「またね」が息子・父・夫との最後の言葉に ── 3家族の9月11日【米同時多発テロから19年】
2001年の米同時多発テロから19年を迎えたニューヨークでは現地時間の今朝、世界貿易センタービル跡地のグラウンド・ゼロで、追悼式典がしめやかに行われた。
式典では毎年、犠牲者の遺族が交代で壇上に上がり、亡くなった1人ひとりの名前を読み上げ、旅客機がビルに突入および倒壊した同時刻に、鐘を鳴らし黙祷を捧げる。しかし今年は新型コロナウイルス対策で人の密度をできるだけ少なくするため、グラウンド・ゼロには関係者および遺族のみが参加できる形式となった。故人の名前の読み上げは、事前に家族が録音したものを会場で流す方法が取られた。
会場には、ニューヨークのアンドリュー・クオモ州知事やビル・デブラシオ市長をはじめ、マイク・ペンス副大統領、民主党大統領候補のジョー・バイデン氏ら要人の姿もあり、両者が11月の選挙戦を前に腕で挨拶を交わすシーンも見られた。
911それぞれの記憶
この日の追悼式典には、遺族が遺影を抱えて訪れていた。ある人は花束を抱え、ある人は故人の写真をあしらったTシャツを着て。
「息子、夫、父」を亡くした3家族、それぞれのあの日とは・・・。
「『また後でね』が息子との最後の会話に」
ニュージャージーに住むアーリーン・ルッソ(Arlene Russo)さんは、息子のウェイン(Wayne Russo)さん(当時37歳)を911で失った。ウェインさんは、北棟(1ワールドトレードセンター)98階にある大手保険会社マーシュ・アンド・マクレナンで、会計の仕事をしていた。「息子はね会計という職業のわりに長髪にしてね、ロックがとても好きだったんですよ」。娘そして、息子の音楽仲間らと、この日現地を訪れたアーリーンさんは懐かしそうに、そして髪型の話をするときに少しだけ笑顔を見せた。
アーリーンさんの娘リン(Lynne)さんは、ウェインさんにとって1歳違いの妹にあたる。「テロの前日9月10日は、10年前に他界した父の誕生日だったので、パーティーをしたんです。それが兄との最後の別れになりました」とリンさん。
アーリーンさんは当日の朝、ラジオで事件を知った。「ツインタワーで事故と聞き、始めは小型の飛行機がビルにアクシデントでぶつかったくらいに思っていたのですが」。
旅客機が北棟に突入し爆発、炎上したのは93~99階の7フロアだった。「息子のフロアは北棟98階、ちょうど飛行機が突入した所でした」。
「実はあの朝、私と夫は飛行機に搭乗予定で、ニューアーク国際空港にいました。同居していた息子はあの日も午前6時半ごろ家を出て、7時半には出社していました。私が息子に『飛行機が到着したらまた電話するね。またあとでね』『オッケー』というのが最後の会話です」
テロが発生し、自身の飛行機は欠航となった。ウェインさんに電話をかけたが、電話は繋がらなかった。「汚い言葉を使うなんてことがない、心の綺麗な自慢の息子でした。今は(天国で)、夫といつも一緒にいると思います」。
「夫と一緒に朝食を取ったのが最後の思い出」
ジェニファー・ニルセン(Jennifer Nilsen)さんは夫、トロイ(Troy Nilsen)さん(当時33歳)をテロで失った。トロイさんはネットワーク・エンジニアとして、北棟103階にあった証券会社キャンター・フィッツジェラルドで働いていた。
「テロはニュースで知りました。すぐに夫に電話をしたけど、コール音しか聞こえなくて、電話は繋がりませんでした。あの朝、夫と朝食を一緒に取ったのが最後の思い出となりました。2人の子どもは成長し今年24歳と21歳だけど、当時は5歳、3歳で特に下の子は父のことをまったく覚えていないと言っています」。
「夫は魚釣りやバイクなど、アウトドアが大好きな人でした。この写真は私のお気に入りなんですよ」(と言いながら、携帯電話の待ち受け画面にも使っている魚釣りの写真と同じ遺影を見せてくれた)。「とにかく素晴らしい人で、息子たちにとっては最高の父親、そして私にとっては最高の夫でした」。
「父は最上階レストランでシェフとして働いていた」
2001年、8歳だったヤリッザ・メレンデス(Yaritza Melendez)さんは父、アントニオ(Antonio Melendez)さん(当時30歳)を911で失った。アントニオさんは世界貿易センターのレストラン、ウインドウズ・オン・ザ・ワールド(Windows on the World)のシェフとして働き、テロに巻き込まれた。
このレストランは北棟の107階に位置していた。そこからの眺望が素晴しく、客にはドレスコードを設けるなどハイエンドな雰囲気の人気店だった。
「あの朝、母親がナーバスな様子で血相を変えて私を学校まで迎えに来たので、子どもながらにただ事ではないというのがわかりました。ニュースで事件を知った母はすぐに父に電話をかけたそうです。そうしたら父は『階下で事故が起こったけど、私は無事だ。心配ない』と伝えたそうです。その言葉を最後に、その後何度電話をかけても繋がらなくなりました」
ヤリッザさんはまだ幼かったが、父親のことを鮮明に覚えていると言う。「家族思いの父でした。私たち子どものことをいつも気にかけてくれていた」。今日のことも見てくれていると思うかと聞いたら、空を見上げながら「ええ、そう思います」と答えた。
(Interview, text and photos by Kasumi Abe) 無断転載禁止