プーチンに逮捕状を出したICCとは――歴史や権限、今後の展望は…基礎知識5選
プーチン大統領に3月17日、逮捕状を発行したことで注目された国際刑事裁判所(ICC)。どんな組織で、どんな権限があるのだろうか。ICCについてまとめてみる。
1.日本も参加する国際法廷
ウクライナ侵攻をめぐってプーチンに逮捕状を発行したICCは、オランダのハーグに本部を置く国際裁判所で、主に以下の事案を捜査・審理する権限を与えられている。
・ジェノサイド(特定の民族・宗教などに対する組織的・意図的な大量虐殺)
・戦争犯罪(民間人の意図的殺傷など)
・人道に対する罪(戦時に限らない残虐行為)
・侵略罪
これらの行為を直接行った者ではなく、決定権をもつ立場の者の責任を追及し、処罰することが大きな役割である。その対象は今回のプーチンのように、国家元首も含まれる。
似たような名前の組織に国際司法裁判所(ICJ)があるが、こちらは国家間の領土問題などを裁く場で、役割が違う。
ICCのメンバー(締約国という)は現在123の国・地域で、裁判官や検察官をはじめ事務スタッフも含めて約900人からなる。
このうち18人の裁判官は締約国の法律専門家から選出され、日本からは現在、元最高裁検察官の赤根智子氏が名を連ねている。
ICCには検察官もいる。検察官は締約国からの要請や国連安全保障理事会の付託を受けて捜査を開始するが、自分の意思で捜査を行うことも認められている。今回の場合、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった直後の昨年3月、日本を含む40カ国以上の加盟国が要請したことを受けて、ICCは捜査と起訴手続きを進めてきた。
2.「民族浄化」の嵐のなかで誕生
ジェノサイドなどの人道危機を招いた責任者を処罰するICCは、1998年に採択されたローマ規定(2002年発効)に基づいて発足した。ICCが誕生した背景には、東西冷戦終結(1989年)後の世界各地で、ジェノサイドなどが頻発したことがあった。
例えば、旧ユーゴスラビアの内戦(1990~99年)では多くの民族が入り乱れての争いで13万人以上が殺害され、アフリカのルワンダ内戦(1990~94年)では50~100万人が無差別に殺傷された。
これらが世界に大きな衝撃を与え、ジェノサイドなど人道危機を抑止する必要への意識が高まるなか、ヨーロッパ各国やカナダなどの主導でICCは発足したのだ。
ただし、その権限が大きいだけに、発足段階からICCと距離を置く国も少なくなかった。先述のように、ICC締約国・地域は123だが、これは国連加盟国の約63%に過ぎない。
とりわけアジア太平洋と中東の締約国・地域は合計で19にとどまり、とりわけ消極姿勢が目立つ。この地域には特に国家主権を重視する国が多く、中国や北朝鮮に代表されるように「外部による裁き」への警戒がとりわけ強い。
また、アフリカの締約国は33カ国と一見多いが、大陸全体でみれば約6割にとどまる。
このように途上国の警戒を招きやすいICCだが、それ以外にも非協力的な国はある。その典型例がアメリカだ。
アメリカはローマ規定に署名したものの、後にこれを撤回した。「海外に派遣したアメリカ軍兵士が『政治的な理由で』訴追される恐れがある」というのが理由で、自国の安全保障政策を優先させる方針は現在のバイデン政権でも基本的に同じである。
同様にロシアもICC締約国ではない。また、ロシアの影響が強い旧ソ連圏にも非締約国は目立ち、ウクライナも締約国ではない。
3.人道危機の「歯止め」としての役割
それでは、ICCはどんな成果をあげてきたのか。
ICCがこれまでジェノサイドや人道に対する罪などで起訴にたどり着いた事案は31、裁判にかけられた被告は51人にのぼる。起訴の前段階、予備審査中の事案は5つある。
その多くはアフリカでのものだ。
なかでもこれまでのICCの活動で最も注目されたのは、北東アフリカ、スーダンのバシール元大統領に2009年、人道に対する罪、戦争犯罪の容疑で逮捕状を相次いで発行したことだった(2010年にジェノサイド罪の容疑を追加)。
スーダンでは2003年頃に西部ダルフール地方でアラブ系民兵がアフリカ系住民を襲撃し、20万人以上が殺害された。バシールがこれを指示し、武器などを提供していたという疑惑が深まったのだ。
ダルフールに限らず、戦地などで証拠や証人を集めるのが困難な場合も珍しくない。そのため、ICC発足以来の世界で発生してきた紛争の多さに照らせば、実際に裁きの場にかけられた事案の件数は決して多くない。
それでもICCには、ジェノサイドや戦争犯罪が「裁かれることがある」という歯止めになった点に意義があるといえる。
ダルフールに関していえば、国家元首といえども裁かれることがあるという前例になった。
4.実効性には限界も
その一方で、ICCには実効性に限界がある。逮捕状が発行されても、逮捕が実行されないことも珍しくないからだ。
ICCには「補完性の原則」がある。つまり、人道危機の責任の追及・処罰は本来、その国自身が行なうべきもので、その国に意思や能力がない場合にICCの出番がある、という意味だ。
そのため、ICCの逮捕状が発行された被疑者のいる国は、そもそも人道危機の責任者を処罰する意思や能力に欠ける場合が多い。その場合、起訴が決まっても、独自の警察組織をもたないICCが被疑者を強制的に逮捕することはほぼ不可能だ。
実際、ICCが国際的に広く知られるきっかけになったバシールとダルフール紛争の事案では、バシールがスーダンの実権を握る限り、スーダン国内での逮捕は全く非現実的な話だった。
これに加えて、ICC締約国が実際に被疑者の逮捕に協力するとは限らない。
逮捕状が発行された被疑者が入国した場合、ICC締約国はこれを逮捕し、ハーグに移送する義務を負う。
しかし、バシールの場合、逮捕状が発行された後の2015年6月、国際会議に出席するため南アフリカを訪問した際、逮捕されることなく無事にスーダンに帰国した。
南アフリカはICC締約国だが、「他の地域でも人道危機はあるのにICCの起訴対象がアフリカに集中していて差別的」というアフリカ内部の不満を背景に、バシールを逮捕しなかったのだ。南アフリカ政府は翌2016年10月、ICC脱退を宣言した。
この他、バシールはやはり2015年10月にインドを訪問したが、インドはICC締約国でないため、やはり逮捕されなかった。
国内の場合と異なり、ICCによる逮捕状発行は即逮捕・起訴を意味しないのだ。
5.プーチンが裁かれる見込みは薄い
今回、プーチンに逮捕状が発行された嫌疑は「子どもを不当にウクライナからロシアへ移住させた」ことだった。ロシア軍が占領するマリウポリなどから連れ出された子どもは、ロシア政府関係者の手元にひき取られ、「ロシアを愛するように」教育されているといわれる。
その責任者とみられるマリア・リヴィウ=ベロワ子どもの権利担当補佐官もプーチンとともにICCから逮捕状を発行された。
極めて限定的な罪状だが、ICCの捜査の着手から逮捕状発行までに数年かかることも珍しくないため、今回の手続きはかなりスピーディといえる。
しかし、少なくとも現段階でプーチンらが逮捕される見込みは薄い。
ロンドン大学の国際法学者ビル・ボーリング教授は「ICCの逮捕状発行でロシアの国際的求心力は低下する」と強調し、ジェノサイドなどその他の罪状に関しても、追加の容疑で逮捕状が発行される可能性があると示唆しているが、それでも逮捕の実現には悲観的だ。
バシールの場合にそうだったように、プーチンが国外に出ても相手国で逮捕されるとは限らない。
今年8月、プーチンはBRICS首脳会議に出席するため南アフリカを訪問する予定である。先述のように、南アフリカは2016年にICC脱退を宣言したが、その後脱退手続きは進んでおらず、現在も締約国のままだ。とはいえ、南アフリカは2月にロシアと合同軍事演習を行うなど、西側と距離を置いており、プーチン逮捕も想定しにくい。
「ロシアで政権が転覆すれば可能性はある」という意見もある。とはいえ、これも確実とはいえない。
バシールの場合、経済停滞をきっかけとする抗議活動で2019年に失脚した後、スーダン国内で逮捕された。その後、暫定政権はバシールをICCに移送すると決定したが、いまだに実現していない。
失脚したとはいえ、今も民兵を中心に支持者の多いバシールを引き渡すことの政治的リスクが高いためとみられる。
同様に、ロシアで仮に反プーチン派が勢いを増したとしても、情報機関などに根を張ったプーチン支持者の恨みを買ってでもプーチンをICCに引き渡す政治家が現れるかは疑わしい。
そのため、ICCの逮捕状発行に実効性を期待することは難しい。むしろ、この逮捕状発行はウクライナをめぐる国際的な対立の一つの通過点とみた方がよいだろう。