米同時多発テロから22年。ニューヨークに住む人々にとって9/11はどんな日だったのか(前編)
9/11それぞれの記憶 (前編)
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件から今年で22年。ニューヨークに暮らす人々はあの日どんな体験をし、何を感じたのか?
22年目の9月11日に寄せて、人々に「あの日」を振り返ってもらった。
「現実世界そして想像をも超える出来事だった」
タニア・リベラさん(50歳、植物園コーディネーター)の証言
2001年、私は大学生でブルックリンにある大学に通っていた。
あの日はいつもの朝で、私は地下鉄に乗り、自宅のあるブロンクスからブルックリンの私が通うNew York City Technical College (現・New York City College of Technology)へ向かっていた。
私の乗る電車はいつもブロンクスからマンハッタンを南下し、ワールドトレードセンター(世界貿易センター、別名ツインタワー)の真下にある駅を通過してブルックリンに向かう。しかしその日の朝、電車はツインタワーの直前で急に停止した。具体的にどの駅だったかを覚えていないが、ビルのすぐ近くだったことは確か。警官がホームにいて「全員降りろ」「駅を出て避難しろ」と叫んだ。
でも誰も動こうとしなかった(!)。ほら、ニューヨーカーってこういう時に文句を垂れるわけよ。「なんでだよ」「仕事に遅刻するじゃないか」って。私も気持ちばかりが焦った。だってこの日は試験があったから絶対に遅刻できなかった。この時点で、私を含めて事の重大さに気づいている人は誰もいなかった。
でも電車が動かないんだもの、駅を出るしかない。それで乗客は不満ながらゾロゾロと電車を降り、地上に出た。
そこで見たもの。
空にはたくさんの煙が立ち上っていた。途轍もないほどの黒い煙。
私の頭の中は真っ白になった。
そして人々は叫んだ。「Gone!」「World Trade Center was Gone!」(ワールドトレードセンターが消えた、無くなった)と。
無くなったってどういう意味よ?私の頭の中はさらに混乱した。そしてそんな中でも、私はまだ学校のことを考えていた。電車が動いていないのであれば、どうやって学校まで行くべきか...。
今考えると、この時は最初のビル(南棟)が倒壊した後だった。消防車や救急車のサイレンが鳴り響く中、たくさんの煙と人々の混乱ぶりから、私はやっと何が起こっているのかわかった。それは私たちは今、何らかの攻撃を受けているということだった。そしてGoneが“本当のGone”だと理解した。この時点で次に何が起こるかは誰もわかっていない。とにかく怖かった。
私はこの現場を今すぐ離れなければと、人々と一緒に必死で逃げた。走って走って走って...。もう疲れて走れないっていうところまでたどり着き、後ろを振り返ると、ビルが燃えていた。逃げ惑う人の中には、倒壊の影響で灰や泥まみれの人や泣き叫んでいる人もいた。私はとにかく家に帰ろうと思った。もうそのころには大学のテストのことなど忘れていた。
バスがまだ動いていたけどどのバスも人でごった返し、歩くしかなかった。長い道のりを歩きながらも、やはり頭の中ではいろんな思いや感情がぐるぐる回った。これは一体何なの?何が起こっているの?理解に苦しんだ。
(中心地タイムズスクエアの)42丁目に差し掛かった辺りで、やっとアップタウン行きの地下鉄に乗ることができた。無事に家に帰り着き、ニュースで状況を確認していた家族から話を聞いた。その日は丸1日ずっとテレビにかじりつき、状況を見守った。*
- *現代のようにスマホやソーシャルメディアがない時代、(箱型の)テレビは新聞、ラジオ、雑誌と並ぶ主要メディアの一つだった。
1機のみならず2機がビルにぶち当たり、あんな巨大な建物がまさか「倒壊」するとは、誰が想像しただろうか。火災に耐えられず、ビルの上階から人々が次々に飛び降りた。実際に起こっていることだけど現実として到底捉えられなかった。それはまさにサーリアルだった(現実世界や想像の世界を超えていた)。
それとねワールドトレードセンターと言えばもう1つ言っておきたいことがあるのだけど、私は事件の2週間前、ビルの上にあるウインドウズ・オン・ザ・ワールド*の仕事の面接のオファーをもらっていたの。私の専攻はホスピタリティ・マネージメントだから、就職活動で教授が推薦リストを提示してくれた中にこの店があった。だけど私は閉所恐怖症で、狭い密閉空間が大の苦手なの。毎日狭いエレベーターに乗ってビルの上まで行く自信がなかった。もったいない話とは承知していたけど面接には行かなかった。教授を苛立たせてしまうことになったけど、私的にはどうしても無理だった。
- *ウインドウズ・オン・ザ・ワールド(Windows on the World):北棟の107階にあった高級レストラン。そこからの眺望は素晴しく、客にはドレスコードを設けるなどハイエンドな雰囲気の人気店だった。
あれから22年経つけど、この日の感情を一言で表すならば「ショック」としか言いようがない。一生涯忘れられない衝撃的な出来事だった。そしてすべてのビジュアルが1コマ1コマ詳細に、まるで昨日のことのように思い出す。乗っていた地下鉄が止まったことから始まり、次にイラっとした気持ち。そして警官が来て降車しろという指示...。事件後にしばらく休講となった大学がいつ再開したのかなどは、まったく記憶にないんだけど。
もし私が閉所恐怖症でなかったならば、あの日ビルの最上階にいたかもしれないし、いなかったかもしれないし。とにかく私は神様に感謝した。不思議なのは、人によってはあのビルで働いていてもあの日たまたま用事があったり電車に乗り遅れたりしてビルにいなかったり、また人によってはそこで働いていないのにたまたま行ってテロに巻き込まれたり...。神様が選んだと思う?
この事件に限らずとも、いろんな事件や事故で善人が殺され悪人が生き残ったりする。誰が生き残り、命を落とすか、その運命を分けるのは何だろうって時々考えるの。私なりに到達した答えはランダムで起こっているってことかなと。数字(乱数)っていうことよ。この考えが私的には腹落ちする。
正直な気持ちを話すとね、いつか再び何かが起こるような気がしなくもないの。私だけではなく同じように薄々思っている人はほかにもいると思う。だってテロリストはまだいるわけでしょう?彼らは数年かけて計画を練り、時を窺っている。9/11の随分前にビルの地下で起こった事件*だって犯人はあれで十分ではなかったから9/11を企んだ。ニューヨークは人口密度が高いし、金融機関が集まる都市だからテロリストにとって絶好のターゲットでしょう。
- * 世界貿易センター爆破事件:1993年2月26日、世界貿易センター北棟の地下駐車場が爆破され、死者6人、負傷者1042人を出したテロ事件。犯行は911と同様にイスラム原理主義のアルカイダが関与したと見られている。
9/11の後、人々は変わったか?
このようなテロ事件はほかの国で起こったものをニュースで観たことはあってもこの国で起こったことはなかった。想像を絶することがすぐ目の前で起こったのだから、自分だけでなく人々にマインドセットの変化をもたらし、生き方や考え方を変えた。生き残った人だって自分や家族が犠牲になっていたかもしれない。それで人々が気づいたわけ。人生とはかけがえのないものだ。なぜこんな小さなことで自分は怒っているのか、と。人は他人に優しくなり協力し合った。そのような変化は地下鉄に乗っていると伝わってきた。なのに、しばらくすると記憶が薄らぎ、人は傲慢で無礼でせっかちでわがままに逆戻りし、我先にと人を急かして押し退けて「Me Me Me」の世の中に戻った。
この街は2020年に新型コロナのパンデミックでも大打撃を受け、多くの方が亡くなったけれど、9/11の経験とはまったく別物だった。9/11の時は共に力を合わせたのに、パンデミックで人々が言ったのは「近寄るな」「離れろ」だった。マスクを着ける着けないで争いごとが増えた。地下鉄では知らない人同士の諍いが絶えず、家族間の殺人にまで発展した事件もあった。
9/11を知らない若い世代が増え、彼らにとっては、体験したことではなく教科書で学ぶ「歴史の一部」になっている。そんなあの日を知らない世代にも伝えたいのは、私たちを救ってくれた人たちのこと。ビルで働いていた人が非常階段を降りて避難する中、その波に逆行するように多くの消防士が決死の覚悟で救助に向かい、倒壊に巻き込まれた。彼らには本当に頭が上がらない。真のヒーローがいたことを、私たちはいつまでも忘れてはいけない。
- *救助で駆けつけた343人(消防士340人、救急救命士2人、消防局のチャプレン(神父)1人)がこの事件で亡くなった。犠牲者にはそのほかにも、救助に行った警官や軍関係者も含まれる。
(世界貿易センター近くの高校の校長の証言につづく)
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(Interview and text by Kasumi Abe) 本記事の無断転載やAI学習への利用禁止