネルトロリーバスの車両は高岡市伏木の日本総合リサイクルで解体されたが、トップナンバーの301だけはクラウドファンディングにより、扇沢駅前のトロバス記念館に保存されている。現役当時は見ることのできなかった屋根の上も観察できるのは、鉄道ファンとしてはありがたい限りだ。

立山トンネルトロリーバス
立山トンネルトロリーバス

 関電トンネルトロリーバスの廃止により、日本で唯一のトロリーバスとなった立山トンネルトロリーバスだが、関電に遅れること6年、同じく電気バスに切り替えられることとなった。11月30日で28年に渡る営業を終え、12月1日に鉄道としては廃止となる。これに伴い、昭和3(1928)年の日本無軌条電車開業以来、96年もの間紡がれ続けてきた日本のトロリーバスの歴史にも幕が下ろされることとなった。

 路面電車よりも安く早く建設できる長所を買われて大都市部に広まったものの、自家用車の増加と大型ディーゼルバスの開発に追われる形で、大都市部からは早々と姿を消したトロリーバス。その後は、環境にやさしい乗り物として山岳部の観光用路線で命脈を保ったものの、更新費用の高さと電気バスの進化により、国内からは全廃されることとなった。今後は各地に残る保存車のみがその歴史を伝えていくことだろう。

※出典のある画像はいずれも国会図書館デジタルコレクションより引用した。

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鉄道・旅行ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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