簡素化により95年目で消えた開業以来の木造駅舎 加古川線 本黒田駅【後編】(兵庫県西脇市)
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豊臣秀吉の軍師として有名な戦国武将・黒田官兵衛。その生誕伝説が残る黒田城跡の最寄り駅である本黒田駅だが、数年前までは開業時以来の木造駅舎が使用されていた。後編では、残っていれば今年で築百年だった旧駅舎を紹介しよう。
黒田集落の中を走る駅前集落の突き当りにあった旧駅舎は、立派な植え込みに囲まれており、周辺の風景に溶け込んでいた。元はもっと大きな駅舎だったものの、平成初期に事務室部分を撤去し、減築されてこじんまりとした雰囲気になっていた。駅舎だけでなく植え込みも建て替えに際して撤去されてしまい、今はない。
この駅舎が建てられたのは大正13(1924)年12月27日、本黒田駅の開業に合わせてのことだった。国鉄ではなく私鉄の播丹鉄道が建設した駅舎で、似た形状の駅舎は同じ播丹鉄道が開業させた高砂線(廃止)、三木線(のちの三木鉄道、廃止)、北条線(現:北条鉄道)、鍛冶屋線(廃止)にも見られたが、現存するものは少ない。同日に開業した新西脇、比延、黒田庄、船町口、久下村の各駅にも木造駅舎があったものの、建て替えでほとんどが姿を消し、今も残るのは新西脇ただ一駅のみとなっている。
駅舎内は減築に際して改装されたようで、窓口跡などもなくのっぺりとした印象を受けた。
この駅舎は老朽化による建て替え工事が令和2(2020)年1月9日より始まり、1月中旬に解体された。新待合所は同年3月末に完成、完成イメージ通りの極めて簡素なものとなった。(前編参照)
完成イメージ図の背景の車両はなぜか電化前に使用されていたキハ40だったが、現行車両(125系)の素材がなかったのだろうか。
建て替え工事中の約2か月間、駅舎を迂回する形で仮設の通路が使用されていた。ある程度の利用者がある駅であれば、無人駅でもプレハブの仮駅舎が使用されることが珍しくないが、利用者の少ない本黒田駅の場合は必要ないと判断されたのだろう。ちなみに西脇市統計書によれば、令和4(2022)年度の本黒田駅の一日の乗客数は34人、うち定期は31人で、通学生の利用がメインのようだ。
ホームの雰囲気は建て替え以前と現在でもあまり違いはない。駅舎南側には電化に際してのホーム嵩上げ時に設置されたスロープが設置されており、嵩上げで生まれた駅舎とホームの間の3段の段差を埋めている。
駅舎のホーム側に設置されている上屋も建て替えで撤去されることなく健在だ。
旧駅舎を撮影した令和2(2020)年1月12日時点で、旧駅舎のホーム側の庇が撤去されていたのは解体工事の準備のためだろうか。
建て替えにより、95年で消えた本黒田駅の旧駅舎。バス停のように簡素な姿になってしまった現在の姿とかつての姿を見比べると、寂しさも募る。老朽化による建て替えは仕方ないにしてもせめて四国の簡易駅舎のような「箱」の形にはしてほしかったものだが、今の利用者の少なさでは仕方のない面はあるのだろう。
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