【なぜ日本製スパイダーマンは不滅なのか?】マーベルヒーローから託されたスーパー戦隊の大いなる力とは?
皆様、こんにちは!
文学博士の二重作昌満(ふたえさく まさみつ)と申します。
特撮を活用した観光「特撮ツーリズム」の博士論文を執筆し、大学より「博士号(文学)」を授与された後、国内の学術学会や国際会議にて日々活動をさせて頂いております。
少しずつゴールデンウィークも近づいてきて、ワクワクする時期になりました♪
皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、今回のお話のテーマは日本とアメリカの「ヒーローの絆」です。
その中でも本記事では、日本からは東映制作のスーパー戦隊シリーズ、
そしてアメリカからは、マーベル・コミックスのスパイダーマン、
日本とアメリカを代表する2大ヒーローの知られざる交流に焦点を当てて、
お話をしたいと思います。
突然ですが、皆様はスーパー戦隊シリーズとスパイダーマンを
ご覧になったことはありますか?
まず、スーパー戦隊シリーズとは、カラフルなコスチュームを着た5人のヒーロー達がチームとなって悪の組織と戦う内容で、漫画家・石ノ森章太郎先生と八手三郎先生原作による東映制作の特撮ヒーロー番組のことです。
シリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』が1975年に放送が開始されて以降、『バトルフィーバーJ(1979)』、『超力戦隊オーレンジャー(1995)』、『爆竜戦隊アバレンジャー(2003)』、『海賊戦隊ゴーカイジャー(2011)』、『動物戦隊ジュウオウジャー(2016)』等々、シリーズは続いて行き、最新作『王様戦隊キングオージャー(2023)』まで全47作品がこれまで制作されてきました。
この記事を読んでくださっている方々の中で、「子どもと一緒に観ているよ」というお父様・お母様や、「子どもの頃に観ていたよ」という方もいらっしゃるかもしれません。
一方で、スパイダーマン。数多くのスーパーヒーローを生み出した巨匠、スタン・リー氏の原作で、マーベル・コミック出版のコミックに登場する、蜘蛛の力を宿したスーパーヒーローのことです。
1962年刊行のコミック『アメイジング・ファンタジー(Amazing Fantasy)』でデビューした後、その活躍はコミックだけに留まらず、映画やテレビ番組にも広がり、今やマーベル・コミックスを代表する人気キャラクターとして活躍しています。
実はこの日米ヒーローの間には、長い歴史の中で知られざる交流があったことはご存知でしょうか?
そこで今回は、スーパー戦隊とスパイダーマン、日米2大ヒーローの交流に焦点を当ててお話をしたいと思います。
※本記事は「私、ヒーローものにくわしくないわ」という方にも気軽に読んで頂けますよう、概要的にお話をして参ります。肩の力を抜いて頂き、ゆっくりと本記事をお楽しみ頂けますと幸いです。
【戦隊ロボの基盤はスパイダーマンから?】東映とマーベルの3年契約から誕生したスーパーロボットとは?
「そもそも、なんでスーパー戦隊とスパイダーマンが関係あるの?」
・・とお考えの方も多いかと思います。
結論からいうと、両ヒーローが関係を持つ契機となったのは、東映とマーベル・コミックスの間で締結された「契約」でした。
その歴史のはじまりは、1970年代まで遡ります。実はこの時代、マーベルにとっていわば「苦難の時代」でもありました。コミックの売り上げが悪化し、歯止めがかからない状況だったのです。当時マーベルで編集者として働いていた人物曰く「誰もコミックを買わなくなりました。斜陽産業になりつつあると、みんなわかっていました。」という状況だったようです。
そこでマーベルは、スパイダーマンをはじめとする自社のキャラクターを、玩具メーカーやエンターテインメント関係各社と結んで利益を上げようとするビジネスに着手します。
スパイダーマンの原作者であるスタン・リーも、「マーベルには読者に愛されるヒーローがいる。(中略)でも、効果的に商品を宣伝販売できる手段がないんだ。うちの会社(マーベル)はファンの間で知られているだけで、それ以外には広く知られていない」と自社の状況を危惧し、スーパーヒーロー達の宣伝のために、ときには国外へと出掛けることもあったようです。
その試みは、私達が暮らす日本にも広がります。1978年、当時マーベルは日本にマーベル・コミックスのキャラクター達を普及させるためにエージェント(ジーン・ペルク氏)を駐在させており、ペルク氏が出会ったのが、当時『仮面ライダー』や『秘密戦隊ゴレンジャー』をはじめ、数多くの特撮ヒーロー番組を送り出していた東映のプロデューサーである渡邊亮徳氏でした。
そこで渡邊氏は、ペルク氏がスタン・リーの描いたスパイダーマンを日本の雑誌に売るために奔走していた事情を汲み取り、ペルク氏も渡邊氏にスパイダーマンをはじめとするマーベルのヒーロー達を預けることになりました。
その結果、東映はマーベル・コミックスと3年間の提携を行い、マーベルのキャラクターを一定期間内は自由に使用できる権利を得ることになりました。この権利を得たことで、東映が制作に着手したのが、『スパイダーマン』(いわば、東映版『スパイダーマン』)でした。
つまり、「仮面ライダーや戦隊ものを手がけた会社が、スパイダーマンをつくる」状況となったわけです。
しかしこの『スパイダーマン』、原作から継承したのはスパイダーマンのキャラクターデザインのみ。その内容はまったくの別物でした。
原作の「スパイダーマン」は、科学オタクである高校生の主人公、ピーター・パーカーが放射能を浴びたクモに刺されたことで、蜘蛛の超能力を宿した超人となり、自らが宿した力と責任の狭間に苦悩しながらも、市民を脅かす悪と戦う物語。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
・住所:〒554-0031 大阪府大阪市此花区桜島2丁目1番33号
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・公式サイト:https://www.usj.co.jp/web/ja/jp(外部リンク)
対して東映版「スパイダーマン」は、オートレーサーの山城拓也が、悪の組織(鉄十字団)の首領・モンスター教授に殺されるも、故郷を失ったスパイダー星人・ガリアから、蜘蛛の能力を与えられてスパイダーマンとして蘇り、鉄十字団と戦う物語。
ここまで内容に違いが生じた背景には、先述した東映とマーベルが締結した契約内容にありました。東映がマーベルから得たのは、マーベルのキャラクターを自由に使用できる権利。
つまり、東映独自のアレンジによって、スパイダーマンを描くことが可能になったわけです。
そこで、東映のプロデューサーである渡邊亮徳氏は「スパイダーマン」にロボットを登場させることを提案します。渡邊氏は本番組の吉川進プロデューサーに、
「おい、マーベルのスパイダーマンをテレビでやるぞ。枠は俺が決めてくる。いいか、俺達が作る『スパイダーマン』にはロボットが出てくるんだ。」(渡邊氏)
と強調したそうです。吉川氏もスパイダーマンの原作を読んでいたものの、ロボットを登場させるアイディアには戸惑いも感じていたのだとか。
「スパイダーマンにロボットを出すなんて、無理ですよ。まずスタン・リーが承知しないでしょう。」(吉川氏)
「大丈夫だ。原作はこっちのオリジナルで作るんだ。」(渡邊氏)
渡邊氏によるロボットを登場させるアイディアの背景には、2つの考えがありました。
ひとつは、今後のロボットの商品化を睨んでの背景であること。そしてもうひとつは、主人公であるスパイダーマンのヒーロー性を強調させる狙いがありました。
「原作にある主人公の人間的弱さは、アメリカではともかく、日本では受けない。スパイダーマンのヒーロー性を強調すべきだ。」(渡邊氏)
その結果、スパイダーマンが乗り込む母艦マーベラ-が巨大ロボット・レオパルドンに変形するという設定が組み立てられ、番組の中でまず等身大のヒーローと怪人の戦い、そしてその後は巨大ロボットと巨大な怪物との戦い、という2つの戦いを描くというストーリー編成が組み立てられました。
こうした渡邊氏によるアイディアを詰め込んだ『スパイダーマン』は、1978年から1979年まで30分番組として1年間、東京12チャンネルの毎週水曜日夜7時半という、業界的には「地味な時間枠」での放送であったのに対し、平均視聴率は13%、東京12チャンネルの番組の中ではトップクラスのヒットを記録しました。また、レオパルドンも子ども達から好評を博し、玩具も売れに売れた状況だったようです。
原作側であるマーベル・コミックス社のスタッフも、ほとんど全員がロボットの登場に反対したものの、その演出に次第に惹きつけられていったようです。
「アメリカ映画に出てくるロボットは、縫いぐるみを着て、その中に人間がいる感じが出すぎる。日本のロボットは、『考える機械』のイメージだ。人間ばなれしていて、もっともロボットらしい」(ペルク氏)
また原作者のスタン・リーもロボットのアイディアを「おもしろい」と歓迎し、彼はマーベル・コミックスにいるスタッフ皆に東映版『スパイダーマン』のビデオを見せたそうです。
このスパイダーマンが乗り込むレオパルドンが成功した背景には、番組と玩具メーカーとの綿密な提携が挙げられます。『スパイダーマン』の番組メインスポンサーを務め、さらにレオパルドンのデザインをしたのが、玩具メーカー大手のポピー(現・バンダイ)でした。
このようなスポンサーが番組の企画段階から参加するという仕組みですが、実はこの仕組みは、当時の日本にあってアメリカにはないものでした。
日本では、玩具会社が企画段階から参加し、積極的に番組スポンサーとなっていくのが通例ですが、アメリカでは番組の中で使用されている商品のメーカーは、番組のスポンサーになれないという制約がありました。これは、アメリカの公正取引委員会で禁止されているという事情があったためです。
よって、ここまでお話ししてきた『スパイダーマン』の成功とレオパルドンの大ヒットは、アメリカから見れば、番組と玩具メーカーの提携が巻き起こした至難の業であったのです。
【参考はキャプテン・アメリカ?】スーパー戦隊シリーズ初の巨大ロボット、バトルフィーバーロボの構想から爆誕まで
この東映版『スパイダーマン』の商業的な成功は、同じく東映が制作していた他の特撮ヒーロー番組にも大きな影響を及ぼすことになります。
その特撮ヒーロー番組こそが、スーパー戦隊シリーズでした。
1975年にシリーズ第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』、1977年に第2作『ジャッカー電撃隊』を放送していた東映は、1978年夏にシリーズ第3作の構想に着手するようになります。
その第3作の構想において基板となったのが、先述したマーベルとの契約でした。
構想当時はまだ『スパイダーマン』が放映中であったため、東映はスパイダーマンと並ぶマーベル・ヒーローである『キャプテン・アメリカ』を参考に、『キャプテン・ジャパン』という企画に着手します。本作は5人のアメリカンコミックスタイルのヒーロー達が、音のリズム感を通じて戦うヒーローとして構想されました。
この『キャプテン・ジャパン』ですが、その後、1977年公開の大ヒット米映画『サタデー・ナイト・フィーバー』から着想を得て、『バトルフィーバーJ』というタイトルに改められました。当初構想されていた5人のヒーロー達も設定が再調整され、各国のダンスを得意とする5人のヒーロー達(バトルジャパン、バトルフランス、バトルケニア、バトルコサック、ミスアメリカ)が、悪の組織エゴスと戦う内容に纏まっていきました。
さらに、スーパー戦隊シリーズにおける新たな試みとして導入されたのが、巨大ロボットでした。
「えっ?!戦隊シリーズってはじめからロボットが出ていたんじゃないの?」と驚かれる方も多いと思いますが、スーパー戦隊シリーズに巨大ロボットが初めて登場したのは、実は本作からなのです。
この『バトルフィーバーJ』において巨大ロボットが登場する契機をもたらしたのは、先述したレオパルドンでした。
レオパルドンが子ども達に好評だったことを受け、本作にも巨大ロボットを出す潮流となり、バトルフィーバー専用のロボット「バトルフィーバーロボ」が登場したのです。
このバトルフィーバーロボですが、初登場はなんと第5話。
「ずいぶん遅いね」と感じられた方もいらっしゃるかと思いますが、この背景には、玩具メーカー(ポピー)がバトルフィーバーロボの設定や機能等を構想した際、あまりにもアイデアに固執し過ぎてしまい、撮影に間に合わなかったという逸話が残されています。その結果、本作第1話から第4話まではロボットの設計図を敵味方で奪い合うというお話になったそうです。
その後、無事に『バトルフィーバーJ』は1979年2月3日に放送が開始され、放送開始と同時におもちゃ屋さんにはバトルフィーバーロボが並び、焦りに焦れていた子ども達が、我先にと店頭に殺到したのだとか。
レオパルドンのヒットから構想されたバトルフィーバーロボも成功したことで、その後のスーパー戦隊シリーズでは、上の写真のような巨大な変形合体ロボットが、毎作登場することとなります。こうして、レオパルドンから継承された巨大ロボット路線は、スーパー戦隊シリーズを象徴する大きな個性となったのです。
【警察まで巻き込んだ?!】スーパー戦隊ロボが世界中で巻き起こした社会現象とは?
このように、スパイダーマンからスーパー戦隊シリーズに継承された巨大ロボットですが、このアイディアは世界各国へ同シリーズを輸出する際も好意的に受け入れられ、国によっては社会現象を巻き起こす大ヒットにまで至りました。
例えばアメリカでは、1993年にシリーズ第16作の『恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992)』が、“Mighty Morphin Power Rangers(マイティ・モーフィン・パワーレンジャー)”として輸出されると、同国で爆発的なヒットとなりました。関連商品の販売においても、本作の玩具を求めてショッピングモールに親達が殺到する現象が見られたほか、品薄となった玩具の取り合いで客同士の喧嘩が起こり、警察が出動する騒動にまで発展したそうです(実は、このパワーレンジャーの玩具が品切れした騒動を基に、1996年に公開されたアーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「ジングル・オール・ザ・ウェイ(Jingle All the Way)」が製作されました)。
一方で韓国では、スーパー戦隊シリーズ第37作『獣電戦隊キョウリュウジャー(2013)』(現地タイトル、『パワーレンジャー・ダイノフォース(Power Rangers Dino Force)』)が放映され、社会現象を巻き起こしました。本作が放送された当時、ほとんどの関連玩具が品薄状態となり、特にロボットの玩具に関しては入荷日に行列が出来るだけでなく、商品の取り合いで喧嘩が起きてニュースに取り上げられたほどであったとか。
両国において共通しているのは、玩具がヒットし過ぎて警察沙汰にまで発展した点ですが、「玩具のために、大人が本気になる」という現象が、実は日本だけでなく世界中で起きていたことがおわかり頂けるかと思います。
いかがでしたでしょうか?
スパイダーマンとスーパー戦隊シリーズの間には浅からぬ縁があると共に、知られざる交流エピソードもたくさん存在していたことが皆様に伝われば、大変嬉しく思います。
最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。
(参考文献)
・チャーリー・ウェッツル&ステファニー・ウェッツル、「MARVEL 倒産から逆転 No.1となった映画会社の知られざる秘密」、株式会社すばる舎
・安藤幹夫・秋田英夫・秋山哲茂・坂井由人、「東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界」、株式会社双葉社
・坂本浩一、「映画監督坂本浩一全仕事」、株式会社カンゼン
・大下英治、『仮面ライダーから牙狼へ 渡邊亮徳・日本のキャラクタービジネスを築き上げた男』、株式会社竹書房
・尾上克郎・三池敏夫、「平成25年度メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業 日本特撮の関する調査」、森ビル株式会社
この記事をご覧頂き、「海外での日本特撮やアニメ作品の展開に興味を持った」という皆様、私の過去の記事やTwitterにて、海外現地での様子や商品展開についてもお話をさせて頂いております。宜しければ、ご覧ください。
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