まるでバス停? 木造駅舎が消え必要最低限の設備になった無人駅 加古川線 比延駅(兵庫県西脇市)
近畿地方のJRで最も利用者が少なく、廃止の噂も流れる加古川線の西脇市~谷川間。この区間には忘れ去られたように近年まで木造駅舎が多く残っていたが、令和改元と前後して久下村駅、比延駅、本黒田駅の順に建て替えられ、今は西脇市駅、新西脇駅、谷川駅に残るのみとなっている。今回は建て替えられた駅のうち比延(ひえ)駅を紹介しよう。
比延駅は大正13(1924)年12月27日、播丹鉄道が野村(現:西脇市)から谷川まで延伸した際に開業。当時の所在地は多可郡比延庄(ひえのしょう)村。比延庄は古代の荘園に由来し、神功皇后が航海安全の神様として知られる大阪の住吉神社に寄進したと伝わる。
「比延(ひえ)」の地名については播磨国風土記によれば、応神天皇が狩りをした際に鹿が「比々(ひひ)」と鳴いたのを哀れに思って中止させたことから、その山を「比也山」と呼ぶようになったとされる。この山が駅東方の比延山で、戦国時代には本郷氏が比延山城を築いていた。
江戸時代の寛政4(1792)年、比延庄村の宮大工・飛田安兵衛が京都西陣から織物製作の技術を導入し、農家の副業として広まったのが「播州織」で、明治から昭和にかけての西脇は繊維産業の町として栄えた。
比延駅の駅舎は長らく開業時のものが使用されてきたが、老朽化とバリアフリー化のため令和元(2019)年11月5日頃に役目を終え、解体された。跡地には屋根とベンチだけの簡素な待合所が建設されている。
待合所は令和2(2020)年1月に完成。風向き次第では雨を防ぐことすらできないような極めて簡素なもので、ないよりはマシといった程度の設備となっている。
比延駅に続いて建て替えられた本黒田駅の場合はベンチの両端に壁が付いているので少しだけ改善されているといった印象だ。
ホームは単式一面一線。対向ホームの後も残っており、草に覆われているものの、本黒田駅と比べると痕跡が分かりやすい。
改築工事中は本黒田駅同様に仮設通路を設置して迂回する形が取られていた。本黒田駅同様、比延駅でも仮駅舎や仮待合室は使用されていない。
西脇市統計書によれば、令和4(2022)年度の比延駅の一日の乗客数は8人。うち7人が定期と通学利用がそのほとんどを占めている。改築された令和元(2019)年度でも13人で、それだけの利用しかない駅に立派な木造駅舎は過剰な設備だとの判断もあったのだろう。
駅から東に400mほどのところには戦前に建てられた公民館が残っている。建てられた年は不明だが、設計者は重要文化財・西脇小学校の設計で知られる内藤克雄。戦前の北播で活躍した建築家で、西脇・加東・小野・加西にその作品が残っている。
駅がある鹿野町などは比延地区の中でも加古川下流側の「下比延」で、日本へそ公園駅周辺が「上比延」にあたる。かつての多可郡比延庄村は昭和27(1952)年4月1日に西脇町などと合併して西脇市の一部となった。
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