Y字路に近代建築、播州ラーメン 「織都・西脇」の魅力 加古川線 西脇市駅【後編】(兵庫県西脇市)
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兵庫県内陸部、北播磨に位置する西脇市は東経135度と北緯35度が交わる「日本のへそ」として知られる。鉄道ファンには「日本へそ公園」の駅名がなじみ深いであろう。前編ではそんな西脇市の代表駅・西脇市駅について紹介した。後編では、駅からは少し離れているものの、加古川線で是非訪れてほしい西脇の街を紹介していく。
加古川が支流の杉原川と合流する地点に開けた西脇の街は、江戸末期以降「播州織」の生産地として栄えてきたところだ。元は多可郡津万村といい、「西脇」は津万郷の西側の一部分を指す呼称に過ぎなかったが、織物産業の発展や鉄道の開通によって栄えた西脇地区が急速に発展して都市化したことから、大正6(1917)年11月1日の町制施行時に改称して多可郡西脇町となった。
西脇の織物産業は戦後も「ガチャマン景気」の下で発展を続け、昭和27(1952)年4月1日には西脇町・重春村・日野村・比延庄村の合併により兵庫県内陸部としては初めて市制を敷いた。
西脇の織物産業を支えたのは西日本の各地から集団就職でやってきた年若き女工たちだった。それゆえ最盛期の西脇は若い女性の人口が多く、女性との出会いを求めて近隣地域の若い男たちが集まったとの逸話も残されているくらいだ。
西脇の名物グルメ「播州ラーメン」は鶏ガラや豚骨、野菜を煮込んだ甘いスープが特徴だが、女工の口に合うよう工夫を重ねた結果だと言われている。元祖の大橋ラーメンをはじめとして市内の6つのラーメン店で提供されており、店ごとの違いを楽しんでみるのもよいだろう。
織物産業を背景に栄えてきた西脇にはレトロな建物も多い。大正から戦前にかけて建てられたという「旭マーケット」はかつては飲み屋が並んでいたアーケード街で、今もひっそりとレトロな雰囲気を留めている。今も生活されている方のいる空間なので、見学の際は配慮を忘れずに。
また中心部には戦前の北播磨で活躍した建築家・内藤克雄の設計した建物も多く残っている。有名なのは数々の映画・ドラマのロケ地ともなっている重要文化財・西脇小学校だが、現役の学校ゆえに見学の機会は限られている。気軽に見学できておススメなのは銀行家の私邸だった国登録有形文化財・旧来住家住宅(見学無料・月曜休館)と旧西脇町消防屯所(外観のみ)だ。
西脇は世界的芸術家・横尾忠則氏の出身地であり、氏の作品には西脇の「Y字路」を題材としたものも多い。作品から年月を経て変わったところもあるが、その舞台を巡ってみるのもよいだろう。ちなみに上写真の「榎のある風景」の題材になったY字路のそばの和菓子店「住吉屋」の包装紙も横尾氏が手掛けたものだ。
鉄道ファンには鍛冶屋線の廃線跡巡りがおススメだ。かつての玄関口だった西脇駅跡には何も残っていないが、北に行った市原駅跡には鍛冶屋線で活躍していた気動車(キハ30)と復元した駅舎が保存されている。また、隣町の多可町にある鍛冶屋駅跡にも保存車がある。遊歩道に転用されている廃線跡は平坦なので、自転車で走るのもいいだろう。
西脇市駅から見て中心部とは方向が逆になるが、加古川対岸・高松山の長明寺には平安時代の武将・源頼政の墓がある。以仁王と共に挙兵し、宇治川の戦いで敗れた頼政は弓の名手として知られ、妖怪・鵺(ぬえ)を退治したという伝説がある。
鵺退治に同行し、鵺にとどめをさしたと伝わる家来の猪早太(いの・はやた)は野村(西脇市駅周辺)出身という説があり、駅前には猪早太の供養碑がある。一説によれば、頼政は自害の際に遺骸の一部を所領の播磨高松に葬るよう遺言し、それに従って早太が頼政を高松山に葬ったという。
長明寺境内には頼政が鵺退治をする銅像が建てられており、毎年4月29日には頼政祭が開催される。
織都として栄え、レトロな街並みや甘いラーメンを楽しめる西脇市。京阪神からも近く日帰りで手軽に訪れることもできる。ぜひ加古川線で訪れてみてはいかがだろうか。
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