米同時多発テロから23年。ニューヨークに住む人々にとって9.11はどんな日だったのか(前編)
9/11それぞれの記憶 (前編)
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件から今年で23年。ニューヨークに暮らす人々はあの日どんな体験をし、何を感じたのか?
23年後の9月11日に寄せて、今年も人々に「あの日」を振り返ってもらった。
「今でも忘れられない全身灰まみれのゾンビの大群のような光景」
森 光代さん(60代、家政婦)の証言
人生のアドベンチャーとして3ヵ月の遊学で1984年、私はニューヨークにやって来た。この街が気に入り、夫との出会いもあってそのまま住み続け、渡米から17年経った2001年。私はダウンタウンのある家庭で2人の子どものシッターとして働いていた。
テロ前日の9月10日は、忘れもしない楽しい夜だった。と言うのもその日はマイケル・ジャクソンのコンサート*があったのだ。夫のアレックスも行ったかな。とにかく友人数人とコンサートに行った気がする。その日はすごい大雨で、穿いていたズボンがびっしょびしょに濡れた状態でコンサートを見た記憶がある。
- The Michael Jackson: 30th Anniversary Celebration: マイケル・ジャクソンのソロ・デビュー30周年記念コンサートとして、2001年9月7日と9月10日の二夜、マンハッタンのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた。
その翌朝の9月11日。
ものすごく綺麗なブルーの空が広がっていた。前日の大雨との対比が大き過ぎたからそれでよく覚えている。こんな空見たことないっていうくらいの美しさ。「わぁ、今日は気持ちの良い天気だ〜」と思った。
当時ブロンクスの170丁目に住んでいたから、いつものように地下鉄でNYU(ニューヨーク大学)の近くにある勤め先に向かった。駅から地上に上がるとカートでコーヒーを売っているおじさんが「ワールドトレードセンター(世界貿易センター、以下WTC)が火事だよ」って言うから「そんなわけな〜い」とかって返した。
そう、誰もが最初はそんな言葉を信用していなかった。だけどブロードウェイを南方へ歩いていくと、確かに空に煙がモクモクモク...と流れているのが見えてきた。太くて真っ黒な煙で、ブルックリン側に流れていたのを覚えている。その場所からはビルの火事の様子は見えなくて、上空の煙だけが見える状態。今考えるとちょうど1機目が(北棟に)突っ込んだ後だったんじゃないかな。
仕事場に到着しすぐにテレビをつけた。その家では別に留学生も住み込みで働いていて、彼女と一緒に生中継を食い入るように観た。目に入る映像は映画のワンシーンみたいでとても信じられなかった。だって飛行機があんな高いビルに突っ込むなんて映画以外に想像もつかないじゃない?
テレビ中継を観ていて、2機目が(南棟に)突っ込んだ。
住み込みの女性の友人がこのWTCの中に入っていた日系の銀行で働いていた。その子は無事に難を逃れ、そこから歩いて私たちがいる家に避難し、3人でしばらく一緒にいたのかな。当時は何が起こったのかまったくわからなかったし、あちこち動くよりしばらく留まって様子を見ようってことで、すぐには自宅に帰らなかった。
私が面倒を看ていたその家の2人の子、確か7歳と5歳だったと思うけど、小学校に迎えに行くべきかどうかを母親に相談したら、「テレビに映る悲惨な映像を見せたくない」ということだったので、私は学校が終わるいつもの時間に迎えに行った。迎えに行くとほとんどの子はすでに保護者が迎えに来て帰宅した後だった。
14丁目の西側の駅から自宅のあるブロンクスへの電車は走っていたので、私も夕方ごろ地下鉄で帰宅した。
そうだ、子どもを学校に迎えに行く前に用事があって、私は近くのアスタープレイス(Astor Pl.)に寄ったんだった。そうしたらそこには全身に灰を被った人たちが大勢でザ〜っと歩いて北上していた。大半の公共交通機関が止まった状態だったから歩いて帰るしかなかった人も多かった。その人々はまるでゾンビの大群みたいな感じでゾロゾロと歩いていて不気味っていうか...あの異様な光景は今でも覚えている。
23年前の出来事なんだけど、視覚の記憶が強く、音は全然覚えていない。匂いもあんまり覚えていないけど...そういえば何日か経つにつれて少しずつ焦げ臭い匂いがしてきたような...。
この国の人はアメリカ人としての使命っていうかレスキュー魂の精神っていうのか、こういう緊急時には互いに助け合わなきゃっていう気持ちが湧くようで、救急救命士の夫も同僚から救助に行こうって誘われていた。でも現場は建物が崩れ、ビルから飛び降りた人も大勢いたし、最初は指示する人もいないわけだから混乱が目に見えていた。救急のヘルプのしようがないと判断した夫は行かなかったが、同僚の中にはマスクもせず現場で救助活動をした人たちもいた。それから数年が経って肺がんなどの病気で亡くなっている人もいて、気の毒に思う。
テロ後は不屈の精神で一丸となったニューヨーカーだったけど、コロナ禍になって逆戻りした感じがする。他人と接触がなくなり、また治安が悪化して人々の諍いが増えた。私もたまにレストランなどで差別的な態度や視線を感じることがある。
また最近は、移民問題も深刻化している。以前は犬の散歩によく行っていた公園の近くが移民の受け入れサポートをしている教会で、周囲がゴミだらけになっている。ゴミの数だけネズミも増えてすごく汚い。ブロンクスのうちの近所にも移民の収容施設ができるっていう話で不安だけど、エルサルバドルからの移民で差別を経験してきた夫曰く「僕たちだって移民じゃないか」「アメリカは働き手が必要なわけだし共存していけばいいじゃん」って。確かにそうだなとは思う。この街はテロから20年以上経ってもさまざまな問題を抱えている。
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(Interview and text by Kasumi Abe)無断転載禁止