簡素化が進む「木造駅舎の宝庫」 島根県・山陰本線(出雲市~益田間)の絶滅危惧駅舎
島根県は古くからの木造駅舎が多く残る県の一つで、特に山陰本線と木次線は木造駅舎の残存率が高い。山陰本線の中でも特に木造駅舎が残っているのが出雲市~益田間で、33駅中実に13駅と40%近い残存率を見せている。そんな同区間だが、JR西日本米子支社(現:山陰支社)の駅舎簡素化方針により近年は駅舎の建て替えが進んでおり、江南駅と西浜田駅が既に建て替えられ、久手駅がまもなく建て替えられる予定だ。今回はそんな山陰本線(出雲市~益田間)の木造駅舎のうち、大規模改装が近年行われておらず、建て替えられる可能性が高い駅舎を紹介していこう。
まずは出雲市から6駅目の波根(はね)駅だ。海水浴場にほど近い海沿いの駅で、大正4(1915)年7月11日開業時からの木造駅舎が残る。青い寄棟屋根というスタイルは隣の久手駅とそっくりだが、車寄せ部分が新建材で覆われていたり、アルミサッシの引き戸があったりと細部が異なる。旧事務室部分が集会所「はね会館」に転用されているのは久手駅と同様だ。
開業一か月後の大正4(1915)年8月には、若き日の文豪・芥川龍之介が当駅に下車して海水浴を楽しんだとの記録がある。芥川はおそらく降り立った駅舎のことは気にも留めなかったことであろうが、109年前に芥川が降り立った駅舎は今もそこに佇んでいる。
波根駅の隣の久手(くて)駅にも木造駅舎が残る。同日開業だけあって双子のようにそっくりな駅舎だが、こちらの方が外観は古さをより残していて趣がある。こちらも旧事務室は集会所「あけぼの会館」に転用されている。駅舎前の植栽が波根駅は海沿いらしいクロマツ、久手駅は南国情緒漂うソテツという対比も面白い。9月上旬から解体予定とのことなので、早めに見ておいた方がよいだろう。
港町に残る築109年青い屋根の木造駅舎 まもなく解体へ 山陰本線 久手駅(島根県大田市)
静間(しずま)駅にも木造駅舎が残るが、大正15(1926)年9月16日開業で建設時期に10年以上の違いがあるためか、こちらは切妻屋根の駅舎だ。旧事務室が「静間駅会館」という集会所になっていて、トイレが増築されているという点は波根駅・久手駅と同じだ。引き戸は木製のままで、室内も比較的昔ながらの雰囲気を留めているため、映画のロケにでも使ったら映えそうな駅だ。
特急の一部が停車する仁万(にま)駅も木造駅舎だ。主要駅らしく立派な駅舎で、待合室も広い。大正6(1915)年5月15日開業だが、駅舎の築年は不明。車寄せ部分は昭和2,30年代の建物によく見られる造りだが、後から車寄せだけ改築したのだろうか。大田市への合併以前は迩摩郡仁摩町の玄関口で、読みは同じ「にま」ながら、郡名・町名・駅名で漢字の表記がそれぞれ異なっていた。
江津駅の一駅手前・浅利(あさり)駅にも木造駅舎が残る。開業は大正7(1918)年11月25日だが、駅舎の築年は不詳。車寄せ部分の屋根が前に伸びて一体化した造りの駅舎は、三江線の因原駅(廃止)にもあり、因原駅が昭和9(1934)年開業なので、浅利駅の駅舎も昭和10(1935)年前後の建築だろうか。平成5(1993)年12月13日に山陰合同銀行浅利代理店が駅舎内に移転してきており、その際事務室部分が大幅に改装されている。代理店は出張所となったのち、令和2(2020)年9月7日に江津支店に統合されて廃止された。テナントが撤退して空き家となった駅舎がその後解体される例も多いので、浅利駅も今後が気にかかる。
都野津(つのづ)駅には大正9(1920)年12月25日開業時に建てられた木造駅舎が残るが、増築部分が前面を隠してしまっているので、一見戦後の駅舎のようにも見える。今でこそ無人駅だが、待合室は広く、かつての利用者数の多さが窺い知れる。昭和3,40年代にはわざわざ増築しないといけないくらいの利用があったのだろう。
浜田駅の一駅手前、下府(しもこう)駅にも木造駅舎が残る。大正10(1921)年9月1日開業時のもので、旧事務室部分は集会所「会館こくふの里」に転用されている。初見では読めない「下府」の駅名はかつて当駅付近に置かれていた石見国の国府(府中)に由来するものだ。似た難読駅名としては徳島県に府中(こう)駅があり、そちらは「府中(ふちゅう)」が「不忠」に通じることから、不忠の反対の「考(こう)」に読ませたことによる読み方だと伝わっている。おそらく下府駅もそのような理由で「しもこう」と読むようになったのではないだろうか。
下府駅ほどではないが、周布(すふ)駅も難読駅名だ。こちらの駅舎は大正11(1922)年3月10日開業時に建てられたもので、旧事務室は社会福祉法人の事務所として使われている。同時に開業した西浜田駅にもよく似た駅舎があったが、そちらは平成初期に減築されていた。西浜田駅の駅舎は簡易駅舎への建て替えにより昨年12月に解体されている。
折居(おりい)駅の駅舎は大正13(1924)年4月1日開業時のもので、今年でちょうど築100年を迎えた。かつては向かって左手に宿直室が張り出していたが、平成初期に減築されている。令和元(2019)年7月27日に外壁が海と青空をイメージしたものに塗り替えられているので、現在は外観が異なる。駅東側にある踏切はボカロ曲「少女レイ」のMVのモデルとされており、多くのファンが聖地巡礼に訪れている。
一部の特急が停車する三保三隅(みほみすみ)駅の木造駅舎は階段の上に建っていて風格が感じられる。開業は折居駅と同じ大正11(1922)年4月1日だが、駅舎は昭和12(1937)年5月10日に建て替えられている。車寄せ部分は平成初期に改築されたようだ。近年まで駅員も配置されていた主要駅だが、駅名の由来になった三保および三隅の市街地からは離れている。
岡見(おかみ)駅の木造駅舎は大正15(1926)年4月1日開業時のものだ。赤い石州瓦が山陰を感じさせる。今でこそ青瓦が多い山陰本線の駅舎が国鉄時代の写真を見るとその多くが石州瓦で、平成初期に葺き替えられたようだ。駅舎内は改装されて、地元の特産品などが飾られている。かつては三隅発電所までの専用線が分岐していた。
最後は益田駅の一駅手前、石見津田(いわみつだ)駅だ。駅舎は大正12(1923)年12月16日開業時のものだが、平成2(1990)年頃に改装されている。旧事務室にはかつて農協支所が入居していたが、撤退して現在はパン屋に替わっている。現在入居している「駅パンくるくる」は11時から16時の営業で、日・月・祝定休。駅巡りのついでに名物のパンを頂いてみるのもいいだろう。
駅簡素化方針により、その多くが近い将来姿を消すであろう山陰本線の木造駅舎。18きっぷなどを活用して巡ってみてはいかがだろうか。
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