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イスラエル首相の逮捕状請求はなぜ“言語道断”か――本国政府の方針に反したICC検察官の素顔

六辻彰二国際政治学者
英ロイターの取材に応じるICC主席検察官カリム・カーン(2023.10.12)(写真:ロイター/アフロ)
  • 国際刑事裁判所(ICC)の主席検察官はイスラム組織ハマスの幹部とともにイスラエル首脳に対しても戦争犯罪で逮捕状を請求した。
  • この請求を行ったカリム・カーン主席検察官はイギリス市民だが、イギリス政府はイスラエルの立場を支持していて、逮捕状発行請求を批判している。
  • つまり、カリム・カーン主席検察官は本国政府の意向に反したわけだが、この反権威的でアンタッチャブルな態度はこれまでにもみられたものである。

嫌われた“アンタッチャブル”

 国際刑事裁判所(ICC)がネタニヤフ首相らイスラエル政府首脳に対する逮捕状発行を請求したことは、世界的に賛否両論を呼んだ。

 深刻化するガザ情勢に関して、ICC主席検察官はパレスチナのイスラム勢力ハマスの幹部らの逮捕状も同時に請求したのだが、これといわば同列に扱われたことにイスラエル首脳が強く反発したことは不思議でない。

 さらにイスラエルを支持するバイデン大統領も逮捕状発行請求を“言語道断”と非難し、イギリスのスナク首相も「ICCにそんな権限はない」と批判した。この他、ドイツなどもICCの決定を非難している。

 ただし、少なくとも、この逮捕状の請求に手続き上の問題は認められない

 ICCには検察官の独自の発意による逮捕状請求の権限が認められている。

 また、ICCの権限は当事国の司法機関が十分機能を果たせない場合に限られる(「補完性の原則」)が、イスラエルの裁判所がネタニヤフらを戦争犯罪や人道に対する罪で捜査・逮捕することはほぼ想定できないため、この条件も満たしている。

 だとすれば、なぜ“言語道断”とまで言われるのか。

 結論的にいえば、逮捕状の請求に踏み切ったICC主席検察官カリム・カーンが、イスラエルを擁護する本国政府の意向に正面から反対した、アンタッチャブルな態度そのものが嫌われたからに他ならない。

本国政府の意向を無視した検察官

 主席を含むICC検察官は、1998年のローマ規定に参加した国のなかから選出される。人事権はICCにあるので、検察官は本国政府から一応独立した立場にある。

 とはいえ、実際にはICC検察官が本国政府の意向を無視することは難しい。

 それもあって、これまでICCの捜査・裁判は、欧米の方針に沿ったものになりやすかった(ちなみにアメリカはロシア、中国と同じく「独自の安全保障政策が脅かされかねない」ことを理由にICC未加盟だが、イギリスなど同盟国を通じて影響力を発揮してきた)。

 これまでICCには、アフリカなど貧困国での問題を重点的に取り上げ、先進国のかかわる軍事活動や、それにともなうジェノサイドや人道危機などには指一本動かさない傾向が強かった。米英が主導し、やはり数多くの民間人の死傷者を出した2003年のイラク侵攻はその典型だ。

 そのためアフリカなどではICCが「取り上げやすいところだけ取り上げている」「白人裁判所」と揶揄・批判する声が少なくない。

 だからこそ、カリム・カーン主席検察官がハマス幹部だけでなく、米英をはじめ先進国が支援するイスラエル首脳にも逮捕状を請求したことのインパクトは大きい。

ウクライナを訪問してゼレンスキー大統領と会談するカリム・カーン主席検察官(2023.2.28)。この翌月、ICCはプーチン大統領に逮捕状を発行した。
ウクライナを訪問してゼレンスキー大統領と会談するカリム・カーン主席検察官(2023.2.28)。この翌月、ICCはプーチン大統領に逮捕状を発行した。提供:Ukrainian Presidential Press Service/ロイター/アフロ

主席検察官の横顔

 ここでカリム・カーンについて多少詳しく紹介しておこう。

 カリム・カーンはパキスタン系イギリス人で、1970年生まれ。名門キングズ・カレッジを卒業した後、人権派弁護士としてユーゴスラビアやアフリカ各地におけるジェノサイド裁判などにかかわった経歴をもつ。

 2012年にICCに入り、順調に昇進して2017年にはイスラーム国(IS)による虐殺行為に関するイラクでの調査を主導した。

 こうした経歴が評価され、2021年から主席検察官を務めている。

 その翌2023年3月には、ウクライナ侵攻に関連してプーチン大統領に対する逮捕状発行を請求した。そのためロシア政府から敵視されたカリム・カーンは2023年5月ロシア最高裁によって逮捕状を発行された

 その一方で、カリム・カーンにはこれまでもしばしば欧米とりわけ出身国イギリスの外交方針と一致しない言動があった。

 その典型は2017年、ケニア政府との間で、イギリスによる戦争犯罪の調査について協議したことだ。

 ケニアでは1950年代、イギリスの植民地支配によって奪われた土地の返還を求める要求が噴出した。これに対して、イギリス政府と入植者は武装蜂起した「ケニア土地自由軍」を「テロリスト」とみなして徹底的に弾圧し、それと並行して「テロリストを支援させないため」多くの住民を強制移住させた。

 イギリスが「マウマウの反乱」と呼んだこの衝突で死亡したケニア人は、控え目に見積もっても1~2万人、最近の報告では10万人を超えたといわれるが、確かなことは白人犠牲者を遥かに上回ったということだ。

 イギリスは2013年、5200人ほどの被害者に対して総額140万ポンドの補償支払いをケニア政府との間で合意したが、その対象が絞られすぎているという不満がケニア国内にはある。

 つまり、カリム・カーンはケニア政府に協力して、このイギリスの「汚い戦争」の暗部を明らかにすることに前向きなのだ

 これに関して、アフリカなどの途上国では一定の評価があるが、イギリス政府がそれを望んでいないことはいうまでもない。

「植民地主義の暗い影は明らかにすべき」

 つまり、カリム・カーンには植民地主義への批判が強い。ケニアの問題について英ロイターの取材を受けたカリム・カーンは「植民地主義の暗い影があるのなら…明らかにされることが唯一の正しい道だ」と述べている。

 だとすれば、イスラエル首脳に対しても逮捕状を請求したことは不思議でない。

 イスラエルの民間人が1200人以上殺害された昨年10月のハマスの攻撃は「テロ」だったといえる。

 しかし、イスラエルはそれ以前から何十年にもわたって、国連でパレスチナのものと定めた土地まで支配し、しかもその土地に国民の移住を奨励してきた。入れ違いにパレスチナ人は居住地を追われてきた。

 この状況はケニアにおけるイギリスの「汚い戦争」と共通点が多い。その意味で、カリム・カーンの言動には一貫性がある。イスラエル・ハマス戦争が始まる約1年前に国連に提出された専門家報告は、イスラエルによるパレスチナ占領を「入植をともなう植民地化」と明言していた。

 もっとも、イスラエル首脳に今後、逮捕状が発行されたとしても、先行きは決して明るくない。

 そもそもICCがイスラエルに乗り込んでネタニヤフを逮捕することもできない。

 また、逮捕状が発行された場合、ネタニヤフがICC加盟国を訪問すれば、それぞれの国は逮捕義務を負うが、先進各国がその義務を実際に履行するかは不透明だ。とりわけアメリカはICC加盟国ではないのでなおさらだ。

 ただし、その場合、これまでICC体制の中核を占めてきた欧米自身が、国際法をあからさまに無視することにもなる。それはグローバルな秩序の正当性そのものが、これまで以上に揺るがしかねない。

 こうしてみた時、カリム・カーンが投じた一石は大きい。米英が「白」と強弁しても、それが通るとは限らない世の中になったことを、改めて浮き彫りにしたからだ。だからこそ米英にとっては“言語道断”なのだ。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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