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軍師・黒田官兵衛生誕伝説の地の玄関口 加古川線 本黒田駅【前編】(兵庫県西脇市)

清水要鉄道・旅行ライター
本黒田駅

 豊臣秀吉に軍師として使え、のちに筑前福岡藩祖となった戦国武将・黒田官兵衛。出自については諸説あるものの、一説によれば播磨国多可郡黒田(現:兵庫県西脇市黒田庄町黒田)がその出身地であるという。その黒田の地にある駅が加古川線の「本黒田(ほんくろだ)」駅だ。

待合所
待合所

 本黒田駅は大正13(1924)年12月27日、播丹鉄道が野村(現:西脇市)から谷川まで延伸した際に開業した。所在地が「黒田」なのに黒田駅とならなかったのは、大和鉄道(現:近鉄田原本線)黒田駅との混同を避けるためと思われる。また、「黒田」の中心が岡地区(黒田庄駅周辺)ではなく、当駅周辺であることを示す意味合いもあっただろう。

 開業時に建てられた駅舎が減築されながらも長らく使用されてきたが、令和2(2020)年1月中旬に解体、3月より新待合所の使用を開始した。もはや駅舎とは呼べないバス停のように簡素な設備で、ここで雨の日に列車を待つのは大変そうだ。

ホーム
ホーム

 ホームは単式一面一線。かつては交換可能駅で、反対側にもホームがあったが、現在は草木に埋もれてしまっている。平成16(2004)年12月19日の電化に際して嵩上げなどが行われているため、ローカル線にしてはホームは近代的な雰囲気だ。

黒田城跡
黒田城跡

 駅を出て田園地帯の中を北東に15分ほど歩いたところにあるのが黒田城跡だ。戦国時代の山城で、播磨守護・赤松円心の甥である黒田七郎重光が当地を拠点として「黒田氏」を名乗ったとする資料がある。重光の子孫にあたるのが孝隆(官兵衛)で、姫路城の小寺美濃守職隆(実父説が主流)の養子となった。黒田城は官兵衛の兄・治隆が継いだものの、石原城(西脇市黒田庄町)の石原掃部守や後屋城(丹波市氷上町)の赤井五郎との戦いに敗れて滅亡した。

清綱稲荷大明神
清綱稲荷大明神

 城跡は清綱稲荷大明神という神社になっていて、山道のように険しい木立の中の参道には奉納された赤鳥居が並んでいる。足元が悪いので、軽装での参拝は避けた方がよいだろう。あまり参拝者もいないのかところどころ蜘蛛の巣が張られていた。

清綱稲荷大明神
清綱稲荷大明神

 大河ドラマ『軍師官兵衛』の放映から今年で10年。ブームの時には観光客が多く訪れたであろう官兵衛生誕地の城跡も今では忘れ去られたようにひっそりとしている。600年も前の人物である黒田官兵衛については今もわかっていないことが多く、その出自についても複数ある説のうちどれが正しいのかもはっきりしない。黒田庄出身説もそんな説のうちの一つだが、現地を訪れて歴史のロマンに思いを馳せてみるのもいいだろう。本黒田駅は列車の本数が少ないものの、黒田城跡に登って周辺を散策していれば次の列車までの時間もあっという間だ。

後編では解体されてしまった本黒田駅の旧駅舎について紹介する。

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鉄道・旅行ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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