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広島駅での被害、なぜ認定されない? 15歳の被害者が37年後に直面した救済の壁──旧ジャニーズ問題

松谷創一郎ジャーナリスト
中学2年生・14歳のときの堀田美貴男さん(写真:本人提供)。

「被害に遭ったのは、1987年8月1日のことです。中学3年生、15歳のときでした」

 現在52歳の堀田美貴男さんはそう話す。広島で生まれ育った堀田さんは、地元企業に勤めており現在は管理職だ。彼が受けた「被害」とは、ジャニー喜多川氏による性加害のことだ。

 しかし、堀田さんはSMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)から補償を受けることができていない。被害申告をし、東京まで赴いてヒアリングを受けたものの、「SMILE-UP.補償対応窓口」からは、「同社の業務に関連して故ジャニー喜多川による性加害を受けた事実を確認することができませんでした」と回答された。

 なぜ堀田さんは被害を認められないのか──。

堀田さんがジャニーズ事務所に送った履歴書用の写真。中学2年生・14歳のとき(本人提供)。
堀田さんがジャニーズ事務所に送った履歴書用の写真。中学2年生・14歳のとき(本人提供)。

1987年・広島駅での被害

「私には7歳年上の姉がいて、熱心なジャニーズファンでした。なかでも、光GENJIの大沢樹生さんの追っかけだったんです。(大沢が光GENJI前にメンバーだった)イーグルス時代からファンで、東京まで追いかけて行くほどでした。その姉がファンのネットワークで情報を得て、光GENJIのメンバーが広島に来ることを知ったんです。それが1987年の8月1日です」

 当時、広島市の中心部に実家があった堀田さんにとって、広島駅は徒歩圏内に位置した。夜ではあったが、年上の姉とともに広島駅で光GENJI一行を出待ちしたという。

「8月2日に、広島厚生年金会館(現・広島文化学園HBGホール)で男闘呼組のコンサートが行われる予定だったんです。これには、デビュー直前の光GENJIがゲスト出演予定でした。コンサートの前日に、私と姉は新幹線で広島駅に到着した光GENJIのメンバーを待っていたんです。夜の8時か9時近くのことです」

 このとき、最初から堀田さんはジャニー氏に声をかけるつもりだった。その前年(1986年)にジャニーズ入りを求めてファンクラブに電話をし、履歴書も送っている。その返事がなかったので、直接ジャニー氏にあたったのだった。

「ホームで彼らを見つけた後、私は姉にだれがジャニーさんかたずねて教えてもらいました。そこで私はジャニーさんに声をかけ、歩きながら話しました。すると、光GENJIのメンバーは新幹線口の方に行き、私とジャニーさんは在来線出口に行ってしまったんです。私と話しながら歩いていて、ジャニーさんは光GENJIとははぐれてしまったんです。姉も光GENJIについて行きました」

 天井の高さや横幅など内観はかなり変わったものの、当時の広島駅構内の位置関係は現在と大きな変化はない。他の新幹線駅と同様に、在来線への乗り換え口とそのまま外に向かう出口のふたつがある。ジャニー氏と堀田さんは前者に、光GENJIメンバーと堀田さんの姉は後者に向かったのだった。

「その間、歩きながら私はジャニーズに入りたいと懇願したんです。ジャニーさんは『東京に帰ったら君の履歴書を見るから、名前と住所、電話番号を教えて』と言って、メモを取りました。そのとき取り出したボールペンが、ネモフィラの花のような柄だったのをよく覚えています」

2024年8月、現在の広島駅。新幹線口から見た在来線へ向かう通り(筆者撮影)。
2024年8月、現在の広島駅。新幹線口から見た在来線へ向かう通り(筆者撮影)。

ジャニー「地方の子は難しいんだよね」

 堀田さんの被害は、この過程で起こった。ジャニー氏とふたりで話しているときだ。

「在来線側の出口に向かう途中、ジャニーさんは私に触り始めました。窓のある壁に向かって立ち止まり、耳元で『広島の子は難しい、地方の子は難しいんだよね』と言いながら、体を触ってきました。最後には耳をなめられました」

 それは1、2分のことだったという。

 翌8月2日、堀田さんは予定通り広島厚生年金会館で行われた男闘呼組のコンサートに赴いた。そこでもジャニー氏と遭遇したという。

「ジャニーさんは会場のいちばん後ろにいました。私は恐る恐る近づいて『昨日はどうも』と挨拶をしましたが、ファンもたくさんいる場だったからか、非常にそっけなかったです。前日のようなこともありませんでした」

 ジャニー喜多川氏が公の場で性加害に及んでいたことには、これまで複数の証言がある。テレビ朝日やNHKのトイレ内の件は大きく報じられたが、テレビ朝日のリハーサル室や移動中の新幹線内でも少年の身体を触る行為をしていた証言もある。また筆者の取材では、移動中の機内でずっと少年の手を握っていたとの元航空会社社員の証言も得た。

 以上を踏まえれば、ジャニー氏の性加害行為はほぼ日常化していたと想像される。

堀田さんが保存していた1987年の男闘呼組コンサートの半券。ゲストに光GENJIのクレジットもある。
堀田さんが保存していた1987年の男闘呼組コンサートの半券。ゲストに光GENJIのクレジットもある。

テレビ朝日でのレッスン

 堀田さんはそれでもジャニーズ事務所への入所を諦めなかった。それから1年後、ひとりで東京に向かった。

「1988年8月、高校1年生の夏休みに東京に行きました。まだジャニーズに入るチャンスがあるかもしれないと思ったんです。最初に六本木のジャニーズ事務所に行きましたが、入れませんでした。守衛さんに『入るなー!』と怒鳴られました。

 ただ、毎週日曜日にテレビ朝日でレッスンがあると聞いていたので、次はそちらに行きました。8月最初の日曜日でした。でも、そのときはたまたまレッスンがなかったんです」

 しかし、そのときに他のジャニーズJr.と知己を得たと堀田さんは話す。

「その日、僕と同じようにレッスンがないことを知らずに来ていた子がいたんです。同い年で後に平家派(ジャニーズJr.のグループ)のメンバーとなるKくんです。彼に声をかけて意気投合し、そのまま六本木のマクドナルドに行きました。そして次の日曜日にまた会う約束をしたんです。

 翌週、Kくんが板橋区在住のSくんを連れてきてくれました。Sくんは家に泊めてくれて、地元の夏祭りにも連れて行ってくれました。残念ながら、後に財布を落としてしまい、Sくんの連絡先を失ってしまいました。下の名前も覚えていないんです」

 この「Kくん」と「Sくん」は、インタビューにおいては実名だ。なかでもKくんは、Jr.のなかでもそれなりに名前を知られた存在だった。堀田さんは姉の友人の家に居候し、1か月間、東京に滞在する。

「KくんやSくんの助けを借りて、テレビ朝日での日曜日のレッスンも受けることができました。30〜40人ほどのJr.がいましたが、ジャニーさんの姿は見かけませんでした。男性と女性のスタッフがいたような記憶があります。Kくんとは21歳くらいまで連絡を取り合っていましたが、その後音信不通になってしまいました。最近、彼が元気でいるという話を聞いて安心しています」

旧・テレビ朝日社屋にあった第1リハーサル室(BS朝日『ガムシャラJ's Party』2014年)。
旧・テレビ朝日社屋にあった第1リハーサル室(BS朝日『ガムシャラJ's Party』2014年)。

説明されない「補償外」の理由

 堀田さんの被害内容には具体性があり、テレビ朝日でのレッスンにも行った経験がある。だが、それでも補償対象外となった。しかも、その理由は説明されていない。

「SMILE-UP.に被害申告をしたのは、昨年(2023年)末のことです。当初は『在籍確認ができないひとの話は聞かない』と言われていましたが、後に方針が変わったので12月に申請したんです。2月に返事があり、3月15日に東京で面談することになりました」

 面談は新宿の弁護士事務所で行われ、3人の弁護士が応対したという。1時間ほど自身の体験を話し、1か月後の4月15日に返事があった。それが「同社の業務に関連して故ジャニー喜多川による性加害を受けた事実を確認することができませんでした」との連絡だった。

「在籍確認ではなく『被害確認ができない』と言われたのは不可解でした。レッスンに参加したことは『在籍』と言えると思いますし、被害の確認ができなかった理由も説明されていません」

 堀田さんのケースだけでなく、SMILE-UP.は補償や被害認定において、その基準や理由等をいっさい被害者に説明しない。朝日新聞の取材に対し、「事実と異なる申告を防止する観点から、理由の詳細は伝えていない」と回答するが(『朝日新聞デジタル』2024年9月7日)、詳細な申告をした堀田さんがなぜ補償外となるかは不明だ。

2024年8月、堀田美貴男さん(筆者撮影)。
2024年8月、堀田美貴男さん(筆者撮影)。

補償外とされた理由は?

 SMILE-UP.が堀田さんを補償外とした可能性は、ふたつ考えられる。

 ひとつは、被害内容が軽微であることだ。この性加害問題で注目されるのは、「合宿所」と呼ばれていたジャニー喜多川氏の私邸におけるケースが多い。そこで未成年の被害者たちは苛烈な性加害を受けていた。それに比べれば、堀田さんの被害は軽微ではある。

 それもあってSMILE-UP.は、認めようとしていない可能性がある。その背景にあるのは、虚偽申告の多さだ。SMILE-UP.は虚偽申告に対する警告を複数回出しており、強く警戒している様子がうかがえる。堀田さんのような軽微なケースを認めてしまえば、多くの他の申告も認めざるをえなくなるので、それを回避しようとしているのかもしれない。

 だが、死後に膨大な性加害が発覚したことで、しばしばジャニー喜多川氏のケースと比べられるイギリスのジミー・サヴィル事件では、こうした軽微な加害行為もちゃんと問題化され、補償対象となっている。たとえばそれは、公共放送・BBCによる長大な調査報告書にもしっかり記録されている("THE DAME JANET SMITH REVIEW REPORT" 2016年:p.157)。

 もうひとつは、SMILE-UP.の言い分のとおり「被害確認」のための手がかりがない可能性だ。だが、SMILE-UP.に当然求められるのは、それでも真摯に被害者と向き合うことだ。「被害者の側に性加害の事実認定について法律上の厳格な証明を求めるべきではない」──昨年8月の再発防止特別チームのこの提言をSMILE-UP.は受け入れたはずだ(外部専門家による再発防止特別チーム「調査報告書(公表版)」2023年)。

途切れたSMILE-UP.からの連絡

 堀田さんは、高校卒業後に地元の企業に就職し、現在にいたる。経済的に困っていることもなく、生活は安定している。それでも申告したのは、これまでに心身の不調があったからだ。

「酒に溺れて肝臓の数値が悪くなったり、不眠になったりしてきました。いまでもジャニーさんのような風貌のひとを見たら不安になってしまうこともあります。仕事はなんとかやってきましたが、気持ちの面で波があり落ち込むことも多いです」

 そんな堀田さんが、補償対象外とされている。

「自分は正直にそのまま話しただけなんですが、それをバンッと弾かれてしまった気持ちになりました」

 4月15日にSMILE-UP.から「補償対象外」との連絡が来た堀田さんは、5月15日に再調査を求める連絡をした。同月30日には、NGOヒューマンライツ・ナウで記者会見にも臨んだ。6月24日には、再度調査を求める連絡をSMILE-UP.に入れている。

 しかし、それから3か月近くが経とうとしているが、SMILE-UP.からまだ連絡はない。

 現在、堀田さんは日本弁護士連合会(日弁連)への人権救済の申し立てをし、受理されている。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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