【なぜ日本製のアニメ・特撮おもちゃは世界中で愛されたのか?】各国で発生した東映ヒーローブームとは?
皆様、こんにちは!
文学博士の二重作昌満(ふたえさく まさみつ)と申します。
特撮を活用した観光「特撮ツーリズム」の博士論文を執筆し、大学より「博士号(文学)」を授与された後、国内の学術学会や国際会議にて日々活動をさせて頂いております。
緑の葉が眩しい季節となり、汗ばむ陽気の日も増えて参りましたが、
皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、今回のテーマは「おもちゃ」です。
その中でも今回は、
アニメ・特撮ヒーローのおもちゃについて少しお話をして参りたいと思います。
突然ですが、皆様は子どもの頃、どんなおもちゃで遊びましたか?
腕や足がグリグリ動かせる、格好良いアクションフィギュアでしょうか・・?
それとも、変形・合体ができる大きなロボット・・?
はたまた、憧れのヒーロー・ヒロインを模した可愛らしいお人形・・?
憧れのヒーローやヒロインになりきって遊ぶためのアイテム・・?
このように、ひとくちに「おもちゃ」といっても様々ですが、
「子どもの頃に持っていたよ!」という方や「お誕生日に買ってもらった!」、はたまた
「持っていたけどなくしちゃった・・・」という方もいらっしゃるかもしれません。
大人になった今もおもちゃで遊んでみると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
それぞれの思い出がいっぱいのおもちゃですが、「たまごっち」(株式会社バンダイ、外部リンク)をはじめ、おもちゃの中には日本全国で社会旋風を巻き起こしたものや、国内のみならず海外市場でも爆発的なヒットを記録したものもあります。
今や国内だけでなく、世界中からも愛されている日本のおもちゃ。
そこで今回は、アニメ・特撮ヒーロー番組の「おもちゃ」に焦点を当てて、各作品のおもちゃが国内で巻き起こした社会現象、さらに世界各国で発生した爆発的なヒットについてお話ししたいと思います。
※本記事は「私、アニメや特撮ヒーローにくわしくないわ」、あるいは「あまりおもちゃで遊んだ記憶がない」という方にも気軽に読んで頂けますよう、概要的にお話をしておりますので、肩の力を抜いてゆっくり本記事をお楽しみ頂ければと思います。
【怪獣人形は車のマスコット?】PTAが激怒した仮面ライダーカード騒動とは?
皆様は、ショッピングセンターやデパート等にある「おもちゃ売り場」で販売されているおもちゃと聞くと、何を思い浮かべられますか?
ぬいぐるみ、お人形、ミニカー、ゲームソフト等、たくさん思い浮かべられると思いますが、これら長い歴史を持つおもちゃと並び、半世紀以上おもちゃ売り場で販売され続けているのが、ソフトビニール製の怪獣人形です。
映画やテレビで大暴れする怪獣達を模しているだけでなく、種類も豊富かつ軟質素材のため、子ども達が思い切り遊んでも大丈夫な怪獣のお人形達。今でもウルトラマンシリーズに登場する怪獣達のお人形が、売り場いっぱいに陳列されている様子を見ることができます。
これらウルトラマンシリーズの怪獣人形の歴史は古く、その起源は1966年まで遡ります。
シリーズ第1作『ウルトラQ』の放送が開始された1966年から1971年にかけて、2度に渡る「怪獣ブーム」が国内で発生しており、このブームの発生は、当時大衆娯楽の対象地だった百貨店やデパートのおもちゃ売り場にも大きな影響を与えました。
連日デパートのおもちゃ売り場はソフトビニール製の怪獣人形を求める人々で賑わうようになり、当時怪獣人形を販売していた玩具メーカー様(株式会社ブルマァク)によれば、怪獣人形は多い時に月産50万個、平均40万個は(市場に)出るという状況だったようです。
この怪獣人形を通じた社会現象は、特撮ヒーロー番組のメイン視聴層ではない大人達にも浸透していくようになり、いくつかの逸話も残されています。
そのひとつには、25歳ほどの長髪でサングラスをかけた青年が、カネゴン(写真の怪獣)の人形を車のマスコットにするために購入し、(カネゴンはお金を食べる怪獣であるためか)お金が入ってきそうな気がすると述べた上で、自分の友人はみんな持っているという旨のコメントを残していたそうです(出典:【懐かしのヒーロー ウルトラマン99の謎】)。
現在も、キャラクターの縫いぐるみを車のフロントガラスや後部座席に飾るドライバーの方をたくさんお見かけしますが、それに近い感覚だったのかもしれません。
そんな大人も子どもも巻き込んだ「怪獣ブーム」ですが、1971年より東映制作の特撮ヒーロー番組『仮面ライダー』の放送開始に伴い、その潮流は大きく変わります。
仮面ライダーとは、漫画家・石ノ森章太郎先生の原作で生み出された特撮ヒーローのことです。1971年にシリーズ第1作『仮面ライダー(1971)』の放送が開始され、主人公が悪の秘密結社ショッカーによって改造手術を施されて、バッタの能力を持った大自然の使者・仮面ライダーとなり、毎週ショッカーが送り込む怪人と戦う物語が展開されました。
『仮面ライダー(1971)』の放送が開始されると、本作は社会現象的な大ヒットを巻き起こすことになりました。主人公がショッカーと戦う際、「ライダ~変身!」のかけ声と共に、両手を大きく振り上げて行う変身パフォーマンスが子ども達の心を掴み、やがて子ども達の関心は、画面狭しと大暴れする巨大な怪獣から、主人公が変身して悪と戦う等身大のヒーローへと移るようになります。
その結果、これまで述べてきた「怪獣ブーム」は、このような変身するヒーローを対象とした、いわゆる「変身ブーム」へと変化を遂げることとなりました。
「怪獣ブームで怪獣人形がたくさん売れたのはわかった。今度はどんなおもちゃが売れたの?」
当時販売が好調だったのは、光る機能を内蔵した「変身ベルト」やお人形はもちろんのこと、その中でも大きな存在感を発揮していたのがカードでした。
当時を過ごした世代の方々は「あれか!」と頷かれる方も多いかと存じます。
・・・はい。「あの」カードです。
このカードというのが、お菓子メーカー大手である株式会社カルビーより発売されていたスナック菓子「仮面ライダースナック」に付属していた仮面ライダーのカード。カードは全546種、その中でラッキカードが出るとカードホルダーと交換してもらえました。
カードは写真のように、表面は仮面ライダーや怪人達、裏面はキャラクターの解説や写真の状況を解説したものであり、カード付き菓子の販売はカルビー様では初の試みだったようです。
「戦いの場面のカードは暴力的ですし、怪人は怖い。当時の食品のおまけとしては、かなりチャレンジです」(カルビーマーケティング本部長 松本知之氏)
さらに本商品、カルビー様初のジャガイモを使った商品で、私達が日頃食べている「サッポロポテト」を筆頭に、様々なお菓子に応用されていったのだとか。
しかしながらこのカード、その人気さ故に大問題が発生しました。それが「カードだけ取り出して、スナック菓子は捨ててしまう」という、罰当たりなものだったのです。
当時子ども達は仮面ライダーカードに対して過熱状態にあり、スナックをたくさん買えばカードが多数手に入る反面、スナック菓子が貯まるために、お菓子を食べずに駄菓子屋さんの前に捨ててしまうという事態が発生したようです。
当時の子ども達がスナックを捨てる行為に走った原因は諸説あるようで、スナック菓子が美味しくなかったという説が定説とはなっています。スナックそのものはカルビー様の主力商品である「かっぱえびせん」の生地を素体に甘く味付けをしたものだそうで、これが子ども達に口に合わなかったとか・・(私は当時生まれていないため、これにはなんともいえませんが)。
それ故、この食べ物を粗末にする行為について、当時のPTAは大激怒したそうです。
「もはや戦後ではない」(1956年度経済白書)という言葉が叫ばれて久しい時代であったとはいえ、当時の様相を記録した資料を拝見すると「これはちょっと・・」と、飽食やフードロスのあり方を含めて思うところはありますが、裏を返せばそれだけ「仮面ライダー」という作品が子ども達に与えた影響は凄まじいものだったのです。
【プリキュア映画興行の救世主!?】光る入場者プレゼント「ミラクルライト」とは?
突然ですが、皆様は子どもの頃、映画館でアニメの映画を観た時に「入場者プレゼント」というものをもらったことはありますでしょうか?
ポストカードやポスター、マスコット等が配布され、映画を観る前や後も大切に握りしめて帰宅したという方もいらっしゃるかもしれません。
実は、この入場者プレゼントがきっかけで、映画の興行が救われた人気アニメシリーズがあることをご存知でしょうか?
その作品こそ、東堂いづみ先生が原作を務めた、東映アニメーション様制作のアニメ作品『プリキュア』シリーズでした。
2004年2月1日に『ふたりはプリキュア』が放送されると作品は大ヒット。本作のヒットにより、プリキュアは現在までシリーズとして継続され、2023年にプリキュアは誕生20周年を迎えました。
そんなプリキュアシリーズ20年の歴史において、テレビ放送と共に映画もたくさん公開されました。しかしながら、プリキュアシリーズの映画は毎作順風満帆ではなく、時に興行収入が下降してしまった時期がありました。そんな中で「興行収入をもとに戻せ!」という指令のもと、東映アニメーションプロデューサーである梅澤淳稔氏が考案したのは、入場者プレゼントで子ども達(中学生以下のお友達)に「ライト」を配布することでした。
これまで公開されたプリキュア映画の入場者プレゼントは、カードやシール、栞等でしたが、映画を観ている子ども達が、画面の中のプリキュアを応援するアイテムとして「ミラクルライト」が考案されたのです。
ミラクルライトそのものは光るだけのシンプルな機能ですが、梅澤氏によれば、映画を観に来てくれる子ども達(未就学児)に「60分~70分座っておとなしく映画観ようね」というのは無理な上、子ども達は退屈だと感じると騒いだり走り回ったりするなら、その時間をつくってあげようという発想のもと、ミラクルライトを開発したそうです(出典:プリキュアコレクション yes!プリキュア5GoGo!)。
このミラクルライトの導入によって興行収入は回復したほか(初導入は『映画 yes!プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険!(2007)』)、本製品が好評を得たことで現在も映画公開の度に、小学生以下の子ども達に「ミラクルライト」は配布され続けています。
ちなみに私もプリキュアシリーズの大ファンなので、公開の度に劇場へ足を運んでいるのですが、劇場でミラクルライトをもらった経験はございません(大人だからです 泣)。
※今後大阪で開催が予定されているプリキュアシリーズの展覧会「全プリキュア展」(外部リンク)では、歴代ミラクルライトの展示も見所です。是非、足を運んでみて下さいね♪
【バンダイが世界的企業になったわけ】スーパー戦隊シリーズが世界各国で巻き起こした社会現象とは?
ここまで、日本で販売(または配布)されたおもちゃが巻き起こしたブームや影響力についてお話をしてきました。とはいえ、おもちゃによる爆発的なヒットは日本だけに留まりません。
日本のおもちゃは、国内でヒットを記録した後に海外市場へと輸出され、世界各国の子ども達の手に渡り、愛され続けたのです。
各国での人気を象徴するお話を列挙すると、枚挙にいとまがありませんが、今回は東映制作の特撮ヒーロー番組である「スーパー戦隊シリーズ」に焦点を当ててお話をしたいと思います。
スーパー戦隊シリーズは、漫画家・石ノ森章太郎先生と八手三郎先生が原作の、カラフルなコスチュームを纏った5人のチームヒーローを主人公にした、東映様製作の特撮ヒーロー番組です。シリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー(1975)』から現在放送中の『王様戦隊キングオージャー』まで47作品が制作されてきました。
当シリーズの人気は海外にも及び、現在も100カ国以上の国々で放送されています。
アメリカでは、スーパー戦隊シリーズは“Mighty Morphin Power Rangers(マイティ・モーフィン・パワーレンジャー)”と題して1993年より輸出され爆発的なヒットを巻き起こし、あまりの人気にクリントン大統領夫妻は本作の出演俳優をホワイトハウスへ招待したほどでした。
そんな大ヒットを記録したパワーレンジャーのおもちゃも、もちろんアメリカで販売されましたが、その社会的影響力もまた爆発的なものでした。
トイザらスやウォルマートといった玩具取扱店舗では玩具が売り切れ、生産が追いつかない状態となったほか、品薄となった玩具の取り合いで客同士の喧嘩が起こり、警察が出動する騒動にまで発展したのだとか。
本作の玩具を販売していたのが、皆様ご存知の玩具大手メーカーであるバンダイ。同社のアメリカ子会社は、1994年の1年間でフィギュアを1800万体で10億ドル売り上げたほか、このパワーレンジャーブームにより同年のアメリカ玩具市場は164億ドルの過去最高を記録しました。
このアメリカの玩具市場最大のヒットにより、アメリカではほんの小さな会社にすぎなかったバンダイが、世界最大といわれる玩具会社の一員となるに至りました。
一方、お隣の韓国では、スーパー戦隊シリーズ第37作『獣電戦隊キョウリュウジャー』(現地タイトル、『パワーレンジャー・ダイノフォース(Power Rangers Dino Force)』)が放映され、社会現象を巻き起こしました。本作のエンディングダンス(「みんな集まれ!キョウリュウジャー」)が韓国のスポーツ団体の公式応援歌に選ばれる程だったのだとか。
また韓国では『獣電戦隊キョウリュウジャー』が放送していた当時、ほとんどの本作関連玩具が品薄状態となり、特にロボットの玩具に関しては入荷日に行列が出来るだけでなく、商品の取り合いで喧嘩が起きてニュースに取り上げられたほどでした。
さらに台湾や香港でも、スーパー戦隊シリーズの玩具の販売と共に、日本のアニメ・特撮を取り上げた児童誌も販売されており(小学館様の「てれびくん」や、講談社様の「テレビマガジン」等に相当します)、市内のコンビニ等で気軽に購入できる環境が整えられている等、スーパー戦隊シリーズの国際的認知度の高さを現地で感じ取ることもしばしばです。
Taipei 101
・住所
ショッピングモール:台北市信義区市府路45号
展望台:台北市信義区信義路5段7号89階
・公式サイト:https://www.taipei-101.com.tw/ja/(外部リンク)
いかがでしたでしょうか?
日本で暮らす私達が遊んできたおもちゃが、今や世界中の人々の手に渡り、広く親しまれ続けていることが、皆様に少しでも伝わりましたら大変嬉しく思います。
最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。
(参考文献)
・青柳宇井郎・赤星政尚、「【懐かしのヒーロー】ウルトラマン 99の謎」、株式会社二見書房
・鈴木武幸、「夢(スーパーヒーロー)を追い続ける男」、株式会社講談社
・坂本浩一、「映画監督坂本浩一全仕事」、株式会社カンゼン
・大下英治、「仮面ライダーから牙狼へ 渡邊亮徳・日本のキャラクタービジネスを築き上げた男」株式会社竹書房
・大場吾郎、「テレビ番組海外展開60年史 文化交流とコンテンツビジネスの狭間で」、人文書院
・長澤博文・今井智司(ノトーリアス)、「スーパー戦隊の常識 ド派手に行くぜ!レジェンド戦隊篇」、双葉社
・尾上克郎・三池敏夫、「平成25年度メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業 日本特撮の関する調査」、森ビル株式会社
・石川康太、pen Apr.2023 No.539、CCCメディアハウス
・上北ふたご、プリキュアコレクション yes!プリキュア5GoGo!、株式会社講談社
・丸山典子、フィギュア王 No.303、株式会社ワールドフォトプレス
・鈴木康成、語れ!仮面ライダー、KKベストセラーズ
この記事をご覧頂き、「海外での日本特撮やアニメ作品の展開に興味を持った」という皆様、私の過去の記事やTwitterにて、海外現地での様子や商品展開についてもお話をさせて頂いております。宜しければ、ご覧ください。
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