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キューバの果ての小さなアメリカ「グアンタナモ収容所」 今も続く9.11の爪痕(3) #ニュースその後

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
Guantanamo bay, Cuba ©Kasumi Abe

【現地ルポ】3. グアンタナモで起こっていること。今も続く軍事法廷にて

本土に忘れ去られた9.11テロの爪痕

そもそも筆者がなぜキューバのグアンタナモ米軍基地を訪れたのかと言うと、3000人近くもの罪のない人々が犠牲になった9.11米同時多発テロ(2001年)の首謀者(5人の被告)の公判前審理を傍聴するためだ。同基地内に今も収監されている30人のうちこの5人は、9.11のハイジャック犯19人を幇助した容疑がかけられている。

これを聞いて、「20年以上も前の事件について、未だ(裁判の前段階の)公判前審理?」と思ったかもしれないが、その疑念は間違っていない。

23年前のテロ事件の審問はアメリカ合衆国史上もっとも重要な法的手続きの一つであるが、それが今も延々と続いているというのだから、気が遠くなるほど長すぎるプロセスだ。ACLUなど人権団体や活動家からは、長期勾留、虐待と拷問の事実を伴うグアンタナモの存在自体が「アメリカの汚点」として烙印を押されている。

ただ、多くの日本人がこの状況を知らないように、長年現地で取材を続ける米記者曰く「アメリカでさえほとんどの人がグアンタナモのこと、そして今もここに収監施設が存在していることを知らない」。多くの人は、とっくの昔にグアンタナモの収容施設がクローズしたと思っていると言う。世界に忘れ去られたテロの爪痕が細く長くここに残っているのだ。

無期限で拘留者が入れられているグアンタナモの収監施設(独居房)の写真(2012年1月付)。その後、収監施設は非公開となり現在の様子は不明。筆者も今回の旅で確かめることはできなかった。
Inside Guantánamo - in pictures(The Guardian)

基地内の制限区域「キャンプ・ジャスティス」。©Kasumi Abe
基地内の制限区域「キャンプ・ジャスティス」。©Kasumi Abe

被告の公判前審理は、基地内の制限区域「キャンプ・ジャスティス」に置かれている軍事法廷施設で平日午前9時から始まる。この法廷は誰もが想像するような荘厳な外観ではなく、筆者にはまるでライブ会場のバックステージのような平屋の仮設的な佇まいに見えた。しかしそれはあくまでもイメージであり、周囲をぐるぐる巻きの有刺鉄線ではりめぐらしている光景は異様だ。

我々記者は傍聴席に座るため、9時の開始時刻より早めに到着する必要があった。なぜなら空港並みの金属探知機による身体検査と手荷物検査が1回、さらに長い通路を歩いて法廷に入る直前にももう一度検査を受け、やっと傍聴席にたどり着くことができるから。

法廷では、真ん中の裁判官(3月時点ではマシュー・マッコール氏)に向かって左側が弁護団、右手が検察団。この法廷と、遺族や記者ら20名ほどが座る後方の傍聴席とは3重ガラスで隔てられ、法廷の音声はモニターを通じて傍聴席に40秒遅れで聞こえる仕組み。審問中の発言に国家機密情報が含まれる場合、瞬時に音声が遮断されるのだ。

傍聴席では写真撮影も録音も禁止。米軍事委員会のウェブサイトに「Spectator Gallery」として掲載されているのがイメージに近い。

筆者は、滞在している1週間のうち平日は毎日この特別軍事委員会の公判前審理を傍聴する予定だった。しかし実際には非公開の日が多く、傍聴できたのは2日半だけだった。しかも出廷するはずのハリド・シェイク・モハメド被告(アルカイダの幹部としてテロ計画を立案したとされる人物)は延々と続く公判前審問にハンガーストライキ(抗議)を起こし、筆者の滞在中に法廷に姿を見せることはなかった。

傍聴できた2日目は、同被告の発言の抑圧問題について18人目の証言者として、FBIの元情報分析官キンバリー・ウォルツ氏が出廷し、証人尋問に応じた。ウォルツ氏がハイジャック犯19人の顔写真や、2001年9月11日のビル倒壊の映像を見せながら「あの日のことを今も鮮明に覚えている。1機目が世界貿易センタービルに突っ込んだ時...」と、23年前の記憶を滞りなく証言するのを聞き、これまで同じ証言を幾度となく繰り返してきたであろうことがわかった。いまだにこのような証言が法廷で行われているのも不思議に思えた。被告不在のまま延々と続く証人尋問を聴きながら、この問題が未だゴールが見えない暗闇の中にあることを実感した。

キューバの果てにある小さなアメリカ。滞在中、グアンタナモ米軍基地で行われる「カラーズ」という国旗掲揚の儀式を見学させてもらった。Guantanamo bay, Cuba  ©Kasumi Abe
キューバの果てにある小さなアメリカ。滞在中、グアンタナモ米軍基地で行われる「カラーズ」という国旗掲揚の儀式を見学させてもらった。Guantanamo bay, Cuba ©Kasumi Abe

3週間、被告は法廷に姿見せず

この週の審問では、被告に与えられたとされる抑圧、拘留施設の清掃問題、必要な医療を受けさせないなどの人権問題について弁護団が訴え出た。「フラストレーション」「問題が山積み」という言葉が幾度となく聞こえる。「自分ももうすぐ退任するし、すぐには裁判にならないだろう」と裁判官が言えば、「今年達成できないのであれば来年には必ず裁判に持ち込む。被告は死ぬかもしれないし記憶も薄らいでいる」と検察。そんな言葉の応酬からも、機能不全が見て取れた。

被告らの罪状認否が始まったのは2012年。12年経っても、機密の関係で弁護団への証拠開示が進まない状態なのだ。裁判長が代わるたびにプロセスに時間がかかり公判期日は一向に決まらない。以前の裁判官はコロナ禍前に公判期日を2021年1月11日に設定したが、その裁判官も退任となり公判期日も流れた。

首謀者とされる5人の被告は2002年〜03年にかけて拘束後(グアンタナモに06年に移送される前の3、4年間)、CIA(中央情報局)の秘密の拘留施設に入れられ、モハメド被告の例では183回ものウォーターボーティング(水を使い窒息を感じさせる)や睡眠妨害など過酷な拷問があったとされる。これらが公判前のプロセスを複雑化させている。

現地で長年取材を続ける米記者によると、前月(2月)にモハメド被告が出廷したのは最初の数日だけだったそうだ。「以前は腹周りに脂肪がついていたが、今は体が小さくやせ細っている。顔の表情も不自然。皆だんだんと歳を取り始めている」と教えてくれた。

パキスタンで拘束当時(2003年)のふくよかだったモハメド被告。現在はやせ細りオレンジ色の髭がトレードマーク。パキスタン出身、4月14日で59歳になった。
パキスタンで拘束当時(2003年)のふくよかだったモハメド被告。現在はやせ細りオレンジ色の髭がトレードマーク。パキスタン出身、4月14日で59歳になった。写真:ロイター/アフロ

20年以上経った今も9.11の爪痕が、米本土から遠く離れたここグアンタナモには細く長く残っている。泥沼にはまったかのように、その終わりは見えないままだ。2021年就任の4人目のマシュー・マッコール裁判官は3月いっぱいで退任し、ラマダン明けの4月からはコロネル・フィッツゲラルド裁判官が新たに就任した。ニューヨークタイムズによると、同氏は2025年の公判期日を「目標」に設定したという。

1週間の滞在中、キューバの音楽サルサがラジオから一度だけ聞こえ、ここがキューバであることを思い出した。それ以外は音楽と言えば…何度か耳にしたのはバグパイプの音色だった。ある日はキューバとの関係をアメリカ目線で紹介した資料館を訪れた時。本土から訪れた遺族の一人で、NYPD(ニューヨーク市警察)の音楽隊に所属する男性が、資料館の敷地内にある灯台で悲しい音色を奏でていた。別の日はアイリッシュパブの中からも聞こえてきた。その誰をも包み込むような優しく切ないバグパイプの音は、20年以上経ってもいまだ終わりが見えそうにない現実を知った筆者の暗雲たる気持ちを、一瞬だけ晴らしてくれたのだった。

(了)

文中リンクほか参照

【この記事は、Yahoo!ニュース エキスパート オーサーが企画・執筆し、編集部のサポートを受けて公開されたものです。文責はオーサーにあります】

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ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、著名ミュージシャンのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をニューヨークに移す。出版社のシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材し、日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。

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