ウクライナ「戦争犯罪」に法の裁きは可能か――知っておきたい基礎知識5選
- 戦争犯罪などを扱う国際刑事裁判所は国家元首であっても裁く権限を持ち、プーチン大統領もその例外ではない。
- ウクライナにおける国際刑事裁判所の捜査はすでに始まっており、その対象は2013年からの全ての事案が対象になっている。
- ただし、制度的にはともかく、実際に「ロシアの戦争犯罪」を裁くには幾重もの条件をクリアする必要がある。
ブチャで多数の民間人の遺体が発見されるなど、ウクライナでの深刻な人道危機が報じられるなか、バイデン大統領が「プーチンを戦争犯罪人として処罰しろ」と叫ぶなど、法の裁きを求める声は各国で高まっている。独立国家の元首を裁くことはできるのか。以下ではそのためのルールや仕組み、効果と限界についてまとめる。
1.戦争犯罪を裁くルールはある
戦場での非人道的行為を規制する国際的なルールと仕組みは、第二次世界大戦後に生まれた。ジュネーブ条約(1949)と追加議定書(1979)では主に以下のような戦争犯罪が禁止された。
- 民間人への無差別攻撃
- 住民生活に欠かせない施設(発電所など)への攻撃
- 捕虜の虐待・拷問
- 傷病者、医療従事者への攻撃 など
一方、人種や民族などを理由とした大量殺害や強制収容を禁じるジェノサイド条約(1948)もほぼ同じタイミングで結ばれた。
ただし、実際にはこうした約束が守られないことも珍しくなく、とりわけ冷戦終結(1989)の後は民間人が犠牲になることが増えた。
なかでも東欧ユーゴスラビアやアフリカのルワンダなどで1990年代に相次いで発生したジェノサイドは、CNNなどの衛星放送が普及し始めていたこともあって世界中に大きな衝撃を与え、「口約束」ではない実効的な取り締まりを求める声が高まった。
その結果、ローマ規定(2002)に基づいて発足したのが国際刑事裁判所(ICC)だ。これとよく似た名称のものに国際司法裁判所があるが、こちらは国家間の領土問題を扱う。これに対して、ICCは戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイド、侵略犯罪などを裁く国際的な裁判所である。
第二次世界大戦後の東京裁判やニュルンベルク裁判など、戦争の勝者が臨時に設けたものと異なり、ICCは常設の裁判所である。これによって戦争犯罪などを裁く国際的な仕組みはほぼ完成したといえる。
ロシアによる侵攻が始まった翌週の3月2日、日本を含む40カ国以上がウクライナにおける戦争犯罪や人道に対する罪の捜査・審理をICCに求めた(付託した)。
2.ICCは国家元首も逮捕できる
ICCは戦争犯罪などに関わった個人を国際法に基づいて捜査し、容疑が固まれば裁判にかけ、有罪が確定すれば処罰することができる。
その権限は、以下のいずれかの場合に行使される。
- ICC締約国(ローマ規定を署名・批准した国)の付託
- 国連安全保障理事会の付託
- ICC検察官の独自の判断
ここでいう「戦争犯罪などに関わった個人」には各国の国家元首も含まれる。実際、2009年にICCは、北東アフリカのスーダンのバシール大統領(当時)に逮捕状を発行した。2003年にこの国で発生したダルフール紛争で、バシールが住民の虐殺を指示したと判断されたからだ。
ただし、いつでもどこでもICCがその権限を行使できるわけではない。ICCの捜査権や裁判権は以下のいずれかの場合に限定される。
- 犯罪が行われた場所が締約国である
- 被疑者が締約国の国籍をもつ
- 犯罪が行われた場所や被疑者の国籍が締約国でない場合、その国がICCの権限を認めなければならない
つまり、ICCは基本的に、ICCの権限を認めている国でしか活動できない。言い換えると、非締約国で何が発生しても、ICCがすぐさま捜査や裁判を行えるわけではない。
3.ウクライナでの捜査は特例に近い
それではICCの締約国とはどこか。現在123カ国が加盟しているが、これは国連加盟国(193)の約63%にとどまり、世界各国の過半数ではあるが圧倒的多数ともいえない。
なかでもアメリカ、ロシア、中国など、大国ほどこれに消極的だ。これらの国には自国の軍関係者が被疑者として扱われることへの警戒があるためで、この点においてアメリカと中ロに大きな差はない。
実際、アフガニスタンなどでの米兵による民間人殺傷は、国連や国際人権団体から「戦争犯罪にあたる可能性が高い」としばしば批判されてきた。ブチャでの事件を受けアメリカ政府は「ICCなどと協議する」考えを示したが、アメリカ自身がそもそも締約国ではないという矛盾もあるのだ。
一方、アジアや中東、そしてアフリカにも締約国が少ない。やはり海外に裁かれることへの警戒感が強いからだが、なかにはフィリピンや南アフリカのように、途中で脱退する締約国もある。これらの国には、「白人世界」主導のICCが、先進国のかかわりの指摘される戦争犯罪を取り上げようとしないことへの不満がある。
バシールに逮捕状が発行されたスーダンもICCの締約国ではない。この場合、スーダンを「テロ支援国家」に指定していたアメリカが主導して、国連安全保障理事会がICCに付託することで捜査・審理は始まった。
実はウクライナも締約国ではない。それでも捜査が始まったのは、ヨーロッパ、カナダ、日本などの締約国からの付託があったことに加えて、ウクライナ政府がICCの権限を一時的に受け入れたことによる。その意味でウクライナでの捜査は特例に近い。
4.「組織ぐるみの計画性」立証が必要
もっとも、制度的にはともかく、実際に戦争犯罪やジェノサイドを裁くハードルは高い。
ウクライナの場合、ICCの捜査はロシアによるクリミア併合直前の2013年からの全ての事案が対象になる。膨大な数をカバーしなければならず、おまけに戦闘が継続中であるため捜査は難航するとみられる。
これに拍車をかけているのは、戦争犯罪やジェノサイドの認定の難しさだ。
ブチャなどでのショッキングな映像やロシア兵による残虐行為の証言は数多くあるが、多くの民間人が殺害されれば、それが全て戦争犯罪やジェノサイドになるわけでもない。「組織ぐるみの計画性」が裏づけられない限り、戦争犯罪やジェノサイドではなく「一部の末端兵員の暴走」や「不幸なアクシデント」と扱われるからだ。
また、「民間人のなかに敵兵が紛れていた(あるいは民間人が敵対行為をしていた)のでやむなく攻撃した」というのも、罪に問われた者の常套文句で、これを否定する根拠がなければ戦争犯罪と呼べなくなる。
つまり、無抵抗の民間人が計画的、組織的に攻撃されたことが明らかにされなければ、同じように人が死んでいても被疑者の法的責任には大きな違いが生まれる。そのため、戦争犯罪などの認定には、誰がいつ何を命令したか、それを受けて誰がどのように実行したかの解明が不可欠になる。
ところが、指揮命令などの記録が入手困難なことも珍しくないため、この部分の立証は難航しやすい。ICCが2003年から2014年までに立件にこぎつけた30件のうち、これまでに有罪が確定したのが6件にとどまった原因の一つは、ここにある。
ロシアに関しても、軍関係者の聞き取りなどがほとんどできないため、その裏づけは容易ではない。アメリカ政府スポークスマンは4月4日、「ブチャなどでの殺戮がロシアによる計画的なものと信じている」と述べているが、「信じる」以上の根拠は現段階ではない。
5.プーチン政権が崩壊すれば逮捕もあり得るが…
それでは、仮に「ロシアによる組織ぐるみの戦争犯罪やジェノサイドがあった」とICCが認定・立件した場合、プーチンやロシア政府幹部は裁かれるのか。
結論的にいえば、それでもハードルは高い。
スーダンのバシールに逮捕状が発行されたように、理論的には国家元首でもICCによる審理の対象となる。しかし、バシールは長く逮捕を免れた。スーダンにいる限りICCが強制的に逮捕することはできないからだ。
そのうえ、ICC非締約国にバシールがきても、その国は彼を逮捕しなければならない義務を負わない。さらに、ICCは(当たり前だが)欠席裁判を行わない。スーダンという小国の大統領ですらそうなのだから、ましてプーチンが法廷に引き出される公算は高くない。
しかし、ここには異論もある。サザンプトン大学のヨルゲンセン教授は「ロシアで体制転換が起これば可能性はある」と指摘する。つまり、プーチンが失脚すればICCの出番はある、というのだ。
その一例としてヨルゲンセンは、セルビアのミロシェビッチ大統領(当時)が選挙不正を理由とする国内の抗議活動で失脚し、その後(ICC発足直前の)2001年に国際臨時法廷に引き出されたことをあげている(公判途中で病没)。ミロシェビッチは1990年代の旧ユーゴスラビア連邦の崩壊にともなう一連の内戦で、異民族に対する無差別殺傷などを指示したと指摘されていた。
ロシアに関しては、経済制裁の効果と戦費拡大などによる経済崩壊の可能性がしばしば指摘される。仮に国内の不満が高まってプーチンが失脚すれば、ヨルゲンセンがいうように新体制が身柄引き渡しでICCと合意することはあり得る。
ただし、ミロシェビッチは最終的に軍を含むほとんどの支持基盤からも見放された結果、法廷に引き出されたが、失脚した「独裁者」の裁判にブレーキがかかることもある。
スーダンの場合、やはり経済停滞をきっかけとする抗議活動でバシールが2019年に失脚して逮捕された。その後、2021年8月に暫定政権はバシールをICCに移送すると決定したが、その直後に軍の一部の親バシール派がクーデタを起こすなど激しい抵抗に直面したため、移送は現段階でまだ実現していない。
バシール引き渡しそのものが大きなリスクになり、身柄移送の延期が長期化するほど、1944年生まれで高齢のバシールがICCの法廷に引き出される見込みは低くなる。
ロシアでも、親プーチン派は情報機関や軍、国営企業などに根を張っており、たとえ体制が変わってもこれらをすぐさま一掃することは容易でない。つまり、プーチン失脚がそのまま法の裁きにつながる公算は決して高くない。
こうしてみた時、ICCによる裁きには幾重もの条件があるといえるだろう。