駅を開業させるためにスキー場をつくった!? 木次線 三井野原駅(島根県仁多郡奥出雲町)
島根県仁多郡奥出雲町にある木次線の三井野原駅はJR西日本で最も標高の高い駅だ。標高は727mで、隣の出雲坂根駅(565m)とは実に162mとの高低差がある。
停車する列車は上り3本、下り3本で、夏季にはトロッコ列車の「奥出雲おろち号」が運転される代わりに普通列車一往復が運休となる。最終列車は備後落合方面が16時36分で、木次方面が18時8分とかなり早い。さらに、冬になると運休してタクシーによる代行運転になってしまう。もはや普段使いが難しいダイヤだが、令和2(2020)年度の平均乗車人員はわずか1人なので、このダイヤでも問題ないのだろう。
そんな利用の少ない駅だが、駅舎は平成26(2014)年12月築と比較的新しく、待合室は締切可能でバリアフリー対応のトイレも完備された豪華仕様だ。ありがたい設備ではあるものの、利用者数を考えると少々立派すぎると言えなくもない。三井野原駅よりもっと利用者のある駅でも駅舎やトイレのない駅は多く、そうした駅の利用者からすれば羨ましい限りだろう。
そんな三井野原駅だが、昭和12(1937)年12月12日に木次線が開通した時には存在しなかった。隣の出雲坂根駅まで約3キロメートル(ただし線路は迂回しているので駅間は6.4キロ)と比較的近かったためだろう。ただし、当地は豪雪地帯の山の中で、自動車も普及していない当時は3キロとは言え、駅まで歩いて行くのも簡単ではない。せっかく地域の中を線路が通っているのだから、駅があればいいと思うのも当然のことだろう。ただし、駅の設置にも費用が掛かるため簡単なことではない。なにか集客施設があればそこへのアクセス駅として駅を設置しやすくなるのだが……。
そこで住民たちが目を付けたのが、雪だった。豪雪地帯であることを活かしてスキー場をつくり、そこへのアクセス駅として駅を誘致しようとしたのだ。こうして昭和24(1949)年12月24日、オープンした三井野原スキー場へのアクセス駅として三井野原仮乗降場が開業する。当時は正式な駅ではなかったが、昭和天皇の弟・高松宮宣仁親王が訪れたことがきっかけでスキー場の知名度が上昇すると、駅の利用者も増加。昭和33(1958)年9月1日に正式な駅に昇格した。スキー場の最盛期には広島・福山方面からの臨時列車も運転されるなどして賑わったという。駅がスキー客で賑わった時代も今は昔だが、今も駅前にはスキー客を受け入れる民宿が何軒か営業しており、かつての栄華を今に伝えている。
さて、駅のある三井野地区だが、駅の開業時は島根県ではなく広島県に属していた。当時の住所は広島県比婆郡八鉾村三井野。歴史的には広島県の前身である備後国比婆郡に属していたが、島根県(出雲国)との境界に接していたために古くから交流があったと思われる。島根県との結びつきが強くなったきっかけは、戦時中に農業報国会島根県支部直営農場が当地に置かれ、島根県農兵隊が開拓したことによる。なぜ島根県の農場が広島県に置かれたのかと言うと、三井野の土地の所有者が島根県でたたら製鉄を行っていた絲原(いとはら)家だったという事情があるようだ。開拓者が島根の人々だったために食糧の配給も島根県側から受けており、三井野開拓地はますます島根との結びつきが強くなっていく。さらに三井野は地理的にも広島側の八鉾村よりも島根側の八川村に行く方が近くて便利だった。こうした事情からは三井野は昭和28(1953)年12月1日に県境が変更されて、島根県仁多郡八川村に越境編入された。
三井野原駅のある木次線は利用者の減少により、近い将来廃止になってもおかしくない路線だ。このGWは少し足を延ばして意外な歴史を秘めた三井野原駅へ木次線に乗って出かけてみるのはいかがだろう。