不透明な補償と曖昧な基準で置き去りにされる被害者──旧ジャニーズ問題の1年【上】
表面的変化の裏に潜む課題
2023年9月7日、ジャニーズ事務所の藤島ジュリー社長(当時)がジャニー喜多川元社長の性加害を認めてから1年が経った。日本最大手の芸能プロダクションにおける長年にわたる組織的な性加害の実態は、社会全体に大きな衝撃を与えた。
この1年間、事態は急速に展開した。ジャニーズ事務所はSMILE-UP.に社名を変更し、一方でタレントの受け皿として資本関係を有しないSTARTOエンタテインメントが設立された。多くのタレントとグループはSTARTOに移籍し、テレビ朝日の『ミュージックステーション』が旧ジャニーズの競合グループを出演させるなど、「ジャニーズ忖度」も表面上は終息したように見える。
しかし、この問題の解決にはまだ遠い道のりが残されている。
目立つ変化の裏では、被害者への補償や事務所の経営体制、そしてメディアの責任など、多くの課題が山積している。この連載では、ジャニーズ性加害問題の現状を詳細に分析し、残された課題を明らかにする。
この1年間の推移
まず簡単にこの1年間を振り返っておこう。
ジャニーズ事務所は、性加害を認めた翌月に再度記者会見をおこなう。この10月2日の会見では、SMILE-UP.への社名変更を発表したものの、直後に「指名NGリスト」が発覚し大きな批判を浴びた。しかし、12月にはそれまでジャニーズ事務所を強く批判してきた福田淳氏がタレントの受け皿となるSTARTOエンタテインメントの社長に就任することが発表される。SMILE-UP.は東山紀之氏が社長に就任し、補償に専念する体制となった。
2024年4月からは多くのタレントが移籍したSTARTO社が本格稼働を開始。その一方で、二宮和也や松本潤(ともに嵐)など、独立の道を選んだタレントも少なくなかった。NHKやテレビ東京は新規取引停止措置を継続しているが、問題解決に向けてかなり前進しているように見える。
不透明な補償基準と被害認定の壁
だが、被害者への補償を見ていけば、問題解決への道のりはまだ遠いこともわかる。
SMILE-UP.は、3人の弁護士からなる被害者救済委員会を設立し、補償作業を進めている。8月30日時点で520人の被害を認め、そのうち497人(95.6%)が補償に合意していることを踏まえれば、一見順調に推移しているように見える。だが、その進捗内容には多くの問題が被害者から指摘されている。
最大の問題は、補償基準の不透明さだ。
救済委員会は補償基準を明示せず、個々の被害者にも明確な説明をしていない。SMILE-UP.は虚偽の申告を防ぐためだとその理由を説明するが(『朝日新聞デジタル』2024年9月7日)、被害者の不信感を招く結果となっている。
軽微な加害行為を認定していない可能性もある。例えば、堀田美貴男氏の事例では、駅で1分ほどジャニー氏に触られた被害申請が認められなかった。
堀田氏が被害に遭ったのは、1987年8月1日のことだ。当時中学3年生、15歳だった堀田氏は、翌日の広島厚生年金会館の男闘呼組のコンサートのために広島入りしたジャニー喜多川氏と接触した。このコンサートは、デビューを目前に控えた光GENJIもゲスト出演することとなっており、堀田氏は熱心なジャニーズファンの姉とともに広島駅の新幹線口で待っていた。
堀田氏は以下のように語る。
「広島駅で在来線側の出口に向かう途中、ジャニーさんは私に触り始めました。窓のある壁に向かって立ち止まり、耳元で『広島の子は難しい、地方の子は難しいんだよね』と言いながら、体を触ってきました。最後には耳をなめられました。夜の8時か9時近くのことでした」
堀田氏の被害はたしかに時間的に短く、相対的には軽微かもしれない。しかし、だからといって、決してジャニー喜多川氏の加害行為を不問にできる内容ではない。もし被害者が女子中学生であれば、当時でも現行犯逮捕されるような事件だ。
死後に膨大な性加害が発覚したことで、しばしばジャニー喜多川氏のケースと比べられるイギリスのジミー・サヴィル事件では、こうした軽微な加害行為もちゃんと問題化されている。たとえばそれは、公共放送・BBCによる長大な調査報告書にもしっかり記録されている("THE DAME JANET SMITH REVIEW REPORT" 2016年:p.157)。
ジャニー氏の場合は、こうした加害行為の全容把握をする調査がいまもおこなわれていない。それがないからこそ、堀田氏のように軽微な内容が「被害」とされていない可能性もある。当初約束されていたはずの「法を超えた補償」とは名ばかりで、「幕引き」に向かって異常な事態が静かに進行している状況だ。
曖昧だった「在籍」の確認
補償における問題は多岐にわたる。
補償基準においては、救済委員会が「(ジャニーズ事務所への)在籍」を重視し、これを基準に被害を認めていない可能性も高い。たとえば、5月に会見をした上田和美氏や奥村嘉男氏、前出の堀田氏も、被害内容の程度ではなく在籍の有無によって補償を阻まれているかもしれない。
▲上田氏、奥村氏、堀田氏などによる会見(国際人権NGOヒューマン・ライツ・ナウ、2024年5月30日)
在籍確認を重視するSMILE-UP.と救済委員会の姿勢は、あまりにも不遜と言わざるをえない。旧ジャニーズ事務所は長らくジャニーズJr.と契約書を交わしておらず、またテレビ朝日のリハーサル室に数度赴いただけの練習生が相当数いたことは、さまざまな証言から浮かび上がっている。つまり「在籍」自体が曖昧だった。
この場合、他の練習生の証言などによって事実確認をおこなっているはずだが、その調査を入念にしていない可能性が高い。堀田氏も被害翌年の夏休みに上京し、テレビ朝日でのレッスンに参加して複数の練習生とも知己があったと話す。だが、そうした検証がどこまでされているかが見えない。
国連人権理事会の懸念
補償における問題はこれにとどまらない。
そもそも救済委員会には医療の専門家が不在であるため、聞き取り調査の際に被害者に対して直截な質問がなされ、二次被害のリスクが指摘されている。
補償額についても疑問が残る。被害者の石丸志門氏は補償額として1800万円を提示されたという。しかしこの額は、2024年3月に判決が出た30年前の小学校での性被害に対する2000万円の賠償額よりも低い(『朝日新聞デジタル』2024年6月26日)。石丸志門氏とSMILE-UP.は現在調停で話し合いの場についているが、「法を超えた補償」とはなっていないのが現状だ。
国連人権理事会のビジネスと人権部会は、こうしたSMILE-UP.の姿勢を問題視している。昨年夏の調査を経てこの問題は2024年6月に国連本部に正式に報告されたが、そこでは「(被害者救済には)まだ長い道のりがある」と記されている(「訪日調査:人権及び多国籍企業並びにその他の企業の問題に関する作業部会の報告書」、2024年)。
カルト化したファンによる誹謗中傷
被害者に対しては、依然として誹謗中傷が続いている。周知の通り、昨年10月には声をあげた被害者のひとりが、誹謗中傷を苦にこの世を去った。
また、2024年4月と8月には刑事事件として立件され、それぞれ加害者が書類送検されている。これ以外にも刑事告訴は起きており、将来的には民事訴訟にいたると見られるが、被告の賠償能力の問題などそのハードルは決して低くない。
これらの立件や4月にSTARTOが本格始動したことによって誹謗中傷はかなり弱まっているが、現在もジャニー喜多川氏の加害行為から目を背けるごく一部のファンがいまも辛辣な言葉をSNS等で発し続けている。目立つのは歴史修正主義とも関連する陰謀論的な内容であり、かなりカルト性を強めている。見方を変えれば、そうした発信による訴訟リスクを理解できていない極端なファンのみが、荒唐無稽な誹謗中傷を続けている。
こうした誹謗中傷に拍車をかけたのが、今年3月にBBCの取材を受けたSMILE-UP.の東山紀之社長の姿勢だった。「本当にオンラインの誹謗中傷をなくしたい」と話したものの、その直前に「言論の自由もあると思うんですね」と発言したからだ(『BBC NEWS JAPAN』2024年3月28日)。それに対する強い批判を受け、5月になってやっと正式に誹謗中傷についての声明を出したばかりだ(SMILE-UP.、2024年5月30日)。
SMILE-UP.は、セーファーインターネット協会の賛助会員となって誹謗中傷対策への姿勢も示すが、被害者の民事訴訟の労力などのハードルを考えれば、依然として消極的と言わざるをえない。
反故にされた「法を超えた補償」
不透明な補償基準、軽微な被害の軽視、在籍確認への固執、そして誹謗中傷──ジャニーズ性加害問題における補償の現状は、日本社会の人権意識の未熟さを露呈している。そこでは被害者の尊厳よりも加害者の都合が優先される姿勢が顕れており、真の被害者救済からはほど遠いと断じざるをえない。
8月30日、SMILE-UP.は新たな声明を発表したが、そこには以下のような一文がある。
裁判を示唆していることとは、これまで提示していた「法を超えた補償」を反故にしていると言わざるをえない。
ジャニーズ事務所が性加害を認めてから1年──民放各局では旧ジャニーズのタレントが活躍し、一方でテレビ報道はこの問題をめったに扱わない。日本社会の無反省と忘却気質は、相変わらず全開となっている。
後日公開【下】に続く
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