テロ発生後、現場に向かったヒーローたちの9.11【米同時多発テロから21年】
9月11日。誰もが21年前の「あの日」を思い出す。
今年は朝から空が厚い雲に覆われ、時折小雨がぱらつく天気だった。そんな中、ニューヨークの世界貿易センタービル跡地「グラウンドゼロ」での追悼式典には、多くの人が集まった。
遺族代表が壇上で犠牲者一人一人の名を読み上げ、旅客機が墜落しビルが倒壊した同時刻に、鐘を鳴らし黙祷を捧げた。
21年の年月の経過と共に、杖をついて参加している人や、1人で参加していると思われる人など、遺族の高齢化が印象的だった。また、同時多発テロを知らない若い世代の参加も見られた。
一方でグラウンドゼロ周辺はというと、昨年は20年という節目の年で式典会場に入ることができない人で溢れていたが、今年は天気も影響してか、昨年ほどの人出は見られなかった。
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テロ発生後、現場に向かった勇敢なヒーローたちの9.11
今年も、式典に集まった遺族や救助活動をしたファーストレスポンダーたちに話を聞いた。
「救急隊員」「消防士」「警察官」、それぞれのあの日・・・。
救出活動で倒壊に巻き込まれた救急隊員
イリアナ・フローレスさんは、市消防局の救急隊員(EMT)だった弟、カルロス・リロ(Carlos R. Lillo)さんを9.11で亡くした。
リロさんは当時37歳で働き盛りだった。あの朝、飛行機が墜落したツインタワーの人々の人命救助のため、クイーンズの管轄病院から現場に出動し、倒壊に巻き込まれた。最初に倒壊した南棟の中で救命措置をしていたという。
2人は姉弟仲が良く、職場も同じだった。フローレスさんはあの朝、職場の病院で流れたテレビニュースで、テロ事件を知った。
「私たちはまさか弟がツインタワーに救助に行っているとは思いもしませんでした。彼はきっとどこかの病院に出動していると思っていたから、いろいろな病院に連絡し、行方を探したのです。WTCの現場で救出活動をしている時にビルの倒壊に巻き込まれたと知ったのは、事件から1、2週間後のことでした」
「彼(の亡骸)は一部しか見つかっていない……」
今でこそ冷静に話せるようになったが、そのような突然の死は、家族にとって非常に辛い出来事だった。
2年前に結婚したばかりで子どもがいなかったリロさん。甥っ子にあたるフローレスさんの息子を自分の子のように可愛がったという。(写真後ろの男性を指差しながら)「その息子もこんなに大きくなりました」。
「私たちは毎年家族でここに来ます。ここは彼の最期の場所ですから。彼は優しく素晴らしい人格の持ち主で、友人も多かったです。ここに来るといつも彼の友人(同僚)がたくさんいるので、彼らとの再会が毎年楽しみなんです。ここは私たちにとって、弟のことを知るたくさんの人に会うことができる場所でもあるのです」
- リロさんが救急救命士になったのは1990年で、テロ事件は11年後のことだった。リロさんの勇敢さが讃えられ、2008年にオープンしたクイーンズの公園にその名が与えられている。
消防隊員の息子を失った母
ローズマリー・ケインさんの息子ジョージ・ケイン(George Cain)さんも、勇敢なヒーローの1人だ。
ジョージさんは当時35歳で市消防局(FDNY)の消防隊員として働いていた。21年前のこの日、事故が起こったツインタワーに出動し、消火活動を行っていたところ、テロの犠牲となった。
「はじめは小さい飛行機が衝突したと思っていたのですが、テロリストによる攻撃と知りました。それがこの21年間の始まりでした」
倒壊跡地で行方不明になったままの犠牲者はいまだに多く、跡地から発見された2万2000もの遺体の一部が採集されDNA鑑定されているが、DNA鑑定は難しいため、倒壊跡地の死者の多くとまだ照合されていない。21年経った今でもDNA鑑定作業は地道に続けられている。過去記事
以前ニューヨークタイムズで、息子のそのような状況に触れ、自分が死ぬときはジョージさんの遺体の一部を自分と一緒に埋葬することを望む意思を示していたローズマリーさん。追悼式典のこの日は、あまり多くを語ることはなかった。
救助活動をした警官、5年後に健康被害
テロの犠牲者一人一人の名前、そして「名誉の旗」と書かれた大きな星条旗を抱えてこの日参列した、イーロイ・スアレス(Eloy Suarez)さん。
彼は当時、ダウンタウン管区の警察署で、公園の治安を守るパークポリスとして勤務していた。ツインタワーが2棟とも倒壊した後、ファーストレスポンダーとして召集され、倒壊現場に駆けつけた。警備の管轄となるまでの半年間、スアレスさんは倒壊跡地で救助活動に従事した。
現場で何を見たかと質問すると、スアレスさんは「それは見るに耐えない、目を覆うような光景でした」と言い、一呼吸置いた。
「大量の血と多数の負傷者。手足が切断された人もいました。大量のダストと煙、鎮火させるための消火活動。どんな制服を着ていようと(どこの所属だろうと)、救出活動にあたっていた者全員が、ニューヨーカーとして一致団結し、(倒壊現場で目にしたものによって)パニックになることなく心を落ち着かせることに集中し、どこかで誰かを1人でも多く救出できるよう努めていました」
健康状態は決して良くないと言う。症状はテロから5年後に出始めた。
「いくつか健康上の問題があります。鼻が詰まり、呼吸器疾患、睡眠時無呼吸症候群の症状があるため、年に2度マウントサイナイ(大病院)に通って健康チェックをしています。また皮膚癌の可能性も指摘され、良性か悪性かの確認も毎年しています」と言いながら、腕にある傷のようなものを指差した。
2001年9月11日。多くのヒーローがこの地で命を落とした。また生き残ったとしても、その後何らかの苦しみを抱えている。
スアレスさんのケースは特別ではなく、多くのファーストレスポンダーや周辺住民がその後、さまざまな疾患やPTSDを発症している。
合衆国消防局によると、市消防局に所属する99%のアクティブメンバーが9.11の救出、救助、復興のため現場に駆けつけた。その結果、343人の消防隊員がテロ現場で亡くなり、その後10ヵ月間にわたって1万6000人の消防隊員が倒壊跡地での救助、復興活動に従事し、作業員は粉塵、有毒ガス、化学物質などに晒された。20年後の昨年の時点で、このうち1万1300人に健康被害が確認され、胃食道逆流症、癌、鬱やPTSDといった精神疾患などの症状が見られるという。
今も続くDNA鑑定や健康被害。21年経った今でも、9.11は終わっていないのだ。
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(Interview, text, and photos by Kasumi Abe) 無断転載禁止