山田方谷が由来、国鉄初の人名駅! 築96年、登録有形文化財の木造駅舎 伯備線 方谷駅(岡山県高梁市)
岡山と山陰の米子・松江・出雲を結ぶ特急「やくも」が走る伯備線。その起点の倉敷駅から10駅目にあるのが方谷(ほうこく)駅だ。この駅には竣工当時の姿を色濃く残す木造駅舎が残っている。駅舎入口の車寄せの柱は洗い出しで仕上げられ、装飾が施されたモルタル造りで、全国的に見ても貴重なものだ。
方谷駅は昭和3(1928)年10月25日開業。駅舎は開業時のもので、今年で築96年を迎える。開業時の所在地は上房郡中井村で、本来なら駅名は「中井」となるはずだったが、地元では中井村西方出身の偉人・山田方谷にちなんで「方谷」とするよう要望した。
今でこそ全国各地にある人名由来の駅名だが、当時の国鉄では前例がなかった(注1)ため、「西方の谷」という地名であるという建前で命名されている。ちなみに岡山県には人名駅が多く、方谷駅以外にも宮本武蔵(みやもとむさし)駅と吉備真備(きびのまきび)駅、早雲の里荏原(そううんのさとえばら)駅がある。
注1:ただし、人名由来の地名から駅名に採用されたものは多く、特に北海道では藤山駅や大和田駅など開拓者の名から駅名になったものが既に多く存在していた。
では、方谷駅の由来となった山田方谷とはどのような人物なのだろうか。
江戸時代の文化2(1805)年に駅近くの西方で生まれた山田方谷は、地元の備中松山藩に仕えた儒者で、藩主・板倉勝静(かつきよ)の下で藩政改革や人材育成を行った。飢饉の際に貯蔵しておいた米を農民に配布して餓死者を出さなかったという功績でも知られ、「備中聖人」の異名も持つ。北越戦争で長岡藩を率い、司馬遼太郎『峠』のモデルになった河井継之助は方谷の弟子にあたる。
地元の高梁市は山田方谷を主人公とした大河ドラマを目指して運動を行っているが、もし実現すれば方谷駅も大いに盛り上がることだろう。
方谷駅は昭和59(1984)年3月31日に無人化されたが、駅舎は地元住民によって管理・清掃されており、無人化から40年が経過した今なお良好な状態を保っている。引き戸も木製のままで、アルミサッシ化されていない。
無人化されば大抵板で塞がれてしまう窓口跡もそのままだ。きっぷが欲しいと声をかければ今にも国鉄OBの好々爺然とした簡易委託の駅員さんが顔を出しそうな雰囲気である。左の引き戸はチッキ(手小荷物)を扱っていた窓口の跡だ。
この駅舎は平成23(2011)年3月18日に国の登録有形文化財に指定されている。
ホームは地下通路を通って階段を上がったところに設置されていて、駅舎よりも一段高い。島式1面2線で、山側の1番のりばが倉敷・岡山方面、川側の2番のりばが新見・米子方面となっている。
幕末の偉人にちなんだ駅名を持つ、趣深い木造駅舎の方谷駅。そろそろ先が見えてきた伯備線の黄色い115系で訪れてみてはいかがだろうか。
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