『NHKスペシャル』が迫ったジャニーズ帝国の内実──未解明の課題と残された公共放送の責務
暴かれる〝アイドル帝国〟
10月20日、『NHKスペシャル』で「ジャニー喜多川 "アイドル帝国"の実像」と題された特集が放送された。
アメリカで生まれたジャニー喜多川氏の生い立ちから、姉のメリー喜多川氏の存在感、そして芸能界における支配的地位の確立を追った内容だ。それは、日本を代表する巨大エンタテインメント企業の成り立ちを描きながら、その陰で起きていた重大な性加害の実態に迫ろうとする内容であった。
バラエティ番組や音楽番組、さらには『紅白歌合戦』に至るまで、ジャニーズ事務所はテレビ文化の形成にも強い影響を与え続けてきた。その功罪を公共放送であるNHKがどのように描き出すか──そこが注目のポイントだった。
「仲間」発言が示す〝癒着〟の感性
前半から中盤までの喜多川姉弟の生い立ちとジャニーズ事務所の成り立ちについては、とくに大きな発見はなかった。その多くは既出の情報だ。それは芸能界に明るくない視聴者にもこの会社の背景を伝えるための基礎的な内容だ。
だが、後半にこの番組独自の取材がふたつ見られた。本作の白眉もここにある。
ひとつが、元NHK理事で前ジャニーズ事務所顧問、現STARTOエンタテインメント顧問の若泉久朗氏への取材だ。それは、NHKの現役職員やOB約40人への取材過程で浮上した、「話を聞くなら若泉さん」との証言を踏まえたうえでの突撃取材だった。
若泉氏は、昨年9月11日放送の『クローズアップ現代』においても回答を拒否しており(NHK『クローズアップ現代』2023年9月11日)、2014年の嵐のハワイコンサートへの出張などについても、昨年10月の会長定例会見で詳しく追及されている(NHK「稲葉延雄会長 10月定例記者会見要旨」2023年10月18日/PDF)。
かねてから重要人物と目されていた若泉氏は、路上でカメラを向けられて明らかに動揺していた。そして発したのが「なんで僕なんですか。しかも仲間じゃないですか」という言葉だ。
それは強いインパクトを残した。公共放送の元幹部でありながら懇意の取引先に移った人物が、現在のNHK職員を「仲間」と見なすそのウェットさこそが、〝癒着〟につながる感性そのものだからだ。
しかし、若泉氏は口頭での詳細な回答を避け書面で応ずることになる。その回答内容も「幅広い世代層を獲得するため」という表層的なものに留まり、NHKとジャニーズ事務所の構造的な関係性の解明までにはいたっていない。
つまり、結局その〝癒着〟の背景は明らかになっていない。なぜ『紅白』の出場者数が2009年以降に増え続けたのか、そして2006年から2019年まで司会をジャニーズタレントが務めたのか──その原因は明らかにされなかった。
こうした取材結果からは、内部調査の限界が見えたのもたしかだ。スタッフ約40人への取材があったとはいえ、彼らの地位保全などの保障がなければやはり解明は困難だろう。それは、昨年の民放による検証番組にも共通して言えることだ。
補償本部長の不誠実な態度
この番組におけるもうひとつのポイントは、初代ジャニーズ(グループ)のメンバーだった故・中谷良氏の姉と、SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)との補償交渉の様子だ。中谷氏は生前、著書『ジャニーズの逆襲』(1989年)において性加害の実態を告発していた。北公次氏の暴露本の翌年に出版されたこの著作は、被害の深刻性を提示する重要な一次資料のひとつだ。
しかし、SMILE-UP.補償本部長の対応は、被害者への理解を著しく欠いたものだった。
「誰が何を謝るんだっていうのは、ちょっと今わかんなくて。もうね、その本人たちが死んじゃってるんで」
「(暴露)本を書かれて痛めつけられたのは間違いない」
この発言は、加害の責任と真摯向き合っていないSMILE-UP.の姿勢を露わにした。相変わらずの〝ジャニーズしぐさ〟だ。
「昭和の中小企業」の〝ジャニーズしぐさ〟
ジャニーズ事務所という組織体は、単純な道徳的二項対立で理解されるような「悪魔の集団」ではない。
そうではなく、「昭和の中小企業」だ。その特徴は、社会的責任や対外的倫理の欠如、感情的な意思決定、そして「内部/外部」という二元的な認識枠組みにある。社員は「仲間集団」の一員として組み込まれ、外部社会への倫理的配慮や共感的理解を欠いたまま、組織への同調的行動を反復する。その「悪」は極めて凡庸であり、それこそが〝ジャニーズしぐさ〟だ。
本部長のこうした対応は、現在も補償を受けられていない多くの被害者たちに対する、SMILE-UP.の不遜な態度を象徴するものとして受け止められる。筆者や朝日新聞が取材してきたように、詳細に被害を訴えているものの、不自然に補償から外されたひとも複数存在している(「不透明な補償と曖昧な基準で置き去りにされる被害者」2024年9月11日)。
放送から5日後の10月25日、SMILE-UP.はこの本部長を解任すると発表した。至極当然の結果であるが、東山紀之社長が中谷氏の遺族に謝罪していたことを踏まえれば、この本部長の対応自体に問題があったことを放送前に把握していた可能性がある。要は、放送による反響の大きさを受けた事後的対応でしかない。
こうした後手後手な姿勢も、昨年から幾度も見られる〝ジャニーズしぐさ〟のひとつの側面であるのは言うまでもない。
風化防止と追及継続への布石
若泉氏への直撃と補償本部長の対応──以上の二点がこの番組のポイントであったが、番組全体も複数の点から評価することができる。
まず、民放各局が旧ジャニーズタレントの露出を追い風に問題を風化に導くなか、社会の関心を呼び戻し、他の報道機関の取材意欲を水面下で激しく再燃させた点は特筆に値する。そしてあの本部長の対応は、従来のジャニーズ事務所の姿勢をふたたび広く一般にも伝えることになった。この問題の風化と忘却に大きく歯止めをかけることになった。
そして前述したふたつのポイントを通じて、問題の継続的な追及への布石とも捉えられるだろう。中川雄一郎ディレクターは昨年から『クローズアップ現代』や『事件の涙』など、この問題を断続的に追い続けており、今回の番組もその延長線上に位置づけられる。
その特性上、テレビメディアは限定された時間で効果的なメッセージを届けなければならない。NHKは「公共放送」としての責務を常に求められるがゆえに、「〇〇に触れられていない」という指摘もさまざまに見受けられる。だが、それらは往々にして受け手(視聴者)の個別の関心に基づくものでしかない。
この番組は制約のあるなかで、ジャニー喜多川を軸に性加害事件の概要と現在進行形の課題を効果的に伝えることに成功したと言える。
よってやはり今回の1時間番組に多くのことを求めるよりも、今後の継続的な追及が期待される。
内部調査の限界とBBCの教訓
しかしながら、真相究明にはより踏み込んだ調査が必要だ。前述したように、内部調査の限界も感じさせたのもたしかだ。
さらに多くの現役局員や『ザ少年倶楽部』の関係者、さらには外部スタッフへの聞き取りなど、未解明の領域は広範に存在する。NHKの複数の局員は、「上がちゃんと調査をしなければダメだ」と筆者に伝えてきた。実際、局員以外にも制作会社などの外部スタッフが重要な情報を握っているケースも少なくない。私に情報提供をする民放テレビの関係者も、そのほとんどが外部スタッフだ。
この点において参考になるのが、BBCのジミー・サヴィル事件への対応だ。イギリスを代表する番組司会者であったジミー・サヴィルは、死後に多数の性加害事例が表面化した。テレビの世界における権力者による性加害が死後に問題化した点で、ジャニー喜多川と重なる点は多い。
このときBBCは当事者でもあった。局内で性加害があったからだ。BBCは独立調査委員会を設置し、元検事が3年をかけて徹底的な調査を行った(”THE DAME JANET SMITH REVIEW REPORT” 2016年)。NHK放送文化研究所の税所玲子氏も指摘するように、BBCのこの姿勢から学ぶべき点は多い。NHKの稲葉会長は第三者委員会による調査を否定し、報道による検証にこだわってきたが、税所氏の指摘はそうしたNHK上層部への婉曲的な批判とも読み取れる(「メディアと性加害~イギリスBBCの事例から~」2024年)。
このような状況下でNHKに要請されるのは、やはり第三者機関による徹底的調査の実施である。
公共放送に課せられた責務
報道機関としては、今回の『NHKスペシャル』を一時的な到達点とせず、より深層的な真相究明と被害者救済への継続的な取り組みが、公共放送であるNHKの責務だろう。
民放3局──テレビ朝日・フジテレビ・日本テレビが不十分な自社検証のまま幕引きに向かうなか、自局検証の限界を認識しつつも、テレビ局とジャニーズ事務所、あるいは芸能プロダクションとの構造的関係性のより詳細な検証が必要とされる。
この目的のために、中川ディレクターを中心とする調査チームによる、さらなる調査報道の継続が期待される。
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