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【なぜ日本製スパイダーマンは大成功した?】日米特撮ヒーローが一同共演した伝説のヒーローショーとは?

二重作昌満博士(文学)/PhD(literature)

皆様、こんにちは!

文学博士の二重作昌満(ふたえさく まさみつ)と申します。

特撮を活用した観光「特撮ツーリズム」の博士論文を執筆し、大学より「博士号(文学)」を授与された後、国内の学術学会や国際会議にて日々活動をさせて頂いております。

すっかり春の陽気となり、ほのぼのとした暖かさを感じられる季節になりました。

皆様、いかがお過ごしでしょうか?

さて、今日のお話のテーマは、「スパイダーマン」です!

突然ですが・・

皆様は、アメリカ生まれのスーパーヒーロー「スパイダーマン」をご存知でしょうか?

数多くのスーパーヒーローを生み出した巨匠、スタン・リー氏の原作で、マーベル・コミック出版のコミックに登場する、蜘蛛の力を宿したスーパーヒーローのことです。

スパイダーマン(2019年 筆者撮影)
スパイダーマン(2019年 筆者撮影)

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
・住所:〒554-0031 大阪府大阪市此花区桜島2丁目1番33号
・TEL:0570-200-606
・公式サイト:https://www.usj.co.jp/web/ja/jp(外部リンク)

「スパイダーマン」は、科学オタクである高校生の主人公、ピーター・パーカーが放射能を浴びたクモに刺されたことで、蜘蛛の超能力を宿した超人となり、自らが宿した力と責任の狭間に苦悩しながらも、市民を脅かす悪と戦う物語。

高校生でありながら、ヒーローとしての責任や重圧、そして恋人との関係に悩みながらも、悪と戦い続ける姿が反響を呼び、現在はコミックだけに留まらず、彼が活躍するたくさんの新作映画が製作され続けています。

今年も新作映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース 』が公開予定のスパイダーマンですが・・・実は彼、私達が暮らしている日本で製作された時代があったのをご存知でしょうか?

スパイダーマンはかつて、仮面ライダーシリーズを製作した東映株式会社によって、特撮ヒーロー番組として放送されていたのです。

今回は、この「東映版」スパイダーマンについての知られざる誕生秘話をお話しすると共に、スパイダーマンとウルトラマンをはじめ日本の特撮ヒーロー達が一同に共演した、「伝説のヒーローショー」について解き明かしていきたいと思います。

※本記事は「私、スパイダーマンにくわしくないわ」という方にも気軽に読んで頂けますよう、概要的にお話をして参ります。ゆっくり肩の力を抜いてゆっくり本記事をお楽しみ頂ければと思います。

【スーパーヒーローの挫折?】初のスパイダーマン実写テレビ番組がアメリカで打ち切られた訳とは?

スパイダーマンは1962年刊行のコミック『アメイジング・ファンタジー(Amazing Fantasy)』でデビューを果たした後、大変な人気を博しました。彼が主演を務める映画は2020年時点で総額63億6000万ドルを稼ぎ出すなど、今やマーベル・コミック出版を代表する人気キャラクターとして活躍していることは、ご存知の方も多いと思います。

日本が世界最速公開!『スパイダーマン3』関連商品(筆者撮影)
日本が世界最速公開!『スパイダーマン3』関連商品(筆者撮影)

日本でも映画が公開されると、テレビCMやネット広告で大々的に宣伝される人気者の彼ですが、その成功の裏でスパイダーマンはかつて大きな挫折を経験していたのです。

その挫折というのが、「スパイダーマンのテレビ番組化」でした。

1962年からの誕生以降、スパイダーマンはコミックを中心に活躍してきましたが、1970年代に入ると、スパイダーマンをテレビ番組としてアメリカで放送しようという動きが活発化するようになりました。

そこでマーベルは、1976年にスパイダーマンのテレビ放映権をTVプロデューサーに売り渡したりする等、積極的にスパイダーマンのテレビ番組の制作に着手するようになります。

そんな中で誕生したのが、1977年にCBSで放送された『アメイジング・スパイダーマン』。

本作は実写テレビドラマとして制作され、着ぐるみのスパイダーマンが悪党を退治する、いわば日本の特撮ヒーロー番組に近い作風で放送されました。

「知名度あるスパイダーマンのことだから、人気番組になったんじゃない?」

・・・ところが、マーベルとしては期待を下回る結果でした。生みの親である原作者スタン・リーも「彼らが用意した脚本はどれもひどいものだったよ。」と苦言を漏らした上で、「マーベルのキャラクターには特別なストーリーが必要で、何でもいいというわけにはいかないよ」と発言までする状況だったようです。最終的に、念願のスパイダーマンのテレビシリーズはたった13話で打ち切られてしまいました。

この『アメイジング・スパイダーマン』が製作された当時のアメリカのテレビ・映画業界を紐解いてみると、本作がヒットしなかった要因のひとつに、コミックの世界を実写映像で表現することが困難であったことが挙げられます。スパイダーマンがビルの谷間をウェブ(糸)で滑らかに飛び回る描写を当時の映像技術で表現するのは極めて難しい作業でした。

「今の技術ならCGで・・・」と思われがちですが、当時はそうはいかなかったのです。

また当時のハリウッドでは、スーパーヒーローに対する偏見もありました。いくらマーベルのコミックはティーンエイジャーや大学生、さらに上の世代に読まれていると力説したところで、映画は6歳の子ども達向けに作られるべきと決めつけられていた時代でもあったのです。

【スパイダーマン+巨大ロボット!】情け無用の男!東映版『スパイダーマン』爆誕!!

アメリカでは失敗に終わってしまったスパイダーマンのテレビ番組。大きな挫折を経験したスパイダーマンですが、その後に思わぬ形で、彼のテレビ番組は再生することとなります。その再生の場所こそ、私達が暮らす日本でした。

事の経緯は1978年。当時マーベルは日本にマーベル・コミックのキャラクター達を普及させるためにエージェント(ジーン・ペルク氏)を駐在させており、ペルク氏が出会ったのが、当時『仮面ライダー』や『秘密戦隊ゴレンジャー』をはじめ、数多くの特撮ヒーロー番組を送り出していた東映のプロデューサーである渡邊亮徳氏でした。

渡邊氏はペルク氏に「あなたが、日本の出版社に『スパイダーマン』を売り歩いていることは聞いた。が、この作品は先に日本で放映すれば、もっと売れる。おれたちがテレビで作ったら、もっとおもしろくしてみせる。」と力説したそうです。

その結果、東映版『スパイダーマン』の製作が開始されることとなりました。つまり、「仮面ライダーや戦隊ものを手がけた会社が、スパイダーマンをつくる」状況となったわけです。

「すり替えておいたのさ!」東映版スパイダーマン(筆者撮影)
「すり替えておいたのさ!」東映版スパイダーマン(筆者撮影)

本作の物語は、オートレーサーの山城拓也が、悪の組織(鉄十字団)の首領・モンスター教授に殺されるも、故郷を失ったスパイダー星人・ガリアから、蜘蛛の能力を与えられてスパイダーマンとして蘇り、鉄十字団と戦う物語。

「全然原作と違うじゃないか!!」

・・・ごもっともです。しかもこの作品、スパイダーマンが乗り込む巨大ロボット(レオパルドン)が登場する上、主人公がブレスレットを操作してスパイダーマンに変身するという、原作にはない新たな要素が次々と加えられていきました。

スパイダーブレスレット(左)とレオパルドン(右)(筆者撮影)
スパイダーブレスレット(左)とレオパルドン(右)(筆者撮影)

なぜ「スパイダーマン」に巨大ロボが登場することになったのか?これには渡邊氏による意図がありました。

「原作の蜘蛛男じゃ、ビニールのぬいぐるみができるだけだ。やはり、商品になるようにロボットを登場させないといけない」(渡邊氏)

本作の玩具を販売していたポピー(現・バンダイ)の企画担当をされた村上克司氏によれば、「アメリカはアメリカ、日本は日本。むこうを意識しないで自由に発想していいです」と渡邊氏から打診があり、村上氏は「では、まずスパイダーマンがどこから来たかってことから始めていいのですか。宇宙から来たということにしても構いませんか」と確認したところ、構わないという返答だったそうです。

そこで村上氏は、「宇宙から来る時に、いかにもスパイダーマンらしい母艦に乗っている。しかもその母艦が、いかにも日本人が好みそうな巨大ロボットに変形する」とアイデアを出した結果、承諾を頂けたのだとか。

実は、「スパイダーマンにロボットを出す」というアイデアそのものは、東映の中でも議論がありました。そこで本作のプロデューサーであった吉川進氏は「どうしてスパイダーマンにロボットが出るんだ?」と思いつつも、その必然性を持たせるために、元々はスパイダーマンのものではなく、スパイダー星人ガリアが乗ってきたメカであり、宇宙には一般的にある乗り物という印象を視聴者に与えるように設定が整合されたそうです。

スパイダーマンの乗り物!「スパイダーマシンGP7」(筆者撮影)
スパイダーマンの乗り物!「スパイダーマシンGP7」(筆者撮影)

つまり、スパイダーマンが宇宙から来るという必然性を持たせるため、ロボットというアイデアが採用されたわけです。

ところが、マーベル・コミック社のスタッフは、ほとんど全員がロボットの登場に反対しました。彼ら曰く「原作のイメージが変わる。そんなことは許すな。」といった反応でした。

そこで東映は、スパイダーマンの原作者であるスタン・リーを日本に招き、東映版スパイダーマンのフィルムを見せたそうです。「猛反発か・・・」と思いきや、リーは「(これまで米国で製作されたスパイダーマンの実写作品の欠点を挙げた上で)東映製作のスパイダーマンは違う。東映(JAC)のアクションは、まさに原作のアクションのスピード感と同じだ。ロボットも面白い。アメリカの『スパイダーマン』より、ずっと出来がいい」と大絶賛したそうです。

マーベルからの反発こそありつつも、無事に国内で放送されることとなった『スパイダーマン』は、1978年から1979年まで東京12チャンネルで、毎週水曜日夜7時半より30分の時間枠で放送され、平均視聴率13%と同チャンネルの番組ではトップクラスの視聴率を記録しました。

またレオパルドンの玩具も渡邊氏の狙いどおり、新しいアイデアが好評で非常に良い売り上げだったそうです。

実は、この東映版『スパイダーマン』が放送されていた当時、日本の子ども達の間ではいわゆる「実写離れ」が進んでいた時代でした。当時は東映アニメ製作の合体ロボットを筆頭に、アニメ作品の人気が子ども達の間で高まっていたのです。『スパイダーマン』の放送が終了した1979年は、日本サンライズ制作の『機動戦士ガンダム』の放送が開始され爆発的なブームを起こすことになったほか、もともと実写のヒーローであった円谷プロのウルトラマンシリーズも、シリーズ初のアニメ作品『ザ☆ウルトラマン』を放送する状況でした。そんな中、実写作品でありながらも健闘した『スパイダーマン』で導入された、巨大ロボットの登場やブレスレットによる変身描写は、同じく東映制作のスーパー戦隊シリーズに継承されていくことになったのでした。

スパイダーマン以降、スーパー戦隊シリーズに変身ブレスは受け継がれていくことに(写真は一例、筆者撮影)
スパイダーマン以降、スーパー戦隊シリーズに変身ブレスは受け継がれていくことに(写真は一例、筆者撮影)

スパイダーマンとウルトラマンが夢の共演?!後楽園ゆうえんちでヒーロー達が一同集結した「伝説のヒーローショー」とは?

日本で活躍した東映版スパイダーマンですが、彼の活躍はテレビの中だけに留まりません。スパイダーマンはその後、国内開催のヒーローショー等にも登場していくようになりました。

そして1980年、スパイダーマンは日本を代表する特撮ヒーローであるウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊と合流し、ヒーローショーを舞台とした一大決戦に挑むこととなります。

そのヒーローショーが開催された場所こそ、現在「ヒーローショーの聖地」と呼ばれる、ご存知「後楽園ゆうえんち(現・シアターG-ロッソ)」でした。

シアターG-ロッソ(2016年筆者撮影)
シアターG-ロッソ(2016年筆者撮影)

シアターG-ロッソ
住所:〒112-0004  東京都文京区後楽1-3-61 ジオポリス内
TEL:03-3817-6234
公式サイト:https://www.tokyo-dome.co.jp/g-rosso/(外部リンク)

「後楽園ゆうえんちで僕と握手!」のCMフレーズをご存知の方も多いと思います。東京都文京区にある当遊園地は、1971年より「仮面ライダーショー」を開催後、当地を拠点にヒーローショーを開催するようになり、1976年よりショー内容はスーパー戦隊シリーズを中心とした公演となりました。その後も歴代のスーパー戦隊シリーズのショーが続いていき、現在は『王様戦隊キングオージャー』ショーが開催される等、50年以上の歴史を有しています。

そんな歴史あるショーに、スパイダーマンは駆けつけました。スーパー戦隊シリーズ第3作『バトルフィーバーJ』が放送中だった1980年のお正月公演『スーパーヒーロー大集合』にて、悪の軍団に苦戦するバトルフィーバーJを救出するため、ウルトラマン(ザ☆ウルトラマン)、仮面ライダーV3やストロンガー達と共に、スパイダーマンは駆けつけたのです。

スパイダーマンと共演したザ☆ウルトラマン関連商品(筆者撮影)
スパイダーマンと共演したザ☆ウルトラマン関連商品(筆者撮影)

ウルトラマンは怪人達に必殺技を放ち、ライダー達による力強いアクション、バトルフィーバー達は華麗に舞い、スパイダーマンは巣をつくり敵を待ち伏せて忍び寄る!・・・

権利の問題で当時の写真は掲載できませんが、上述した日米ヒーローが一堂に会した夢の共演が観られたのは、1980年の1月1日から2月17日まで!ヒーローの絆が国境を越えた瞬間だったのです。

いかがでしたか?

私達の知っているスパイダーマンには、知られざる日米ヒーローの絆と交流を経ながら、今日までの長い歴史が紡がれてきたことが皆様に伝われば大変嬉しく思います。

またマーベルは現在、スパイダーマンやアイアンマンといったマーベルヒーローと、円谷プロのウルトラマン達が共演するクロスオーバー展開を予定しているそうです(外部リンク)。

今後の続報が楽しみですね。

最後までご覧頂きまして、誠にありがとうございました。

(参考文献)
・チャーリー・ウェッツル&ステファニー・ウェッツル、「MARVEL 倒産から逆転 No.1となった映画会社の知られざる秘密」、株式会社すばる舎
・大下英治、「仮面ライダーから牙狼へ 渡邊亮徳・日本のキャラクタービジネスを築き上げた男」、株式会社竹書房
・安藤幹夫・秋田英夫・秋山哲茂・坂井由人、「東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界」、株式会社双葉社
・菅家洋也、「講談社シリーズMOOK スーパー戦隊Official MOOK 20世紀 1979 バトルフィーバーJ」、株式会社講談社
・石川順恵、後楽園ゆうえんち野外劇場公式ガイド スーパーヒーローショー大全集、メディアワークス

この記事をご覧頂き、「海外での日本特撮やアニメ作品の展開に興味を持った」という皆様、私の過去の記事やTwitterにて、海外現地での様子や商品展開についてもお話をさせて頂いております。宜しければ、ご覧ください。

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博士(文学)/PhD(literature)

博士(文学)。日本の「特撮(特殊撮影)」作品を誘致資源とした観光「特撮ツーリズム」を提唱し、これまで包括的な研究を実施。国内の各学術学会や、海外を拠点とした国際会議へも精力的に参加。200を超える国内外の特撮・アニメ催事に参加してきた経験を生かし、国内学術会議や国際会議にて日本の特撮・アニメ作品を通じた観光研究を多数発表、数多くの賞を受賞する。国際会議の事務局メンバーのほか、講演、執筆、観光ツアーの企画等、多岐に渡り活動中。東海大学総合社会科学研究所・特任助教。

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