【京都市】山科区 日本最古と言われる『天智天皇(中大兄皇子)』の『上円下方墳 山科陵』探訪♪
昨今人気があると言われる御陵巡り。
私も、海外に住み世界旅中に偉人のお墓を巡り手を合わせてその偉業を讃えるのが大好きで、よく母が合流した際にも偉人のお墓巡りをしていました。w
なぜそんなにお墓巡りに興味を持ち出したのか私自身も不思議だったのですが、身近に「天智天皇 山科陵」があり散歩しながら手を合わせる毎日が日課だったからだ、と最近気がつきました!w
「天智天皇 山科陵」は、京都山科の「旧東海道沿い」から続く「三条通沿い」にあります。
長い参道を進むと、入り口が見えてきます。秋には綺麗な色に染まった紅葉が出迎えてくれます!京都で一番古いものとされ、特に御陵巡りをする人の中では、人気がありますよ。
第38代天皇である天智天皇の御陵は、考古学的には「御廟野古墳」といいます。
上円下方墳で上円部は、截頭八角錐(せっとうはっかくすい)という形です。
天智天皇と中臣鎌足といえば『大化の改新』。
『大化の改新』とは、聖徳太子の死後に大和朝廷で力を持った「蘇我氏」を中心とした豪族の政治に、中臣鎌足と共に終止符を打ったもの。
皇極天皇4年(645年)6月12日の「乙巳の変」に始まる一連の国政改革のことを言います。
大化元年(645)から翌年にかけて中大兄皇子(のち天智天皇)と中臣鎌足が中心となって行ったクーデターが成功し、権力を握っていた蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子が打倒豪族打倒に始まる一連の政治改革のことを指します。
つい先日、奈良の飛鳥で「蘇我入鹿の首塚」を実際に見に行きました!
なんとまぁ、首を切られたと言われる場所から遠く離れたところまで首が飛んで行ったもんダァと、一緒にいたお寺さんのご住職は笑いながら仰ってましたが、歴史の深さに感慨深く思いました。
「天智天皇」は、671年12月3日大津宮で崩御され「壬申の乱」の後699年に山陵修営官が任命されました。
滋賀県の大津には「天智天皇」ゆかりの神社「近江神宮」があります。
「天智天皇」は日本で初めて時計を設置した人でもあるため、「天智天皇 山科陵」の前にも、「ときしめす碑」や「近江神宮」にも「水時計」があります!
昭和13年には御陵入り口に「日時計」が設置されました。
「天智天皇」を御祭神として祀る『近江神宮』では、「水時計」や龍の形の変わった時計を見ることができます。
また、天智天皇は歌人とも知られ、『小倉百人一首』の第一首が、天智天皇の歌です。
「秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ」
近辺には、京都の近代化や文化を支えてきた「琵琶湖疏水」もあり、また中臣一族の遺跡や、小野や日野の一族が住んでいた場所、花山天皇ゆかりの場所など一帯が歴史ロマンに満ち溢れています。
中臣遺跡についての過去記事をご参照ください→
・「中臣遺跡」と呼ばれるエリアにある『二之宮(中臣神社)』には出世の神様がご鎮座!
・平安時代の武将『坂上田村麻呂』の遺跡巡りをしながら歴史ロマンに浸る♪
花山天皇ゆかりの過去記事→
「忠臣蔵」ゆかりの過去記事→
・『義士まつり』で大石内蔵助の『忠臣蔵』を「大石神社」&「岩間寺」で♪
琵琶湖疏水についての過去記事→
『高津商会』の小道具たちも多々、テレビや映画などで「大化の改新」などのシーンで活躍してきました!「聖徳太子」で使われた小道具なども全て大切に保管されていますよ!それらを見る度に胸アツ〜です♪
季節も暖かくなってきましたので、ぜひ、山科探訪を楽しまれてください〜♪
天智天皇 山科陵
所在地:京都府京都市山科区御陵上御廟野町
電話: 075-541-2331